ひとり殿軍
甲斐の国、武田信玄の隠し金山にて――。
坑道を爆破し、凶屍や敵の親玉果心居士ともども埋め尽くすため、忍びたちは鉱山内を所狭しと駆け巡り、あちこちに設置された爆薬に点火して回った。
皆が皆、秘術を尽くし奮闘を見せたおかげで残す爆薬は……あと少し。
だが、ここにきて――、
異形の化け物へ姿を変えた錬金術師が、一行に襲いかかる!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
坑道内――正重、野菊たちが立つ、やや開けた一角。
腐った桃のような色合いの触手が、引き連れた凶屍たちとともにゆっくりと近づいてくる。
「見つけタ、見つけタゾ――」
隠れ鬼を楽しむ少年のような口調が触手に生じた唇から漏れた。
ことさらゆったりとして見せる動作も、正重たちに恐怖を感じさせるためだろう。
楽し気な口調の無邪気さが狂気を感じさせ、耳にした正重たちの背筋をぶるりと震わせた。
「……ずいぶん手こずらせてくれたが、ここまでダナ。別れ別れになり、追っ手を分散させて逃げのびようというつもりだろうガ……そのようなコト、無駄なあがきにすぎン」
と、正重らに告げるカッシーニ。
触手状の肉塊に次々、眼球と唇が湧き出る光景は悪夢以外のなにものでもない。
「……くッ、ここまで来てッ!」
一方、小夜は怪物カッシーニの出現に唇をかんでくやしがる。
点火すべき爆薬は残りわずかだが、凶屍やカッシーニの妨害にあっては実行は難しい。
異常な再生力を持ち、肉を溶かす粘液に巨大な触手までそなえた怪物との戦いは、忍びたちにとっても困難を極める。その上、さらに十数体の凶屍がいるとなれば……もはやどうしようもない。
だが爆薬はすでに火をつけられたあと――すでに後戻りできぬ状況だ。
「……せめて、あと少しでも猶予があれば!」
目的達成までわずかであったことがゆえに、なおさら無念が強まる。小夜はうらめしげな顔をカッシーニに向け、それから正重を見た。
しかし、小夜の視線を受けた正重は冷静なまま――こう、ささやく。
「――いや。これは好機かもしれん」
「なぜじゃ正重、なぜそういえる?」
「……あやつ、胡蝶がしかけた爆薬に気づいておらぬようだ。あの図体で総身に知恵が回りかねたか」
短く口をはさんだ野菊に、声をひそめたまま正重はいう。
そしてこう続けた――、
「あの怪物がたちふさがろうが凶屍が現れようが――なんにせよ、我らのやるべきことは一つ。残る爆薬に火をつけねばならん。そのためには……」
「そのためには――?」
おうむがえしにたずねた野菊、小夜、胡蝶に正重は目を配り、告げる。
「……お前たちは先に行け。爆薬に火を点じるのだ――あやつらは、ここでおれが食い止めよう」
――さらりと言った正重に、くのいち三人娘は大きく目を見開いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ならぬぞ! 正重!」
「ああ、それでは貴様が助からん!!」
正重の案を野菊と小夜が即座に否定する。この伊賀衆頭領が、自ら犠牲となる道を選んだように思えたからだ。
敵はカッシーニにくわえ十数体の凶屍、明王心法と韋駄天心法を使う正重とて一人では太刀打ちできぬ。無残な結末が容易に予測できた。
そのような事態――ここまで旅と危険をともにしてきた仲間として許せるわけがない。
野菊も小夜も旅のはじまりとは打って変わり、正重を信じ、頼みとしていたからだ。
――だが、正重は静かに首を横に振ってこたえる。
「だいじょうぶ。こんなところで死ぬ気はない――あくまで時をかせぐだけだ。お前たちが爆薬に火をつけるまでのな」
「――しかし正重ッ!」
「議論をしているひまはない。急げ――果心居士も、凶屍も、爆薬も、我らを待ってはくれぬぞ」
反論しようとした小夜の言葉をさえぎり、口早に言った正重。
その言葉通り、凶屍と肉塊触手はじわりじわりと迫りつつある。
「く……」
「それはそうじゃが……」
野菊も小夜も正重の案の正しさを認めざるをえない。
が、しかし仲間を窮地に置き捨てにする覚悟も決められず、二人はとまどう。
と――そこまで黙っていた胡蝶が口をはさんだ。
「――行きましょう。みなさん。ここは正重さまにおまかせするのです」
「きさま、なにをいう胡蝶! 裏切っていたお前がどの口でッ!」
胡蝶の言は、つまるところ『正重を置き捨てて先に進む』ということ。その冷静な口調と冷徹な言葉に、思わず小夜は激高する。
だが胡蝶は一歩も引かない。ふだんの柔和さをかなぐり捨て、鋭く言い返した。
「小夜さん! 凶屍どもを外に出してよいのですか!? 殺した相手を自らと同じ化け物に変え、際限なく増え続けるあの怪物どもを天下に解き放っても良いと!?」
「い、いや、それは……」
胡蝶が見せた真剣な態度に気圧された小夜は口ごもる。
一方、平静さを取りもどした胡蝶は、こう続けた。
「それに……あの非道な果心居士をこれ以上生かしておくこともできません。小夜さん、あなたも忍びなれば、その道理よくお判りでしょう? ならば、この場は正重さまにお任せし、わたしたちは爆薬を――」
淡々とした口調の中にも自分に言い聞かせるような響きがあり――小夜と野菊は言い返せない。
「……胡蝶」
思いがけぬ相手からの助け舟。正重は目で感謝を伝えたが胡蝶は視線をそらす。
どうやら――正重を時間稼ぎに使うことは胡蝶にとっても苦渋の決断であったようだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
こうして――。
しばし言い争っていた一行に嘲笑が浴びせられる。
カッシーニからすれば、逃れられぬ死を前にした醜いいさかいに見えたのだろう。
そのさまを自らが与えた恐怖のせいとかんちがいしたカッシーニは、うれしそうにそのようすをながめ、それからいった。
「どうしタ――ここに来て仲間割れカ? なにをどうしようとキサマらの死は避けられぬがナ」
だが――その『油断』が裏目に出る。
果心居士の言葉がきっかけとなり、固まっていた三人娘は脱兎のごとく駆け出した。
掛け値なしの全力疾走――後に残る正重のことなど振り返らず、前だけを見て進むくのいち娘たち。
ただ、すれちがいざまにちらりと一瞬、合わせた目だけは「必ずもどってくる、それまで生きていよ」と、必死で呼びかけている。
その視線にこめられた情の深さに正重は心が温かくなり、思わずふっと笑みが浮かぶ。
(……みな、ずいぶんと変わったものだ)
一方、カッシーニは三人娘の急な動きに不意をつかれ、不機嫌そうな声を出した。
「――ちっ。仲間一人を捨て駒にして逃げたカ? いつまでも逃げ切れるものでもあるまいニ」
舌打ちし、触手をくねらせ、少女たちのあとを追おうとしたカッシーニ。
だが――その前に正重が立ちふさがる。
「……ふん。仲間に置き捨てられたというのに、まだ捨て駒としての役割を果たそうというカ。これまた忍びらしいだが、たった一人ではなにもできマイ。黙ってそこを通すなら楽に死なせてやるゾ」
仲間を守るため敵前に立つ正重。
その愚直さをあざ笑いつつ、自らの絶対優位を誇示するカッシーニ。
だが――返ってきたのは彼にとって予想外の反応だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
対するは怪物と化した錬金術師と凶屍の群れ。
そして頼りになる味方は一人もいない。
そんな絶望的な状況で――、
「……は、はははっ、はーっはっはっはー!!」
正重は唐突に笑いだした。他人をあざわらうのではなく、本当に楽しいから笑うという大笑いだ。
カッシーニはいぶかしむと同時に正重の態度が勘にさわり、いらだつ。
「――きさマ。なにがおかしイ。一人で取り残された恐怖のあまり、おかしくなったカ?」
「いや……お前のようなやからには永遠にわかるまい話さ。果心居士よ」
と、はぐらかした正重は内心で思う。
(そう。たしかにカッシーニの言うように、ここにいるのはおれ一人。しかし野菊らもそれぞれの持ち場で役割を果たしてくれている――つまり、おれは今も心強い仲間とともに戦っているのだ)
その心強い事実を正重は知り、カッシーニは知らない。
正重がこの期に及んでなお笑っていられる原因だった。
一方、カッシーニは正重の態度を不審に思い、警戒を強める。
「――ふン。なにやら企んでおるようだガ、今の我に小賢しい策など通用せヌ。たった一人の忍びになにができようカ」
と、それでも傲慢な態度を崩さない果心居士だったが――、
正重も一歩も引かない。不敵な笑みを浮かべ胸を張ってこう言った。
「おぬし……先ほどからおれを一人とあなどっておるがな。一人が必ずしも弱いというわけではない。仲間がいては使えぬ技もあるでな」
「なん……だト?」
正重が放ったのは、驚くほど自信に満ちた言葉。
それは自身が異形と化し、恐ろしいものなどないはずのカッシーニにも不吉にきこえた――。




