秘術乱舞
「『韋駄天心法』……じゃと!?」
「『明王心法』だけでなく、まだ別の技があるというのか!?」
「まぁ、正重さま、それはいったい……」
正重があらたに告げた忍法の名に野菊と小夜、胡蝶がごくりと息をのんだ。
どのようなものか問おうとして視線を向けた三人娘だったが、そこで口をつぐむ、
正重が――伊賀衆の頭領である服部半蔵が、これまでにないほど真剣な目を見せていたからだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――オン イダテイタ モコテイタ ソワカ オン イダテイタ……」
正重ののどからうめきに似た声が漏れる。それは仏法における護法神・韋駄天の真言であった。
低くうなるような音が洞穴内に響き――二度、三度、続けて真言を唱えるとともに正重の体にかすかな変化がみられるようになる。
「む、なんじゃ? 正重が――」
「ああ。気のせいか身が細くなっておるような」
「……そういえばどことなく」
鋭敏なくのいち三人娘は正重の微妙な変異を感じ取り、首をかしげた。
その間にも真言は唱え続けられ、正重の変化は加速していく。
そして――、
「あれ。なんとも不可思議な……?」
胡蝶が驚いたのも無理はない。いくたびか韋駄天の真言を唱えるうち、正重の体格は明らかに厚みをなくしていた。
『明王心法』――人外の剛力を与える忍法の影響で一回り大きくなっていた体躯も元のとおり。いや大久保正重を名乗って凡人を装っていたときよりも、きゃしゃになったように思える。
「まあ、残念。せっかく男らしい体つきになられておりましたのに――」
などと修羅場にもかかわらず、色ぼけたような胡蝶の言があったが、小夜と野菊はとがめない。
細身に見える正重から放たれる気が、それほど恐るべきものだったからだ。
厚みを欠き、頼りなげな腕、胴。しかし先ほど鬼神のような武を示したときよりも脅威を感じる。そして未知の力を示した正重は――。
「――征ッ!!」
一声、おたけびをあげる。
と、次の瞬間――、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『韋駄天心法』の自己暗示をかけ終え、正重が鋭く声を発した刹那――、
「――なッ!」
「消え……たじゃと!?」
「!」
正重の姿が、ふっとかき消える――いや。実際に人が消えるはずはないのだが、この場にいるだれの目にも、そうとしか見えなかった。
「……ウガァッ!?」
目の前で消えた獲物。摩訶不思議な現象を目にした凶屍どもも首を傾げた。そして凶暴な怪物たちの顔にふさわしからぬ、けげんな表情が浮かぶ間に――。
正重が一体の凶屍の背後へこつぜんと姿を現す。その手には抜身の太刀が冷たい光を放っていた。
姿をあらわした伊賀衆頭領・服部半蔵は無言のまま、刃と似た冷徹な眼光を放って愛刀をかまえ――、
シュッ――!
音もなく背後に立った死神・正重に狙われた凶屍は、気づく間も声を上げる間もなく、後ろから首を跳ね飛ばされる。
ぽーんと宙を舞った狂屍の首は地に落ち、一度、二度、毬のように弾んで転がった。
「ウ、ウガァッ!!!!!」
「グルルルルゥ!!!」
と、そこでようやく奇襲に反応した残りの凶屍たち。すぐさま、ふりかえるやいなや襲撃者に反撃をくらわそうとする。
だが……もう遅い。
すでに正重の姿は先ほどと同じく消えている。
だれの目にもとまらぬ正重の姿。ようやく見出したのは歩き巫女の異能の力をもつ少女・野菊だった。
「……む、そこじゃなッ」
正重の現れる先を予知した野菊が指さした先、薄暗がりにふっと正重が立っていた。
動体視力にすぐれる忍びですら姿を追えぬほどの速さ。まさしく神速といえよう。頼りない照明のため視認性が落ちているこの洞穴内では恐るべき術である。
『月読の術』――未来視の力まで用いて居所をつかんだ野菊が感嘆のうめきをあげた。一方、小夜は術の由来に気づき、おおいに納得している。
「そういえば『韋駄天』とは釈迦の遺骨を盗んだ悪鬼に追いつき奪回した俊足の護法神だったな」
「……なるほど。その名に恥じぬ速さですねぇ。これが『韋駄天心法』――腕力を捨てた代わり、速さに特化した忍法ということですか」
ようやく悟った術の正体。小夜も胡蝶も舌を巻くしかない。それほど常軌を逸した速さだった。
と、そこで三人娘らの賛辞を勝ち取った正重が楽しそうに胸を張る。
「――いや。わが術の利点は速いことだけではないぞ」
などと告げて、再び姿をかき消す正重。
発した言葉の通り、彼の脚力は『速さ』ではなく『高さ』のほうに生かされている。
「なんと!」
「――む!?」
三人娘の目の前、正重は軽く反動をつけただけで洞穴の天井にまで飛び上がっていた。
洞穴の低い天井に頭部を打ち付けるかに思えたが、正重は軽やかな宙返りをみせ反転。逆立ちの態勢になるや天井を思い切り蹴りつけて飛び降り、凶屍どものど真ん中へと舞い降りる。
「殺ッ!」
――シュッ!!
飛びかかりざま鋭気を掛け声としてはなち、正重は中央にいた凶屍を一刀で斬りたおした。
そしてすぐさま駆け回り、腰だめに構えた太刀に疾走の速度を載せ、横殴りに切りはらっていく。
先ほどまでの剛力を頼りにした戦いとはちがい、速度をいかした戦法であったが、どちらも妙技、絶技であることに変わりはない。
銀光の筋が煌めくたび、数体の凶屍たちの骨肉を刃がすり抜け、真っ二つにしていく。
そこまで、わずか一瞬のできごと。正重が影も残さぬ韋駄天走りを見せたあとには胴や腹を両断された凶屍が残され、ほぼ同時に倒れ伏した。
かくして――洞穴内に重く湿った音が響く!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
洞穴内の一間――暗がりを照らしていた燭台がゆらがされ、洞穴内の陰影もまた大きく揺れた。
まるで岩壁がグニャグニャと形を変えたように錯覚させられる――そんな光景である。
これもすべて駆け回った正重のせいだ。神速の機動が巻き起こした突風が、今、ようやく押し寄せているのだ。
斃れ伏した屍の放つ血の匂いを含み、疾風は娘たちの髪を揺らし、吹き抜けていく。
と、そこで怪物どもを討ち果たしたことを確認した正重は足を止めた。
「くっ……これだから、あまり多用はできぬ」
人間離れした速度は体に限界を超えた大きな負担をかけたらしい。正重は荒い呼吸をくりかえし、肩を大きく震わしている。
こうなってまで見せた驚くべき大技は、くのいち三人娘たちが示した誠意への返礼だった。
(野菊と小夜は過去を忘れ、たがいに協力しあってくれた。胡蝶も果心居士に力を貸していたことを悔やみ、命がけで鉱山を爆破してくれようとしている。なんとすばらしい娘たちだ)
心あたためられた正重は柔らかく微笑む。
吐息は荒いままだったが、その成分には安らかさも含まれているように思えた。
だが――そこで、ふっと正重の顔に焦りの色がさす。
「どうしたのじゃ……正重」
「いや。多くの導火線に火をつけられたが、まだこれだけでは足らんのだろうな? 邪魔が入ってずいぶん時間を食われてしまった」
心配して声をかけた野菊に対し、気がかりを伝えた正重。
すると、その不安には胡蝶が答える。
「そうですね。真田の忍びの二方がすべての爆薬に火をつけたとしても、確実に鉱山を埋めるには足りないかもしれません――念のため、あと二つ三つは爆破させたいところです」
「……そうか。それはありがたい。では、先を急ごう」
慎重に返した胡蝶の言葉に正重が先に進む決意を新たにしたとき――、
重々しい地鳴りが洞穴の向こうから近づいてくる!!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ズゾゾゾゾゾズザザザザァーー!!
足の裏から抜けて、ひざをゆらし、腰を震わせ、内臓を突き上げる衝撃。
その発生源はおそらくーー、
不吉な予感に振り返った一行の目に予想通りのものが飛び込んでくる。
「……ちっ、追いつかれたか」
「まったく。しつこいにもほどがあるのじゃ」
「ええ。タチの悪い殿方ですわ」
小夜が舌打ちし、野菊と胡蝶がためいきをつく。
案の定、地響きの正体は一行に追いついたカッシーニであった。
……いや。正確にいえば果心居士の一部というべきか。
異形に姿を変えた魔人の触手が一本先行してきて、ヒクヒクと動き洞穴内のようすを探っている。
そして物音か振動かにおいか。理由はわからないが気配を感知したらしく、薄汚い触手の先端がモコモコと盛り上がり、瞬く間に目と口が形成されていった。
この世のものとも思えぬ悪夢のような光景がくりひろげられたのち、あらわれた一つ目がゆっくりと開き周囲をなめるようにながめる。
かくして、一行の姿を確認したカッシーニのなれのはては、ヌラヌラ濡れ光る唇を粘ついた音を立てて口を開いた。
「いたなァ……そこカァァァ!!!!!!」
猛獣の咆哮に似たカッシーニの野太いさけびが洞窟内に反響。びりびりと岩肌を震わせる。
とらえた獲物たちをもてあそぶような口調で異形へ姿を変えた魔人はこう続けた。
「おぬしらのせいデ、だいぶ凶屍が減ってしまっタゾ。この借りはどうやって返してもらおうカァ!!?」
実際のところ、犠牲となった凶屍の大部分はカッシーニが食欲のままに食い荒らしている。
しかし、カッシーニにしてみれば、それすら正重たちのせいということになるらしい。正重らが現れなければ、この姿になることもなかったーーという勝手な理屈なようだ。
さらに新たに数本、触手が追いついてきて、先ほど正重らが倒した凶屍の遺骸を溶かし、むさぼり食らっている。
人間の醜さを凝縮し、具現したかのような外見とふるまいに娘たちは思わず目をそらした。
一方、凶屍の死体を捕食し終えた、カッシーニの触手は巨大な唇から満足そうにげっぷを漏らす。
そして全身を震わせるや、無数の唇を作り出し、すべての口からこう告げた。
「さあ、集まレ、凶屍ドモ!!!!」
巨大な肉塊と化した体から放たれた圧倒的な声量は、洞穴の反響もあいまって遠くまで届いたようだ。
主の命にこたえ、洞穴のあちこちから凶屍たちのうめきが響く。
忍びたちと錬金術師――最終決戦の幕がいま、開こうとしていた。




