胡蝶の提案
「はあ……はあ!」
入り組んだ狭い洞穴内――胡蝶は必死で駆け抜ける。その背中を汚らしい肉色の大蛇が追っている。
もちろん蛇の正体は凶屍としての本性を現した怪人カッシーニである。いかなる原理か知らぬが、傷を負った老錬金師は奇怪な姿に身をやつし胡蝶を襲ったのだ。
ありえないほどの肉の膨張、眼前で膨れ上がった質量。胡蝶は目を見張ったものの、本能的に敵へ背を向けて逃走を開始する。
反射的なその判断。まちがいでなかったことは……すぐにわかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ぐおおおおおおおぉぉおぉぉおぉうううう!」
「……きゃ!」
カッシーニの実験室を出て最初の曲がり角。ばったり出会った若い男の凶屍につかまれかけたが、胡蝶は間一髪身をひるがえす。
混乱のため、舞のように軽やかな足取りとはいかなかったが、俊敏な動きで愚鈍な凶屍を回避した。
襲いかかろうと伸ばした手を、あっさり避けられ、凶屍はたたらを踏む。
と、そこへ――。
――びゅるびゅるびゅるッ!
後から追いついたカッシーニ――いや、もはや怪物と成り果てた肉の蛇が殺到した。
洪水のようになだれ込んだ細長い肉の群れは若い凶屍を包みこむ。
「……あ? あがぁぁぁぁぁ!?」
肉の蛇に包囲され、最初はけげんそうな表情を見せた凶屍だったが、次の瞬間、叫び声を上げる。
そのわけは――凶屍に触れた肉蛇から奇怪な粘液が垂れ、その薄茶色の気色悪い液が凶屍の肌を溶かしはじめたからだ。
粘液が触れた箇所から、じゅうじゅうと音がして水蒸気が上がり、火山の熱泉からするような悪臭までただよう。
「がぁぁぁ、あがぁぁぁぁッ!」
恐怖を失ったはずの生ける亡者、凶屍ですら悲鳴を上げ――自らを溶かす肉の蛇を引きはがそうとした。
だが肉蛇に触れた手も煙を上げ、溶解させられる。さらに伸ばした腕にも肉の蛇が巻きつき、粘液でもって溶かしはじめた。
かくして――あがき、もがき、もだえる凶屍に肉の蛇は絡みつき溶解させていく。
動きを止めた凶屍の体を、すべてどろどろに溶かしてのち、凶屍であった溶液を吸いだす肉の蛇。
ずるずるじゅるじゅると音を立て凶屍を捕食する、その姿を胡蝶は青白い顔でながめていた。
一方、肉の蛇は溶液を吸ってふくれたその体を、胡蝶に向ける。
ぬらぬらと濡れ光る表皮の一部が変形し、唇の形をつくり――その唇はおもむろに開いて言葉を発した。
『少しハ、腹のたシになったガ、やはリ、若イむすめの肉のホウがイいな』
肉蛇が放つ、その声は果心居士――カッシーニのもの。
あろうことか、ぺろりと舌まで出し溶液をなめとる唇を見て、胡蝶はひどい吐き気を覚えた。
「うッ……!」
『これガ、我が妖術《肉蛇転生の法》。思い知ったカ、こチょう』
得意げに語りかける肉の蛇。さらにその一部が何個も目を形成しては、胡蝶を見つめる。
悪夢のような情景に、胡蝶の背筋に悪寒が走った。
「もう……見ておられません! ああ、このような化け物――主と仰いだは一生の不覚!」
つぶやいたその場で反転し、胡蝶は巨大金塊が眠る一間まで急ぎ向かうことにした。
この怪物を倒すには、旅をともにしてきた忍びたちの協力が必要と悟ったからである。
『待テ、こちょウ、おとなしク、我が養分トなレ』
その背中を――肉の蛇があざけるようにうねりながら追いかけていく。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
かくして入り組んだ洞穴の中を駆け回り、黄金絶壁が見下ろす一間にもどった胡蝶だったが――、
くのいち少女二人の冷淡な声に迎えられる。
「……裏切り者め。なにをいまさら」
「ああ、どの面を下げてもどってきた?」
だが胡蝶は気にしない。
間延びした口調は影をひそめ、真剣な声でこういう。
「敵をだますにはまず味方からというでしょう? そんなことより、今はあの怪人――いえ、あの化け物をどうにかしないと」
「……うむ。そのとおりだな」
うなずいた正重の視線の先、肉の蛇がのたくっている。
室内にどんどん入ってくる薄汚い肉塊を前にして、表情によゆうがなかった。
うねうねと蠢く肉蛇は、そこらに落ちている凶屍鬼の死骸にたかり動きを止めている。だが消化を終えるまでそれほど時間は残されていないようだ。
目の前の獲物を片付け、一行に襲いかかってくるまで、残りわずかにちがいない。
「まさか……あの果心居士が、このような怪物に変ずるとは……」
「ふむ。異人であっただけでも驚きじゃが、そもそも人にあらざる化生の者であったとはのう」
忍びらしく見苦しくふるまうことはないものの、才蔵と佐助の両名にも嫌悪の色が見て取れる。
そして佐助は正重にたずねた。
「どうする半蔵どの? あのような怪物相手の立ち回りなど、長く忍びをやっているわしとて、したことがないぞ?」
「それでしたら一つ案が――というより、これ以外に手はないでしょうね」
そこで胡蝶が口をはさみ、全員が銃使いの少女のほうに視線を向けた。
一同を代表して正重がこうたずねる。
「ほう。聞かせてもらおうか?」
「……この洞穴内のあちこちに密かに煙硝をしかけておきました。あとは導火線に火をつけるだけ。元は凶屍たちをまとめて葬るためでしたが……あの怪物を討つにも使えましょう」
と胡蝶はささやく。
忌まわしき怪物と化した果心居士に聞こえぬよう、配慮しているのだ。
「なるほど……爆薬か。それは心強い……で、それはどれほど? どこに隠してある?」
その声に合わせ、小声に直した正重がふたたび問うと――胡蝶は佐助と才蔵、真田配下の忍び二人に顔を向ける。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「そちらの二人のご協力がいります。なんといっても、ここの地理に詳しくなければ脱出もおぼつきませんでしょう?」
「ほう……ま、たしかにそうじゃな」
「うむ……話を聞こうか?」
「はい。では――」
胡蝶は自分と同じく果心居士に仕えていた二人に依頼する。
肉蛇がいるため、最小限の言葉で爆弾のありかを教えた胡蝶に、佐助は不安げな返答をした。
「……わかった。しかし、ずいぶんとあちこちにしかけたものじゃのう?」
「ええ、金山すべてを吹き飛ばすには、しかける場所をこれ以上少なくするわけにもまいりませんから」
「うむ。それはわかる。じゃが、これだけの数、我らだけでは点火出来ぬかもしれんぞ?」
「分かっております。そこで――半数はお二人にお願いしたく。手分けして点火してください。もともとわたし一人でやろうとしていたことですから猶予を見て導火線は長めにとってあります。点火から脱出までの時間は十分にありましょう」
「……うむ」
「わかった」
佐助と才蔵がうなずいたのを確認すると、今度は正重に顔を向け胡蝶は願う。
「――残り半数はわたしが点火します。しかけた当人ですから、もっとも効率がよい経路で回れましょう。あなたたちは、その間に金山から脱出してください」
「胡蝶! それではおぬしがもっとも危険ではないか!?」
「いいのです。火薬を手に入れるためとはいえ、そして正体を知らなかったからとはいえ――あのような怪物のもとで働いていた一族の罪滅ぼしもありますから……」
と、目を伏せた胡蝶はつぶやく。協力を拒否するその姿に、命がけで責務を果たそうとする忍びの矜持が見えた。
ここまで必死に来たのも命惜しさに助けを求めたのでなく、佐助や才蔵の協力が必要だったからにちがいない。
裏切りに対し激怒していた小夜や野菊も胡蝶の覚悟に言葉を失っている。
「さあ、みなさま――急いで脱出なさって」
そこで、さらに皆をせかす胡蝶。
しかし、正重は首を横に振った。
「……いや、ならん。おぬしを護衛し、我らもともにいく」
「え……?」
「そうじゃ。そもそもこの金山に慣れたおぬしがいなければ、脱出はむずかしい」
「ああ。それに手柄を独り占めされては風魔衆の名折れ」
あっけにとられた胡蝶に対し、言葉をそろえて協力を申し出る三人。素直ではない物言いもあったが、裏切ったはずの胡蝶を三人は許していたのだ。
その事実に胸が熱くなる胡蝶。それでもとどめようとしたが――、
「いえ、でも……」
「『でも』はなしじゃ。イヤでもついていくぞ胡蝶」
「……はい。では……お願いします。」
泣きそうな顔を見せたあと、胡蝶は素直に協力を願う。
その背後、凶屍鬼の筋骨隆々な体すらあっさり溶かし、短い時間で吸い尽くした肉の蛇が、ゆっくり鎌首をもたげた。
そして、その蛇の表面に目と口――会話と視認のための器官が形成される。
『……ほウ、姿を見失ったかと思えバ、こんなところにいタか?』
と、話しかけてきた不気味な怪物――才蔵と佐助は顔をしかめつつも、冷静に分析する。
「どうやら目を作り出さなければ、どこにだれがいるかはわからないようですね?」
「それは少しばかり有利な事実じゃが……そんなことより気色が悪いのう」
そんな佐助の感想にうなずく一行。凶屍鬼を捕食した肉蛇の不気味な行動と、外見のおぞましさに忍びたちは震えた。
だが今は嫌悪感に支配されているわけにはいかない。彼らにはやるべきことがある。
正重は忍びたちに声をかけた。
「兄上、佐助どの、そちらの受け持ちはおまかせする。胡蝶、我らを案内してくれ――では……散ッ!」
「応ッ!」
呼びかけに応え、いっせいに駆け出す忍びたち。
佐助、才蔵、正重と少女たち――三手にわかれた一行は、黄金絶壁の間から、それぞれ別の出口に姿を消していくのだった。




