反転別離
背中に突きつけられた凶器――自らのあたえた連発火縄銃の感触に老怪人カッシーニは震える。
「胡蝶、なんの冗談だ……?!」
絶対に裏切らぬと思っていた配下、銃器使いの少女が見せた突然の離反劇。
いまだ信じられぬカッシーニは白い顔色をさらに蒼白にして問うた。
「そなたらの一族にあたえた恩義を忘れたか!? 我なしにそなたらの一族が立ちいくと思っておるのか!? 亡き太閤秀吉の紀州征伐により、そなたら雑賀衆が困窮していたところを救ったのはこの我ぞ!」「……ええ。たしかにわたくしたちの危機を救ってくださったのはあなたさま――でも、その後、それを恩に着せて散々いいように使いまわしてくださいましたわね。我ら一族のなかで、その点を恨みに思わぬものはおりませんのよ」
「くッ……!」
身動きできぬながらも必死にたずねるカッシーニだったが、胡蝶から帰ってきたのは冷笑だった。それだけでなく妖艶な口調にも鋭く怒気がただよう。
この少女が初めて示した負の感情は強烈なもので、向けられたカッシーニは言葉を失った。
「多くの一族が、あなたさまの野望のため命を落とすはめとなりました。それでもあなたに従っておりましたのは火薬の流通をあなたさまが握っておられたから。鉄砲使いの一族として生命線を握られていたからですのよ」
「ならば……なぜ!? 我がおらねば火薬は手に入らぬことに変わりはあるまい!?」
「……いいえ。そうでもなくなりましたの」
「なん……だと……?」
語調激しくたずねたカッシーニに、胡蝶は淡々と答える。
返ってきた予想外の言葉にカッシーニは絶句させられた。そのようすに小さな報復をなしとげたと確信した胡蝶は、満足げにいう。
「……ふふふっ、『おらんだ』に『えげれす』でしたか? あなたの故国『いすぱにあ』の膨張を望まぬ商売敵がございますでしょう? そちらから火薬を安く仕入れさせていただくことになりましたわ」
「――ば、バカな!? そのようなこと許されるはずが……!? だいたい、今まで我が下にいたそなたらがすぐ信用されるわけなかろう!」
「ええ、ふつうならば……」
「な、まさか!?」
強く言い返したカッシーニにたいして、胡蝶はよゆうを見せたまま。
その反応に老錬金師は一つの可能性を思いつき、震えた。
「…………おぬしら、我をやつらに売る気だな?」
「そのとおりですわ。日ノ本の国を狙う不届きものの身柄です。高く売れることでしょう。雑賀衆としても大いなる喜びをもって、酷使してくれた主――果心居士を売らせていただくというわけですの」
今や、はっきり身を固くした主に胡蝶は喜々と裏切りを告げる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
裏切られたカッシーニは声を怒りに染めてどなりつける。
「きさまらッ! 主である我を売ろうというのかッ!?」
「ええ。まさしく。ここのところのあなたさまの非道はさすがに目に余りますもの」
威圧するようなカッシーニにも胡蝶は礼儀正しく答えるが――しかし、その声には嫌悪がにじんでいた。
胡蝶は断固としてカッシーニの所業を糾弾した。
「武器を欲しがる欲深な大名どもに銃や火薬を売る――ほめられた所業ではありませんけれど、まだ耐えられました。しかし人を怪物に変えるあの邪法はいけません。あのような邪術に関われば、一族はあなたもろとも恨まれ、滅びに向かうことになります。さすがにそこまでお付き合いする気はございませんもの」
「……それゆえに我を売り、別の……徳川やエゲレス、オランダの下につこうというのか?」
「はい。この国の転覆をはかった怪人の身柄と引き換えに……」
もはや、これは決まった事実――短く冷徹かつ事務的な胡蝶の口調に、そんな意志が読み取れる。
胡蝶の態度にすべてを悟ったカッシーニは自嘲の笑いを漏らした。
「ちッ。ぬかったわ。やっと積年の野望がかなうというここまできて、まさか身内に巣食う獅子身中の虫にやられようとは……」
諦念、悔恨、無念、寂寥――さまざまな感傷が混ぜ合わされた言葉がカッシーニの口からこぼれた。
そのさまに胡蝶は小さくため息をつく。一族には積年の恨みもあったが、この怪人により救われたことも事実であるのだ。複雑な思いが胸を焼き、罪悪感が胡蝶にこう言わせる。
「神妙に……縛についてくださいませ。非道をなされた方とはいえ、一族の恩人であるあなたを手にかけたくはございません」
「ふッ、愚かな……裏切り者がなにをいまさら!」
だが胡蝶の情けと憐憫を振り払うようにカッシーニは大声を上げる。
そして次に高々と笑っていった。
「そもそも――裏切った時と場所が悪かったな。今ごろ凶屍鬼が忍びどもを倒し、こちらに向かっているころだろう。我を捕縛しようにもそうはさせんぞ!」
「……いえ、それはどうでしょうか?」
カッシーニが持つ、己の創造物に対する絶対的な自信――胡蝶はふたたび笑顔で否定した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
カッシーニに胡蝶が決別を告げていた、そのころ――、
正重をはじめとする忍びたちは凶屍鬼を屠りつくしていた。
「――グオオオォォォォ!!!」
さけびを上げて正重に襲いかかった凶屍鬼であったが――、
――ぶうぅん!
剛刀一閃――正重の払った一撃で左ひざを斬り落とされた。
さらに――、
「ぐ、ぐぅぅぅ!」
左足を失った凶屍鬼は、それでも這って進もうとしたものの、ふたたび振り下ろされた一刀に頭部を目のあたりで両断され――頭の鉢を失った凶屍鬼は他愛もなく絶命させられる。
かくして凶屍鬼らは駆逐されていき――残る数はわずかとなった。
が、しかし、それでも凶屍鬼たちは引こうとしない。
主カッシーニの命に忠実に従っているのだ。劣勢となっても逃げようともせず、ことごとく命を刈り取られていく新種の凶屍――あわれなその姿に高坂野菊はため息をつく。
「やれやれ。気分の悪い戦いじゃ。もっともあちらが引いてくれんのではしようがないが」
「そう言うな。正重の奮闘がなければ、えじきとなっておったのはこちらかもしれぬ」
浮かぬ顔の野菊に応えたのは小夜だった。
もっとも戦いの中、のんきに会話できるのも、よゆうあればこそ。
新種でもあり凶屍鬼の数は少なく貴重だ。それでも怪人カッシーニはおごったつもりで、正重らの三倍ほど数を用意したのだが――、
正重の秘術『明王心法』の前には剛力も通じず、むなしく数を減らすばかり。凶屍鬼の全滅は近い。
強敵と思われた凶屍鬼――新種の凶屍鬼らに対し、自分たちが上げた戦果。野菊や小夜、佐助に才蔵など忍びたちも驚いていた。
「……ふむ。これが忍びが力を合わせたときの力か? たいしたものじゃ」
「ああ、まさかこれほどのものとは……」
風魔小夜の鋼線術に高坂野菊の未来視――少女二人の協力は当の本人たちが驚くほど強力な戦術であったし、秘術による正重の驚異的身体能力や佐助の老練な戦闘技術と組み合わされば、より恐るべき技となるかもしれない。
最後に残った一体の凶屍鬼――倒しに向かう正重の背中を見て野菊は思う。
「『すべての忍びが争わず、力を合わせてこの国の平和を守る』。きれいごとのように思えていたが、これだけの力があれば可能もしれぬ」
「……うむ」
野菊の感想に小夜が同意した。
もっとも、その先を小夜は苦い口調で続ける。
「いや。佐助や才蔵どのとは力を合わせられぬかもしれぬが……」
すでに小夜も野菊も、当代の伊賀衆頭領・正重の提案に乗るつもりでいた。『徳川の治世下で忍びの力を集め、世を平穏に導く』という誘いに心惹かれていたのだ。
しかし佐助と才蔵は徳川家と対立する豊臣家につかえる真田の忍び。この戦いが終わり、共通の敵である果心居士がいなくなれば、敵対せざるをえないかもしれない。
対立することもあったが、共闘する中で心を通わせた相手と戦うことになる――そんな事実に小夜はさびしさを覚えていた。長年、争いあっていた風魔と透破が共闘できるとしった今なら、なおさらである。
(どうにかして佐助や才蔵どのも味方にできぬものか?)
そんなことを考えた小夜の――、
「……しかたがないのう。わしとて気は強いがきれいな娘を悲しませとうはないが……」
「ひっ!」
考えを読んだように、ふっと背後にあらわれた佐助。
いつも凛々しい小夜も驚かされ、めずらしく娘のような声を上げた。
そんな小夜の姿に、ひひひと声を上げて笑う佐助であったが――ひょうげた態度から一転、真剣な表情にもどして言う。
「しかし……真田の殿を捨てるわけにはいかぬ」
「……同感」
一歩も引かぬ意志を示した佐助に才蔵が同意する。
と、そこへ――、
「……協力しあえるのがここまでとは……残念です。兄上、佐助どの」
残る凶屍鬼――その最後の一体を倒した正重が息を整えつつ、もどって言った。
――なんとか戦いを避けられぬものか?
――なんとか忍び同士で協力できぬものか?
そんな願いを顔に出し苦しそうにいう正重に佐助は顔をそむけ、才蔵は噛みしめるようにこういう。
「幸村さまには幸村さまの。我らには我らの。そしておぬしにはおぬしの……みなが互いに譲れぬものがあるということだ。子どものようにわがままを申すでない」
どことなく幼子に言い聞かせるようなその口調。対立もあったが、それでも残り続けた兄弟の情愛がそこにあった。
しかし、それもここでおしまい。果心居士との戦いが終われば二人は敵同士となるだろう。
敵味方、立場を引き裂かれた兄弟に小夜も野菊も心を痛めたが、すべては彼ら自身が決めたこと。他人が口をはさめるものではなかった。
そして、情は深くとも忍びであり伊賀衆頭領となった正重も覚悟を決めたようで――悲痛な思いを抱えつつも心を切り替えるように口を開く。
「そうか……そうだな。それが兄上の選んだ生き方というなら止めはすまい。さあ、最後のしあげだ。果心と胡蝶をとらえに……」
と、悲しげに正重が言いきろうとしたところで――。
ひどく大きな足音が飛びこんできた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
甲州隠し金山――巨大金塊の鎮座する一間。
正重らが凶屍鬼との戦いを終えたその空間に駆けこんできたのは――、
彼らが追おうとしていた『胡蝶』――カッシーニのしもべである少女だった。
「み、みなさん! た、大変です~!!!」
始めて聞く必死な口調――そしてここで目にするとは思わなかったその姿に一同が絶句する。
「な!? 胡蝶!?」
「おぬし!? なぜ!?」
「裏切ったのではなかったか!?」
彼らがあっけにとられたのも無理はない。
先ほど盛大に寝返りを見せた銃使いの少女が、また姿を見せ、なれなれしく助けを求めてきたのだから。
しかし、胡蝶はそんな思いなど気になどしない。
「――いえ! そんなことより大変なことが!!!」
みずからの裏切りを『そんなこと』の一言で片づけた胡蝶は振り返り、自分の来た道を指さす。
すると、そこには――、
……ぐにょり、ぐちょり。
てらてらと粘液まみれの表面をかがやかせつつ、うごめく『なにか』があった。
ナマコのように濡れた軟体をくねらせ、『それ』は一行に近寄ってくる。
「……な、なんじゃあれは!?」
「――む!? 気色悪いのう!」
野菊と佐助の感想はその場にいた全員の気持ちを代弁していた。
そして――一同に嫌悪の念をいだかせた『それ』、ぶくぶくと膨れ上がった大量の肉塊に思える謎の怪物体は洞穴の入り口を埋めつつ、正重らの元にせまる!




