反撃開始
甲州、武田信玄の隠し金山にて――、
せまる新たな凶屍――『凶屍鬼』に、忍びたちはそれぞれの武器をむけた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ぐるるるるるぅ……。
発達した筋骨を持つ凶屍鬼が、燦々と輝く黄金の光をあびて、殺意をこめたうめきを漏らす。
先ほど見せつけられた筋力に速力――人知を超えた力をもつ怪物に、小夜はかすかにたじろぐ。
「まったく……死に場所としては豪勢ではあるが……」
そうつぶやき、ちらりと小夜が視線を送った先、絶壁のような大金塊がそびえたっている。
自然の産みだした奇跡の金屏風はたしかに死闘の場をもったいないほど豪奢に照らしていた。
もっとも――男装のにあう負けん気の強い小夜にとってみれば気弱な発言と言える。
そんな小夜に野菊が叱咤の声をあげた。
「ずいぶんおくびょうな言葉じゃのう? おぬし、そのようにかわいらしげな女子であったか?」
「……ちッ、抜かせ。野菊」
からかわれた小夜は弱気な言葉を恥じるように強く返答した。両手の小太刀を強く握り直し、闘志をふたたび燃やしている。
そのようすを満足そうに見て、野菊も弓に矢をつがえた。
かくして、くのいち二人は死角をかばいあうように凶屍鬼どもと対峙する。
(……よしよし。いろいろとあったが、わだかまりは消えておるようだな)
野菊と小夜――敵対していた二人の少女が協力し合う姿。正重は危地にもかかわらず、うれしく思った。
その心のまま正重は二人をかばうような位置につき、さりげなく体を張って守っている。
――そんな弟の姿に霧隠才蔵、かつての先代半蔵は小さくため息をついた。
だれよりも忍びとしての才能がありながら、優しい心根のあまりに苦悩していた弟の姿を思い出したのである。
(……それでも世の平安のため、あやつは心を殺して忍びとしての任務についていた。昔の野心に満ちたおれは地味な影働きについたあやつを笑っていたが……今は、やつの気分がわかる気がする)
才蔵はそんな自分の心境の変化に驚く。
真田幸村と猿飛佐助――自らを救った主と同僚とすごした日々は知らず知らず、野望を失い、失意にまみれていた才蔵の心を癒し、変えていたのだ。
そして今は……正重のほうが伊賀衆頭領としてふさわしいとも思えた。
(追放されたうらみも、頭領の座を奪われたねたみもない。心の底からそう思える。実にすがすがしい気分だ……不思議なことだな)
凶屍鬼に囲まれるという危機にありながら、心を満たすなにか。
胸がぽかぽかと暖かくなる感覚を味わいつつ、才蔵は弟にこう告げる。
「……おい、正重。手抜きをして勝てる相手ではなかろう。出し惜しみせず『明王心法』を使え」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「明王……」
「心……法?」
『明王心法』――才蔵が告げた耳慣れぬ言葉に野菊と小夜は首をかしげた。
一方、正重は――、
「……うむ。そうであった。出し惜しみなどしている場合ではないな。兄上」
あっさりと『明王心法』の名を口に出した兄に驚きつつも、深くうなずく。
そんな兄弟二人の言葉に、佐助があっけにとられた表情で口をはさんだ。
「明王心法? まさか……おぬし、あの『不動明王心法』を使えるというのか?!」
「……ええ。武家の出でもない我らの父・正成が戦場で武士に引けをとらず、そればかりか『鬼の半蔵』とまで呼ばれた理由は……一族に代々伝わるかの秘法を用いたからです。そして秘法は我ではなく心法に長けた弟に受け継がれました」
佐助の問いに、才蔵が淡々と応える。
「佐助どの……明王心法とはなんじゃ?」
「うむ……聞いたこともない」
話についていけずたずねたくのいち二人に――、
「……わしも見たことはない。くわしい話も聞いたことがない。なんといっても秘法じゃからな。しかし降魔調伏を任とする不動明王のごとく、鬼神すら下せる剛力を手に入れる技じゃと聞いておる」
「なんじゃと! 鬼神すら……?」
佐助はうやうやしげに答えた。
その畏怖にあふれた佐助のようすに、野菊はおどろく。
(猿飛佐助――伝説の忍びと呼ばれた男がこうも恐れ敬う技、いかなるものじゃ?)
野菊、小夜、佐助――旅の仲間から集まる視線。
急に注目をあびた正重は戦いの場にもかかわらず、恥じらいあせった。
「……いや、なに。そこまでたいそうな技ではない。この技は使い手を選ぶでな。うかつに用いれば自滅につながりかねぬゆえに『秘法』と呼ばれていただけだ」
――そう言い、正重は思わず頭をかく。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて――そもそも正重の使う『明王心法』とはいかなるものだろうか?
その答えは……おのれの心に呪をかける秘法。現代でいうところの『自己暗示』である。
自らに暗示をかけ、ふだんは体を壊さぬため無意識に封印されている限界の領域まで思うがままに使い切るという……ただ、それだけの技だ。
しかし――限界領域での力のあつかいは繊細にすぎ、困難極まる。
感情にまかせて力をふるえば体はあっさりと限界を超え、自らの力で壊れてしまう。
それだけに術者には綿密な自己管理がもとめられる。ふだん無意識にやっている『己の体に起こる事象の管理』を自らの意志ですべてせねばならぬ。並大抵の精神力ではなしえない荒行なのだ。
――ゆえに、その術の難しさを知る才蔵はこういう。
「なにが大したことのない技だ。多くのものがこの秘法にいどんでかなわず、習得したものの中にも扱いをあやまって廃人となったものもいる。それゆえ門外不出の秘伝とされたのだぞ。このおれですらも恐ろしくて身につけられなかった秘法だ。たいしたことのない技であってたまるものかよ」
弟の言葉に才蔵は首を横に振った。
老忍び・猿飛佐助も年少の同僚に深く同意する。
「……ふむ。常人ならば火事場や死地でしか出ぬはずの力を、自らの意志で思うままに使えるということか? それは……恐ろしいのう」
と、術のあらましを即座に看破した佐助へ……才蔵は莞爾とわらった。
そして、こう続ける。
「さようだ。佐助どの。自制に長け我欲の少ない正重だからこそ身につけられた秘法といえる」
そう返答した瞬間、才蔵が見せた誇らしげな表情に正重は言葉につまる。
「あに……うえ……」
そりが合わず、すれ違いつづけていた肉親――野望を見過ごせず、追放したはずの兄が認めてくれた。
その事実に思わず歓喜し、正重は心をおどらせる。
(……いや、いかんいかん)
だが今、使おうとしている術には、平静な心でのぞまねばならない。
はやる心を苦労して鎮めると、正重は凶屍鬼に目をむけ、戦いの準備に入る。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「のうまく……さまんだ、ばざらだんかん、のうまくさまんだ、ばざらだんかん」
戦場にも関わらず豪胆にも目をつぶり、印を結んだ正重が唱えだしたのは……不動明王の真言であった。
幾度か真言を唱えたあと、さらに続けて――。
(……不動尊よ、わが体に宿りたまえ。自在の法力をもちて難敵を討たせたまえ!)
正重が内心で願うと、何者かが憑依し、自らの体を操っているという不可思議な感覚が湧く。
現代風に言えば、神仏などの超越者が自分の体を道具として利用している――そう思いこむことで身体感覚を自在にあやつるという自己暗示であった。
「のうまくさまんだ……ばざら……だんッ! かんッ!」
そして――勢いよく真言を唱え終えた正重から尋常ならざる闘気が立ち上った。
そのさまに対峙する凶屍鬼たちが思わず震える。
正重に襲いかかり、脅威を覚えさせた凶屍鬼たち。
だが、しかし――彼らのほうも忍びたちの力を察し、容易ならざる相手と本能的に見て取っていた。
そのため、うかつに手を出さず遠巻きにすきをうかがっていたのだ。
それが……どうであろう。
目の前の『獲物』と思っていた相手が、妙なうなりとともに威圧感を放ちだしたではないか。
野生動物は直感で相手と己の力量の差を見て取るというが、獣にひとしい凶屍鬼たちにも、よく似た勘がそなわっていた。
その野生の勘が凶屍鬼たちに告げる。
……危うい。負ける。このままでは獲物にされるのは自分たちだ!
脅威を悟った凶屍鬼たちは耐え切れず、恐怖の根源たる正重に襲いかかっていく!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――ぐおおおおおおぉぉ!
まず一体目――今さっき正重を襲った凶屍鬼がしかけた!
再びの襲撃は先ほどよりも速い。どうやら先だっての攻撃は全力を出し切っていなかったようだ。
恐怖のあまり、今度は本気を見せた凶屍鬼の突進は影も残さぬ速さ――常人の目には捕えられぬほどの迅速さで正重にかかっていく。
が、しかし――、
そうであっても――。
(遅い……な。たいしたことはない)
……たちむかう正重には凶屍の疾走が、ゆったりと歩んでくるように見えた。
これまた『明王心法』の働きである。明王心法の長所は筋力だけでなく感覚や知覚の力も上げるのだ。
うかつに使えば音やにおいの強さに耐え切れず、術者の神経が焼き切れてしまうが、今の正重は己の意図した感覚だけを望むままに強くできる。
それゆえ、たった今、正重の反射神経と動体視力はこの場にいるだれをも上回っていた。
もちろん、人外の化け物である凶屍鬼ですらその例外ではない。
そして正重は――手に入れた超感覚と目に留まらぬ神速で凶屍鬼に反応する。
ぶぅん……。
ずばっ――!
凶屍鬼が伸ばした太い腕、最小限の動きでかわした正重は――差し出されたひじを斬り上げた。
倍増した正重の腕力で刀が振り抜かれ、ずっしりした凶屍鬼の腕も抵抗なく軽やかに両断する。
さらに続けて――、
ざしゅ――!
正重が横殴りに払った斬撃が凶屍鬼の首筋に走る。
常人の腹回りほどもあった太い首も剛腕の斬撃にはひとたまりもない。凶屍鬼のうらめしそうな生首が高々宙を舞い、先に斬られた腕と同時に床にごろんと転がった。
そして数秒後――斬首されたことなど知らぬように立ち尽くしていた凶屍鬼の体も、ようやく地に倒れる。
どうッ……!
「……これでまずは……一つ」
凶屍鬼の崩れ落ちるさまを見届けた正重は堂々宣言した。
自信に満ちたこの声は、数の上で劣勢にあった忍びたちに勢いを与える。
「おお!」
「なんという……力量か!?」
「さすが……伊賀衆の頭領じゃ」
驚嘆と賞賛の声をあげるとともに勇気づけられる野菊、小夜そして佐助。
一方、凶屍たちは――。
じりり……。
思わず後ずさりした。
正重の見せた驚くべき速さと強さが、恐れ知らずの凶屍にもおびえをいだかせたようだ。
と、そこへ――、
「――征ッ!」
気勢を上げて、今度は正重が逆に襲いかかる。
たちまち二、三体と切り捨てられ、圧倒的に優勢であると思われた凶屍鬼たちに動揺が走った。
そして――忍びたちの反撃が始まる。




