再びの老忍
小夜の腕――深々と刻まれたのは凶屍の歯型。
それは遠くない未来、理性を失った化け物へと変えられてしまう証――絶望の刻印だった。
ここまで凶屍の姿を見て、その手で屠ってきた小夜には認めがたい状況である。
となれば――小夜に残されたのは、凶屍となる前に自らの手で己の命を絶ち切る選択だけ。
「早まるなよ、小夜!」
「そうじゃ! まだ手はあるやもしれぬ!」
「いやだ! わたしは……あのような化け物になりとうない!」
正重と野菊は小夜の絶望と恐怖を知りつつも、なんとか自害を止めようとするが……その想いは小夜にはとどかない。
二人の目の前、愛用の小太刀を首に当て、一気に動脈を断ち切ろうとする小夜だったが――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――よせ! 小夜ッ!」
野菊の一声が小夜に一瞬のためらいを生んだ。
それでも小夜は、再び小太刀を握り直し、己の命を絶とうとする。
しかし、その隙に――、
――ガツッ!
鋭く風を切って飛来した『なにか』が、小夜の手の内――小太刀をはじき飛ばした。
「――なっ!?」
驚愕の声を上げる小夜。その手から小太刀は取り落され、カランと地面に転がった。
それとほぼ同時……小太刀をはじき飛ばした『なにか』も、ぽとりと地に落ちる。
正重、野菊、小夜――三名の視線が集まる先、地に転がっていたものは、なんの変哲もないただの石くれだった。
「石つぶて……じゃと? いったい……だれが?」
唐突な事態に野菊は、ぼうぜんとつぶやく。
この石つぶて――投じたのは野菊でもなく正重でもない。飛んできたのは二人がいるのとは逆方向だ。
不可思議なできごとに小夜の起こした騒動の毒気は抜かれ、三人はぽかんとした顔を見合わせる。
――そんな三人に対し、洞穴の奥からしゃがれた声が響く。
「……やれやれ。防げたか。まったく火のような気性の娘たちじゃのう」
あきれたように言う老人の口調に小夜と野菊は聞き覚えがあった。
暗がりから届く声の主――正体に気づかされた野菊は、その名をさけぶ。
「きさまッ……猿飛佐助!? なぜ、お前がここに!?」
「――うむ。男のような身なりとふるまいとはいえ、よくみれば上玉。年ごろのうるわしき娘が目の前で死ぬのは……やはり後味が悪かろうて」
と、人を食ったような戯言とともに、闇の中から姿を現したのは――。
なんと、敵の首魁『黄金どくろ』の配下――猿飛佐助であった!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
洞穴の奥――塗りつぶされたような闇の奥から、足音一つもなく猿飛佐助が姿を見せる。
知る人ぞ知る伝説の老忍びは先に見かけたときと同じく、これまた忍びであろう若い男を同行させていた。
「……やれやれ。長いこと使っておらぬ隠し通路から人の声がすると思えば……おぬしらか? てっきり幽鬼のたぐいかと思うたぞ?」
と、にんまり笑って冗談を言う老忍び。
しかし、そのふざけた態度とは裏腹に身のこなしにすきはない。
(……なぜ、このようなとき、もっとも会いたくない敵に!?)
驚きから立ち直った野菊は絶望的な表情で佐助を見る。
逃げることも難しい相手な上、背後には凶屍によって手負いにされた小夜までいるのだ。
男装のくのいち少女をかばうように立ちながら、野菊は最悪のめぐりあわせを嘆き、天を呪った。
だが――、
野菊の隣りに立っていた正重は無造作に佐助に近づいて行く。
「――正重! なにをしておるのじゃ!?」
伊賀衆頭領半蔵とは思えぬ、かつての大久保正重のようなふるまいである。
さすがにあわてた野菊が口をはさんだ。
が――正重はかまわず歩を進めていく。
そしてなんと……ぺこりと頭を下げ、あいさつまではじめた。
「お初にお目にかかる、猿飛どの。それがしが当代の服部半蔵――正重だ」
「――うむ。こうしてお目にかかるのは初めてじゃのう、当代の半蔵どの。わしが佐助じゃ」
出会ったのは凶屍という化け物が横行する場所。しかも、おたがい敵同士であるはずの状況。
なのに、二人はまるで初顔合わせの親戚のように親しげに言葉をかわしている。
そんなわけのわからぬ事態にふだん謹厳な野菊の表情が、めずらしく崩れた。いつもはきりっと引き結ばれた口もぽっかりと開けられている。
「……な、なんなのじゃ? そなたら今がどのような状況かわかっておるのか?」
ぼうぜんとつぶやいた野菊に、正重も佐助も当然のようにうなずいた。
「――うむ、もちろんじゃて」
「ああ。そのとおり。この猿飛どのこそ今回の件――黄金どくろの暗躍と凶屍の発生を徳川方に通じてくれた当の本人なのだからな」
と、正重があっさり口にし、野菊は目を丸くする。
「――な、なんじゃとッ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『猿飛佐助こそ黄金どくろのもとにいた内通者であった』――正重にさらりと告げられ、野菊は驚がくするよりほかはない。
「そ、それはどういう意味じゃ!?」
混乱しつつ問う野菊。
そのようすをおもしろそうにながめつつ、老忍びは真相を語る。
「わしが通じた……というより、正確に言えばこれは我が殿・真田幸村さまのご命令じゃな」
「真田……幸村? 真田幸村と言えば、たしか関が原の戦いでは徳川家に敵対して上田城に徳川本軍を引き留めた武将ではないか? そして、その罪で紀州九度山に流され、今は大坂の豊臣家と通じていると聞く……そのお方が、なぜこのようなことをなさったのじゃ?」
真田幸村――かつて武田家臣であった昌幸の子。甲州忍びである野菊にはなじみが深い名であり、当然、おかれた事情もよく知っている。
徳川家の敵といっていいその真田幸村が、なぜ配下を通じて徳川家に手を貸そうとするのか?
野菊の当然といえば当然の質問に大きくうなずき、佐助は答える。
「たしかに徳川は殿にとって宿敵。しかし天下万民のことを考えれば、それより優先すべきことがあると我が殿はお考えじゃ。我ら配下の忍びを味方と偽って黄金どくろのもとに送り込み、事情を探らせていたのもその懸念ゆえよ」
「ほう……やはり黄金どくろは豊臣方だったのじゃな? しかし、宿敵であることよりも優先させるべき懸念とはいったいなんじゃ?」
しだいに明らかになっていく真相――まどいつつも野菊は話の先を求める。
「……うむ。徳川家の隆盛を恐れた大坂のおふくろさま――淀どのの怯えに黄金どくろがつけこみ、イスパニアの援助を求めさせたのじゃよ。この国にある黄金と領土割譲を引き換えにな。しかし我が主・幸村さまは南蛮人の助けを借りることに反対じゃった。うかつに借りを作ればのちの侵略の口実になる。そうなれば、この日ノ本の国が外つ国に呑み込まれてしまう……とな」
「……なるほど。あの黄金どくろはイスパニアの回し者じゃったか。そなたの主は賢明じゃな」
知将として知られた真田幸村は徳川家の脅威より他国の侵略――そして黄金どくろがまき散らす害のほうが大きな災いであると判断したのだろう。
佐助の返答に納得した野菊は、深々とため息をつく。
――と、そこで正重が口をはさみ、老忍びから説明を引き継いだ。
「黄金どくろの動きを危ぶんだ真田どのから、その……『とある伝手』をたどり、伊賀衆の頭であるおれのもとに密書が届いてな。老中・本多さまとともに情報を集め検討していたところで、例の凶屍の一件が起きたというわけだ」
「……それで我らがこの地に送られたというわけか――しかし『とある伝手』とはいったいなんじゃ?」
正重の説明にうなずきつつも、途中の物言いが引っかかった野菊が問うと――。
今度は老忍びがため息をつき、同行者のほうへ呼びかける。
「おい、才蔵――早うこっちへ出てこぬか。ひさびさに身内に会う機会じゃろうに?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――は? 佐助、おぬし、なにを言うておる?」
『兄弟』――佐助が口にした言葉が腑に落ちず、野菊は首をかしげる。
『いったい、だれとだれが兄弟であるのか?』――深まる疑問が思わず口をついて出た。
「……兄弟じゃと? どういうことじゃ?」
「どうもこうもない。そこにおる男、今は霧隠才蔵と名乗っておるが――元の名を服部正就という。先代の伊賀衆頭領にして、そこにおる当代の半蔵どのの兄じゃ」
――説明をするのがおっくうとでも言いたげに、ばっさりと言い捨てる老忍び。
「…………な、なんたること!?」
佐助の言葉に目を白黒させた野菊はようやく事態を飲みこんだ。
いや、言葉の意味は理解していたが、感情で飲みこむまでにここまでかかったというのが正しいか。
野菊から交互に視線を向けられた正重――そして霧隠才蔵、先代の服部半蔵だという男は、どちらも気まずそうに視線をそらす。




