第7話
砂埃を上げながら、カーは目的地である隣町へと進む。
騒ぎにならない王都の外まで、グレースに〈巨神の石〉で運んでもらったのはご愛嬌だ。
——……あれはそういう意味だよね。
未だ慣れない手付きでハンドルを握り、開けた窓から入ってくるカラッとした風に頬を打たれながら、俺は昨日のグレースの宣言を思い出していた。
グレースは言った。女王になると、真っ直ぐな瞳で。
そして、ずっと見守っていて欲しいとも言っていた。
女王うんぬんの話が最初に出てきた時、心の底からの応援を口にするつもりだった。そうなんだ。がんばってねーとか。なんか軽いな。まぁ今はいい。
ずっと見守っていてほしい。
その言葉には、きっとグレースにとって大きな意味があるはずだ。
顔赤くなってたし。そう言う意味なのだろう。
俺たちは〈復生体〉だ。当然、俺と同じ容姿のものがこの国に何百人といる。
でもそれを理由に跳ね除けるような考え方はしたくなかった。まず間違いなく、好意にはしっかりとした姿勢で向き合うべきだ。
——とりあえず、これからはもう少し真剣にならないといけない。
七百年も記憶を繋いでるのに、自分にはほとほと人間力と言ったものが無いらしい。
今にして思えば、グレースの言動にも心当たりが出てくる。
つい先日、俺は死んだ。そして生き返った。三年ぶりで、多少は久しぶりな、死亡と復生である。
王城の階段を降りて、レイチェルさんがいたのでその場死んだことを伝えた。もちろん当時の俺には自分がなぜ死んだのかはわからなかったから、簡潔な一言——死んで生き返った——だけになってしまったが。
レイチェルさんは悲しそうな表情をしていた。憂慮の眼差しを向けられて、少し失敗したなと俺は思った。でも最後には、お疲れ様でしたと、そう言ってくれた。
問題はグレースだ。
グレースに伝えた直後、グレースは俯いて顔を見せてくれなくなった。声をかけても、返事が一拍遅れる。その日は授業にならない為お開きとした。そっとしておこうと思った。
どきどきしながら迎えた翌日——彼女はいつも通りだった。
いつも通りの笑顔で、多少勇気を振り絞って言った、俺のくだらない冗談にいつも通り頬膨らませて。
少し気怠げな授業態度も、終わってからのだらけきったソファへの座り方も。
いつも通りだった。
まるで前の日の話などなかったかの様で。
それでも俺は、グレースが何も感じていないとは思わない。
あの時俯いたその表情を見ることはできなかったけれど、そこにはグレースが隠したい何かがあったのだろう。
それくらいは、俺にもわかる。
怒っていたのか。悲しんでいたのか。
それとも他にあるのか。
判別できないことが、ひどくもどかしい。
「ほんと、自分がいやになるよ」
俺の呟きは、カーのエンジン音と風の音で、俺自身にも聞こえなかった。
それにしても、風が気持ちいいし、運転も楽しい。
「つ、着いた。あぶなっ。ぎりぎりじゃん」
本当に危なかった。意気揚々とカーで出発まではよかったものの、燃料がギリギリだったのだ。念の為と、燃料を入れたタンクをいくつか荷台に乗せてきたはいいものの、燃料の量を表示する計器は『空』を示す方へと振り切れている。
カーを穏やかな気持ちで運転するためには、各所に燃料を補給できる施設が必要だ。
燃料のことをガソリンと言うのだから、その施設の名前はガソリンステーションと呼ぶ事にしよう。一号店のオーナーは俺だ。
馬車の邪魔にならないように道の脇へと車を止める。ここからは歩きだ。
といっても、隣街の門は目と鼻の先。
守衛さんに事情を説明すれば顔パスできるから手続きはほとんど必要ない。おれの顔はこの国で五百年変わることのない故郷の顔なのである。おふくろの顔と言っても差し支えはないのかもしれない。
目論見通り、守衛に軽く事情を説明して街の中へと入る。
知らない人と話すのはどこか居心地が悪い。自分は知らないのに相手が知っている場合はなおさらだ。
ひとまずと、門へと入った俺は、片手に持った〈神能者〉の情報が記された資料を見ようとして——。
「あれ?」
思わず呟いてしまった。
目の前にあるのは、普通の街並みだ。
木張の家々に、建物たち。馬車の数もおそらくはいつも通りだろう。通行人の数にもおかしな様子はない。
でも何かがおかしい。
きっとこれに気づいたのは七百年分の記憶のおかげだ。
「使うか?」
迷う。
俺は、〈神能〉を普段から使っている。だから、今使おうとしているのは、〈神能〉自体ではない。
迷ったのは一瞬だった。
「〈弱者の盾〉解除」
唱えた瞬間。頭が冴え、四肢に伝う血液さえも己の力を鼓舞しろと囁いてくる。
嫌な感覚だ。
それと同時に、普段は感じない音が、匂いが、身体中を襲ってくる。
先ほどよりもはるかに大きくなった人々の喧騒が、俺の耳を粗野に撫でる。
パンの匂いと何処かから臭ってきた汚臭が混じり合って鼻が曲がりそうだ。
「こたえるな……」
〈弱者の盾〉は、己の身体能力を抑える〈神能〉だ。
特に聴覚は鋭くなり、集中していれば、目の前の相手の脈拍すらも聞き取れる。
つまり、心の変化を読み取ることができる。
耳に神経を集中して、街の喧騒の中から自分に必要な情報を探して行く。こちらに気づいた通行人に、できるだけ愛想良くしながら街を回るに連れて、俺はある情報を聞き付けていった。
娼館の女。紫紺の髪。〈復生体〉様の敵。
概ね資料にある情報通りだ。
あとは名前の確認だけか。
「……三つ先の路地裏」
男三人に女が一人。聞こえてくる会話内容からして穏やかではない。
駆け足で路地裏へと向かうと、そこには耳からの情報通り、少女を取り囲む男が三人。
急に現れた俺を大柄な男が睨みつける。路地裏は狭く、隣り合う建物のせいで暗い。そのせいで俺の顔がよく見えないのだろう。男の視力が悪い可能性もあるのか。
「なんだてめぇ」
頭ひとつ分高いところから降り注いでくる口臭に、反応しないように苦労しながら俺は口を開いた。
「急に失礼。私の名前はリベル。出身はヴェント村。故あって王国で働いています」
そう端的な自己紹介を口にすると、大柄な男はピシャリと口を閉じて固まる。
やがて「はひ?」と呆気に取られたかのような息とほとんど同じ声を発した。
「……まさか、〈復生体〉さま?」
口の聞けなくなった大男の代わりに言葉を発したのは、囲まれていた少女の方だった。
頭の中で、資料に書かれている情報と、目の前の少女の姿を照合する。
紫紺の髪。おっけー。
年齢は二十一歳には見えないが、ひとまずおっけー。大方、働く為に年齢を誤魔化しているのだろう。
「そうです。〈復生体〉のリベル・ダ・ヴェントです。お見知り置きを」
「……この国の者なら全員知っていると思いますよ」
「たしかに。ああ、お嬢さん、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「……マーガレット・レイシスです」
資料に書いてある名前と同じだった。と言うことは全部おっけーだ。
「ありがとうございます。……それで状況をお聞きしても?」
俺は固まったままの男三人と、マーガレットに目を向けて問う。なにやら唯ならぬ雰囲気だ。先にこちらを解決した方がいいだろう。
「どうもこうもねぇ! 〈復生体〉さま、ちょうどよかったぜ!」
堰を切ったように大男とは別の男が話し出した。少し小柄で、声が甲高くてうるさい。
「ちょうどいい?」
「その女は〈神能者〉だ! 早く引っ捕らえてくれ!」
「ち、違います!」
小柄な男がそう言った直後、マーガレットが長い紫紺の髪を振り乱して叫ぶ。
その顔は可哀想なくらい青くなっていた。
「なるほど。つまり、その子が〈神能者〉だから取り囲んで捕まえようとしていたってことですか?」
「そうだぜ! 旦那! 話が早くて助かりまさぁ! とりあえず三人でと思ったが、旦那がいれば百人、いや千人力ですぜ!」
ふくよかな三人目の男が追従する。長いお髭がトレードマークだ。三人とも覚えきれるかな。少し心配だ。これっきりの関係だといいけど。
「なるほど」
耳に意識を集中する。正確には、目の前の三者の脈拍に。
だから、誰が嘘を吐いているのかはわかった。
まあ、今この状況だけに限れば、〈弱者の盾〉を解除した聴覚を使うまでもなかったかもしれない。一人だけ、明らかに顔色が違ったから。
「レイシスさん。——少し、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
俺が目を向けると、青かった顔が白へと変わった。マーガレットは目を大きく見開き、喘ぐように「そんな……」と掠れた悲鳴のような言葉を漏らす。
この反応は、俺の過去からやってきたものだ。
〈神能者〉を殺して回った、俺の過去から。
王国では、〈神能者〉が排斥されている。
もちろん、この国の王族が〈神能者〉だから、表立ってそれを理由に差別はされない。しかし、まるで犯罪者予備軍かのように扱われているという現状がある。〈巨神の石〉が特別で、それ以外の〈神能〉は全く違う扱い方をされているのだ。
それはひとえに、俺の過去の行いがもたらしたものだ。
悪いのは、ここにいる三人の男でも、マーガレットでもない。
彼ら彼女らにとっては、それが王国の歴史を元にした常識なのだ。
そして、女王を志すグレースが消さなくてはいけない、この国の理不尽そのもの。
「ひとつ、約束させてください」
俺は、ここにいる若人たちに、伝えなくてはいけない。
「確かに俺は、〈神能者〉の疑いがある貴方に会いに来ました。ですが、今現状、危害を加えようと言う意思はありません」
真っ直ぐ、マーガレットの瞳を見つめる。感情の激流によって潤んだ瞳は深い藍色で、まるで風で揺らいだ夜の湖みたいだと思った。
「現状、というのは……?」
「はい。あくまで現状です。危険人物だと判断した場合には、捕縛……もしくは排除します。……歴史にある通りです。しかし、今は、そのつもりは全くありません」
嘘は付けない。しかし、だからこそ伝わるものもきっとあるはずだ。
マーガレットは次の言葉に迷っているようだった。何度も口を開けては閉じるのを繰り返して、出かかった言葉を吐き出そうしては、飲み込んで。
それを十秒ほど続けた後、マーガレットの瞳が、覚悟を宿した。
「〈復生体〉さま——あたしは、〈神能者〉です」
夜の湖は、既に凪いでいた。




