第4話
最上階に着く。階段が終わった目の前には木製の大きな扉があった。樹齢何百年の木の根本だけを組み合わせて作っているらしい、見た目以上に高価な扉だ。
「ウィル、入るよ」
答える声がないことを、俺は知っていた。
重い扉を片手で押し開き、中へと入る。
そこは普段訪れる人がほとんどいないのにも関わらず清潔な場所だ。
きっとメイドさんたちが掃除を怠っていないからだろう。今度また、感謝の言葉を伝えなくてはならない。
もうすぐ日が暮れる。早めに壁の燭台に火を灯した方が良さそうだ。
「ちょっと待っててね。明るくしちゃうから」
「うん」
俺は懐に入れておいたライターで時計回りに火を灯していった。
円を描く作りの壁伝いにコツコツと石畳を移動し、最後にグレースの元へと戻ってくる。
〈歴史あるウィリアム〉と、彼は呼ばれていた。
「久しぶり……でもないか」
俺は部屋の中央にいる一人の人物に呼びかける。
近づき、ガラスの天板に触れる。冷たい感触を指先に感じた。
棺の中、一人の青年が眠っている。
その金髪はまさに太陽そのもののような輝きを放っている。
透き通るような白い肌は、七百年の年月を全く感じさせない。ただ一つ残念なのは、綺麗な黄金の瞳を垣間見ることが、七百年の間一度もなかったことだろうか。
ウィリアムは右手だけを胸の上に乗せた仰向けの姿勢で眠り続けている。
左手は七百年よりも前に無くしてしまった。
道端の女性たちの誰もが振り向く美青年。
それを茶化すと、ウィルは決まって、「君に振り向いてるんだよ」なんて最高な冗談を言ってくれた。
メイドさんの誰かが定期的に着せてくれているこの国一番の上等な神父の衣装が、ウィリアムにとてもよく似合っている。
ウィリアムは神父だ。
神父だった、ではない。神父なのだ。今でも、そしてこれからも。
少なくとも俺はそう思っている。
ウィリアムは、神様を信じていた。そして天国があることを確信していた。
〈歴史あるウィリアム〉それが俺たちの復生能力の源であることは、この国の、ひいてはこの世界の常識だ。
〈歴史あるウィリアム〉の能力は二つ。
一つ目は、俺たちがウィリアムに直接触れることで記憶を保存し、死ぬと彼の元で目覚める能力。これは自動で発動する。
二つ目は、ウィリアムに触れることで発動できる。複製体を作り出す能力だ。この複製体にはコピー元の記憶が受け継がれる。
この二つの能力を用いて、俺は世界中の〈神能者〉たちの悉くを滅ぼした。
そう振り返りながら、俺はウィリアムを見つめた。
優しくて、正しい奴だった。
無二の親友。
その言葉が掠れるほどの存在。俺の七百年間は、ウィルが齎した奇跡そのもの。
ウィリアムはその奇跡と自分の体だけをこの世に遺して、長い眠りについたのだ。
ウィリアムは、天国を確信していた。そして死後にその場所に至ることが幸福であることも知っていた。
この〈神能〉は、そこに絶対に辿りつけない力だ。
俺とウィリアム、二人分の天国への切符を犠牲にすることで成り立っている。
死ねない俺に天国はない。
でもせめて、眠り続けるウィリアムには、天国と見紛うほどの良い夢を見ていて欲しい。
俺は、自分の目的を達成する為に、天国で最愛の人や親愛なる友人たちと再会する機会を捨てた。
それにウィリアムを付き合わせた罪悪感が、本当に長い年月、俺の中で燻っている。
「リベルはここによく来るよね?」
「ああ」
涼やかなグレースの声。質問の意図がわからず、俺は曖昧に頷いた。
でもすぐに気持ちを楽にして言葉を続ける。
「ここに来るといろんなことを思い出すから」
「奥さんのこととか?」
「へへへ。かも?」
グレースの口先から漏れた些細な一言に何故か棘を感じて、正解のわからない俺は、へらへらと笑った。
「もう」
間違えたのか。そうではないのか。それすらもわからない。グレースが牛になったことだけはわかった。
人付き合い苦手なんだよな。もちろんグレースのことは好ましく思っている。綺麗だし、とても素敵な女性だ。たまによくわからないところはあるが、それにも可愛げがある。それになにより話していて楽しい。変わったところのある俺にも辛抱強く接してくれている。
七百年も生きていてこれなら、俺にはきっと人付き合いだとかコミュニケーションだとかの素質はないらしい。いやほんと、勘弁してくださいよ。これだと人生経験でマウントが取れない。
「変なこと考えてるでしょ?」
「そんなのことないよ。何、新しい〈神能〉に目覚めたの?」
「……リベルの頭の中を盗み見るのにそこまでの執着はないわ」
グレースが口元を尖らせつつそうぼやいた。
〈神能〉は、強い想いが引き金となって目覚める。それがどれだけ自分勝手なものでも。
ウィリアムに情けなく頭を下げたのを思い出す。
その時の苦い記憶に蓋をして俺はグレースを見つめた。
ウィリアムを過去の象徴とするのなら、グレースは今の象徴だった。
チャコールグレーの肩まで伸びた艶のある髪。碧眼が添えられた端正な顔立ち。スタイルだって多分良いんじゃないだろうか。メイドさんたちが羨ましそうに話していたし。
何より、俺にはグレースの好きなところがある。
屈託なく笑うところ。気に入らないことがあるとちゃんと怒れるところ。
お姫様にこんなことを思うのは無礼だし、口にしたら多分怒られるから言わないけど、グレースのことを、俺はまさに等身大の女の子だと思っているのだ。
「あのさ、思い出したついでに、初めて会ったときのことを覚えている?」
「ええ」
グレースがどこか懐かしむような顔を見せた。きっと俺も。
復生体は特別な理由がない限り、三年毎のくじ引きをもって役割が与えられる。その大半は、必要だけど人々がやりたがらない仕事だ。
九年前、俺は炭鉱で働いていた。
周りには多少の年齢の差はあるが自分の顔ばかりで、窮屈で粉塵ばかりの炭鉱にも飽き飽きしていた頃のことだ。
俺はグレースと出会った。
狭い炭鉱の中で、幼い女の子が震えていた。泣きべそをかく女の子に手を差し伸べて、手を引いて外へと案内してあげたのだ。
その時はこうしてまた会えるなんて思っても見なかった。
「あの時、本当はわたしの立場に気付いていたんでしょ?」
「もちろん。ていうか普通に名乗っていたしね」
そしてもちろん、幼い頃のグレースの弱みとして心の日記にしっかりと書き込んである。だから気をつけてね。俺は怒らせると怖いよ。そうやってあんまり睨まないように、怖いから。
「なんか悪いこと考えてるでしょ?」
「まさか」
鋭い。本当に心が読めているのではないでしょうか。
「あなたと話しているととても不思議」
「何が?」
目を伏せて微笑むグレースに、俺は問いかける。グレースのその表情にはいろんな意味がある気がした。
「あなたが、歴史で見る人物と同じとは到底思えなくて」
「ああ。それ、昼にヘンリクにも言われたよ」
「そうなの? やっぱりわたしだけじゃなかったのね」
グレースが愉快そうに笑うのを、俺は微妙な気持ちで見つめた。
そんなに意外だろうか。でもまあ良いのかな。グレースは楽しそうだ。
「具体的にどの辺が違って見えるの?」
グレースの意見を聞きたいと思ったのは好奇心からだ。親しい相手が自分のことをどう思っているのか気になった。
「えーなんだろ?」
グレースが口元に人差し指を当てて考え込む癖を披露し始めた。これは深刻なものじゃないなと安堵する。グレースは意味などない、どうでもいいことを考えている時、よくこの癖を見せるのだ。
自らの細い指にキスをすること十数秒。やがてグレースが口元から指先を離し、その指をそのまま俺に向けてきた。
「なんか、普通」
何故か勝ち誇ったかの様ににんまりと笑っている。
グレースは美人さんだ。絶世の、と頭に付けてもだれからも文句は出ないだろう。チャコールグレーの艶のある髪に、青い瞳も相まって、臣民からは神が造った芸術品だなんて呼ばれている。そんな絶世の美人さんは、ときどき淑女らしく微笑むことを忘れて、ガキ笑いを披露してくれる。
絶世のガキンチョさんになるのだ。
ちなみに指摘したことはない。
「普通。そうかな?」
しかし言葉の内容としては特別否定したくなるようなものでもなかった。
「そう普通。歴史ではリベルたちが〈神能者〉たちと戦ったってあるけど、実際のリベルと話していてそんな凄いことをした人には見えないなぁ」
絶世のガキンチョさんは愉快そうな様子で理由を口にした。
グレースのガキ笑いは一旦置いておくとして、俺は首肯する。
「それはそうかもね。俺は普通の人間だよ。七百年も記憶を繋いでるのに、未だに人付き合いは苦手だしね。……はぁ、ほんと、どうにかなんないかな」
実際に自分の欠点を口にするとうんざりする。
「まあね。少なくとも歴史上のリベル・ダ・ヴェントなら女の子にビビったりもしないもんね」
ビビってないやい。俺は争いを好まない平和主義者なのだ。
「メイドたちが言ってたよ。突然話かけた時、リベルの目が泳ぐのがかわいいって」
「え? ほんと……うそ……」
それはちゃんとショックだ。しっかりやれていたと思ったのに。え、俺目が泳いでるの? 挙動不審になってるの? あとそのかわいいっていうのはちゃんと良い意味なの? 信じていいやつ?
瞬間的に聞きたいことがいくつか出てくるが、俺は、七百年生きたナイスガイ。せめて今日この瞬間からは寡黙な男になろう。なる。そう決めた。いや本当に頑張ろう。
げんなりした俺を見かねたのか、グレースは「だから」と言葉を続ける。
「環境って大事なんだと思うの。リベルみたいな優しくて穏やかな人が、戦いに身を委ねてしまうのは、きっとその時代の環境のせいだと思うんだ。貧しかったり、抑圧されていたり、そう言った環境のせい。リベルの時代は、〈神能者〉が自分勝手に生きていたから、リベルの行動はきっとそのせいなんだと、私は思うよ」
グレースの口からこぼれたのは、そんな思いも寄らない言葉だった。
そしてその言葉が、俺の心を包み込んだのだと自覚するのに、そう時間はかからなかった。
でもそんな気持ちの暖かさも、グレースの次の言葉で吹き飛んでしまった。
グレースは真っ直ぐな瞳で、姿勢を凛と正してこう言ったのだ。
「わたしは、女王になる。女王になって、この国と、この世界から、優しい人が武器を取るような理不尽なことを無くすの。だからリベル、ずっと見守っていてくれる?」
真っ直ぐな瞳をそのままに、グレースの頬が、凄いはやさで朱に染まった。
今日はこの辺にさせていただきます。
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おやすみなさい。




