第4話
結局、絵のモデルをするというお礼は、お昼直前まで続くこととなった。
レミナスの作業が一区切りしたとのことで、今は撤収中である。
休憩室へと向かう廊下の途中、俺は肩にかけたイーゼルの位置を調整しながら、前を歩くレミナスに声をかけた。
「本当によかったんですか? 完成まで付き合いますよ?」
レミナスから絵のモデルは十分だと言われたことが気がかりだった。
絵が完成するまでどのくらいかかるものなのか、描いたことがないのでよくわからないが、そう何日も拘束されるようなものでもないはず。
実際そうなったらなったで、日にちを分ければいいだけだ。
俺の声に、前を歩いていたレミナスが振り返った。
汚れないように布をかけたキャンバスを左手で抱えた体勢だ。
「いえ、大丈夫です。あとは目に焼き付けた分で描けますから」
すごい記憶力だね。
素直にそう思います。
それにと、含みを持たせた様な蠱惑的な笑みでレミナスが続けた。
「あまりリベルさまを拘束してしまうと、グレースさまに叱られてしまいますから」
「なるほど」
確かに。
俺は一人で唸った。
恋人が異性と長い時間一緒に居ることをよしとする人は少ないだろう。
グレースへ、そういうの気になる? みたいに気軽に訊くべきでもない。
こういうことは、自分から気付いてより良い方向に向かっていくべきなのだ。
「勉強になります。レミナスさんは流石ですね、女性の気持ちをわかっていらっしゃる」
「どういう意味ですか?」
発言を間違えたようで、レミナスが口先を尖らせた。
「ははは。そのままの意味ですよ」
「もう」
レミナスが尖らせた口先を引っ込める。
ふふっと廊下に軽く響いたレミナスの笑い声に内心ほっとする。
俺たちはまた歩き出した。
こういうとこだぞ。
「おかげでたくさんお話ができました。頑張った甲斐があったというものです」
それがかの〈復生体〉との大立ち回りを示していることに気づき、途端に申し訳ない気持ちになってくる。
「流石にあれのお礼がこれだけっていうのも……また何かあったらいつでも言ってください」
「本当にいいのですか?」
レミナスの口調に変化があった。
こちらに振り向くことなく歩いているから表情こそ見えない。
しかし内心たじろいでしまう程の変化だ。
「えっと……」
こちらが言い出したことの為、何て言おうか迷い、俺は黙った。
レミナスに会話の主導権をぶん投げたのだ。
こういうとこだね。
それでも。
「はい。レミナスさんには感謝しているので、いつでも大丈夫ですよ」
こういうことばかりではいけないと、最終的にはこの言葉を口にした。
レミナスが振り返る。
「よく言えました。偉いですよ」
「言えました」
なんか褒めてもらえた。
年下の男の子を見る様な視線を向けられたことが気がかりだけれど。
グレースに女の子と話す俺の挙動がかわいいって話をしたの、レミナスさんじゃないよね?
胸がきゅっとなる記憶を思い出して、急いでまぁいいかと脇へと追いやる。
切り替えが大事なのだ。
「あ、〈復生体〉さま。こちらにいらしたのですね!」
長い廊下の角から、見知った人影がこちらへ走ってくる。
おかしいな。普段は廊下を走ってはいけませんって言いそうな方なのに。
「どうしました? そんなに大きな声を出して珍しい」
目の前まで駆け寄ってきたレイチェルさんが肩を上下させる。
「す、すみません。はしたない姿をお見せしました。急遽予定が変更になったことを早く報告しなくてはいけないと思いまして」
「そういうことですか」
偶然、レミナスと目が合い、お互いに笑みを交わす。
ちょうどよかったと、お互いがお互いの瞳へと告げる。
「おや、仲良しですね」
流石レイチェルさん。目ざといな。
「そうですね。少しお話をする時間をもらえましたので」
「あらまあそれはよかったですね。あぁ、そうだ。ご予定の報告をしないと。休暇中に申し訳ありません」
「いえいえ」
パンっとレイチェルさんが手を叩く。
「デルム評議会の大使館から外交官の方がお見えになっています。なんでも、緊急の要件とのことで会食にてご意見を伺いたいとのことです。それと、リカード殿下もご出席されます」
「リカードも?」
「はい。王族の方への謁見も含めての緊急となります。余程の急用なのでしょう」
面倒事の匂いがする。
しかし、状況から鑑みてそうも言っていられなさそうだ。
一体どんな用件なのだろうか。
「わかりました。先方は今どちらに?」
「すでにリカード様のお部屋にいらっしゃいます」
駆け込んできたという表現がしっくりくる。
場所にこだわりもないようだ。
「レイチェルさんは準備が出来次第向かうと伝えてください」
「承知致しました」
走り去っていくレイチェルさんの背中を見届けてから、俺はレミナスに目線を飛ばした。
「お休み中にすみませんが、レミナスさんは準備の手伝いをお願いします。流石にこの服装だとマズイので」
「いえ、なんなりとお申し付けください」
そう言ってレミナスが恭しく頭を下げた。
二人で足早に俺の部屋へと向かう。
どうしてか部屋の中におり、何故か俺の服の匂いを嗅いでいたグレースをスルーして、大急ぎで身支度を済ませる。着るのが大変面倒な謁見用の上着を、一度部屋を出て持ってきてくれたレミナスに着せてもらいざ出発。
「あ、ストール忘れた」
「リベルさま、こちらに。お首元失礼致します」
流れる様な手際で首元にストールが巻かれていく。
レミナスがストールの端をちょちょいと指で弾くようにして整えるのを間近で眺めていると、グレースの声がやっと耳に届いてきた。
「ちょっと、話を聞いて。違うの! あとなんか呼び方変わってない⁉︎」
「ごめんグレース、今から急用で会食が入ったんだ。それに大丈夫だよ。別に引いたりしていないから」
「大丈夫じゃないかも! 違う、違うからね! 本当に違うの!」
「寂しい思いをさせてごめん。今夜は一緒に過ごそう。絵本の読み聞かせもしてあげるから」
「……うん」
「それじゃあ、行ってきます」
グレースが上目遣いで顔を真っ赤にさせながら頷く。
よし。
会話を中断させた俺は、颯爽とグレースへと背中を向けた。
「あ、いや、だめ。ちょっと待って!」
扉を閉める直前、部屋に残ったレミナスから聞こえた「お労しや……」の一言が、何故か脳裏にこびりつく。
グレースも大変そうだな。
さて、デルム評議会とは名称からは分かりづらいが国名だ。ルーンディアの西に位置するその国は、評議会が国の全権を担っている特異な国で、国号にも評議会という名称を用いる徹底ぶり。
軍権も司法も、全てを牛耳る評議会に対して、国内で異を唱えられる組織がいなくなった結果である。
リカードの部屋をノックすると、先に到着していたレイチェルさんに中へと通される。
「ああ! 〈復生体〉殿。急用につき無作法な謁見をしてしまい恐れ入ります」
中にいたのは痩身を紺色の衣装で包んだ男だった。
デルム評議会の外交官を名乗る彼との挨拶をそこそこに、俺は本題へと会話を促す。
「遅くなり申し訳ありません。急用とのことで、早速本題に入りましょう」
俺の右にリカード、対面には外交官が座る。
間に置かれたテーブルには、今日の分の昼食が既に運び込まれていた。緊急の予定を一先ずは会食として処理する為に、レイチェルさんが運んでくれたのだろう。
レイチェルさんが部屋の隅で背筋を伸ばしている。特に何も言われなければ話を聞く姿勢のようだ。
「恐れ入ります。まずはこれを」
そう言って外交官がテーブルの真ん中に資料を置く。
俺は躊躇わずに手に取り、記載された内容を読み始める。
「調査報告書? 自殺……ですか?」
デルム評議会の退廃地区で、男性が一人、死亡しているのが発見された。
状況から鑑みて、警察は自殺と結論付けたとのことだ。
ざっと読み終えて、頭を傾げる。
「はい。おっしゃる通りにございます」
「これはどういった意味でしょう?」
「最初こそ、その報告が上がってきた時には目を疑ました。外交官に上がってくる報告書ではありませんから。ですが——」
もう一枚の資料がテーブルに置かれた。
写真だ。
映っているのは、上半身が露わになった男性である。
顔は下半分を除いて見切れてしまっているが、恐らくは今回自殺したという男だろう。
それはいい。いや、良くはないが、一旦置いておこう。
それよりも気になったのは、男の腹部に刻まれた文字だ。
血液が滲み、黒く固まったどす黒い文字。
『悟られてはいけない。全てが台無しになる。ここに〈神能者〉がいる。奴は俺の死体を調べるだろう』
刃物か何かで自らの腹部を傷つけて刻んだその文字は、向きが逆さまになっていることからも男自身が刻んだもののようである。
「……なるほど」
「はい。何もしないわけにもいかず、困り果てておりまして」
「調査報告書自体は普通のものの様ですが?」
「悟られてはいけないと書かれておりましたので、念の為、表向きは普通の自殺として処理したとのことです」
「正解だと思います。ちなみに、〈神能者〉の目撃情報は何か上がってきていますか?」
「こちらが把握しているものにはありません」
「そうですか……」
通常の通報にはない。
自殺した男の気が狂っていたのでなければ、その手段を取ることが難しかったと見るべきだ。
「デルム評議会には光の〈神能者〉がいますが、彼は?」
「認可は下りておりません。その、戦争が続いていれば違ったのでしょうが……」
外交官が言い辛そうにその一言を付け加えた。
連邦との戦争が今でも続いていれば、王国は連邦に注力する必要があった。
俺はその意図を読み取って、やれやれと頷くしかなかった。
光を操る、最速の攻撃手段を持つ〈神能者〉。
領地を接する王国との軍事バランスを考慮して、そう易々と動かせないようである。
退廃地区が王国の反対側に位置していることも理由の一つだろう。
光速で動けるなら文字通り一瞬の距離だが、彼は光を操れるだけで光そのものになれるわけではない。
この場で絶対に攻め込まないと言っても、デルム評議会と王国は小競り合いを続けてきた歴史がある。おいそれと信じることはできないだろう。
ただそれとして、国内への懸念も放ってはおけない。
上からの命令を受けてこちらに駆け込んで来たのだろう、目の前の外交官が可哀想になってくる。
「それでご要望は?」
「失礼ながら、〈復生体〉殿には我が国にお越しいただき、調査をしていただきたく——」
俺は手のひらを前へと向けた。
自然、外交官の言葉が止まる。
「条件を提示させてはいただきますが、承知しました。ですが、調査した結果グレー以上なら、殺害までした方が良いでしょう」
割り込ませた俺の言葉に、外交官が息を詰まらせた。
隣のリカードが当たり前だというように鼻を鳴らす。
「本来であれば、人道から外れる行い。しかし、本当に通報すらも難しい〈神能〉であるならば、我々はその罪を被るべきです。人道に則り放置した際の危険度は計り知れない。そしてその皺寄せは、必ず民へと向かいます」
外交官の瞳が揺れる。
彼にとっては、自国の民である。
疑わしい場合は殺害すると言われて、はいそうですかとはならないはずだ。
それでも彼は確かに、己の瞳に意思を宿らせた。
「覚悟を、決めるべきなのでしょう」
この男は覚悟を決めた時、少し笑うらしい。
気に入った。
写真に目を落とす。
男の皮膚に刻まれたメッセージが真実であるならば、これは戦いの結果である。
〈神能〉を持たぬただ一人の男が〈神能者〉の目を掻い潜り、おそらくは勝利した。
彼が命を賭して届けたメッセージに、俺たちは報いる必要がある。
あとがき
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