第3話
広大な中庭で訓練をしている兵士たちに、己が経験したことはない爽やかさを感じる今日この頃、俺は中庭の隅の方で姿勢を正して座っていた。
目の前に座るレミナスが、真面目な顔でキャンバスと俺を交互に見つめては、しゃしゃっと小気味の良い音を木炭で奏でている。
真面目な顔付き過ぎて、睨まれているのではと錯覚してしまいそうだ。
俺をモデルに、レミナスが絵を描いている。
今の不思議な光景を一言で表すとこうなる。
はて。どうしてこうなったのか。
その理由は少し前に遡る——。
いや、まあ。言葉が足りなくてこうなりました。はい。
状況が出来上がってしまったからね、今更訂正なんてできないわけですよ。
こればっかりは仕方ない。
「〈復生体〉さま、もう少し楽にされても良いのですよ」
レミナスが真面目な顔を解いて微笑む。
柔らかな笑みこそが、彼女の本質だと俺は知っていた。
それにしても、翡翠色の髪が風に靡く姿を見ていると、モデルが逆なのではないだろうかと思えてならない。
「そうはいっても、少し落ち着かないですね」
身じろぎしつつ答える。苦笑いのおまけ付きだ。
「もう少し肩の力を抜いてください。堂々とされているのが一番似合います」
堂々としている時なんてあっただろうか。
肩の力を思い切って抜いてみる。
「それだと撫で肩すぎますね。顎を少しだけ引きつつも楽にする感じで」
「絵のモデルって難しいんですね」
言われた通りにすると、レミナスが満足げに頷く。
「意外ですね。〈復生体〉さまは慣れているものとばかり」
「そんなことありませんよ。自分の絵を描いてもらうなんて、昔は余程お金持ちでないと」
「写真がない時代はそちらの方がメインだったと聞きます。より現実に近い方が美しい絵とされていたとか」
レミナスが作業を再開した。
木炭がキャンバスの上を跳ねる音と滑る音が小気味良いリズムを奏で、環境音と混ざり合う。
……環境音。兵たちの怒声が聞こえる。アーノルド君、少し怒られ過ぎではないだろうか。
もう少し彼に優しくしてあげてはどうだろう。
「実はそこが難しくて、そのまま書けばいいってものでもないんです。身も蓋も無いことを言うと、美しく描かなくてはならない。ですので、当時の絵描きには説得力なるものも必要だったとか。自分の描く絵こそが、どんな目線よりも正しいと感じさせる程のね」
「なるほど。それではキャンバスの中の〈復生体〉さまに、髪飾りをつけてしまうのはどうでしょう?」
「レミナスさんが描くと説得力がありますね。遠い未来にはその絵が〈復生体〉の姿の常識になりそうです」
レイシスの冗談に笑う。開いた口のまま、俺は先ほどから気になっていたことを口にした。
「ところで、本当に絵のモデルが贈り物でよかったんですか?」
今日俺は自らの些細なミスから、レミナス、アミョーテ、ミノリの三人に贈り物を渡すことになった。
レミナスが提案したのが絵のモデル。
ちょうど俺もレミナスも休暇の為、それなら今日にでもと中庭へ赴いたというわけである。
「ええ。まさか本当に叶うとは、言ってみるものですね」
「これくらいならお安い御用ですよ」
実際、ただ座っているだけでいいのだ。
これが戦争中に苦労をかけたお礼とは、少し都合が良すぎるのではないかと心配になる。
「本当にそう思いますか? 私は今、〈復生体〉さまを独占しているのですよ」
レミナスから見方によれば蠱惑的な目線を向けられる。
勘違いだろうか。
「そんな大げさな……」
「伝えるかどうか迷いましたが、本音を言えばこうしてお話をする機会が欲しかった。——そう言ったら、少しは喜んでくれますか?」
畳み掛けるようにそう言われると、嬉しいような戸惑うような。
もしかして、口説かれているのでは。
「それはもちろん。喜びますよ」
まぁ喜ぶかどうかを問われているのだから、感じたことを言えばいいはずだ。
「そ、そうですか……」
レミナスが作業に戻る。
沈黙が降りた。
どうやら失敗したらしい。
とはいえ、今度は俺が肩の力を抜いてあげる番だろう。
「レミナスさんとアミョーテさんがここに来てからもう二年になりますね」
俺とグレースの専属の侍女の中には〈神能者〉が含まれている。
その全員共、俺が任務で出会い侍女へとなるように勧誘した人たちだ。
「そうですね。最初こそ、礼儀作法や仕事内容に戸惑ったものです。アミョーテにいたっては言葉遣いがまだ抜けていませんし、私も多少は上手くやれていますが、今でも不器用なままです」
なんでも器用にこなす印象だが、自己評価は低いらしい。
レミナスが俺の目を見る。
「救いだったのは、〈復生体〉さまに怒られなかったことくらい」
「怒るようなことがなかったんですよ」
「本当に優しいお方だ思います。出会った時、あんな無礼を働いたのに」
突風で遠くまで飛ばされたことを思い出す。
「まぁ、〈復生体〉が来たとなれば、ある意味正常な判断だったと思いますよ」
〈神能者〉にとって、〈復生体〉は悪魔そのもの。その表現は比喩ではあっても決して嘘では無い。
ちなみに、その後はアミョーテに落雷を落とされたりもした。
思い出してみるとオーバーキルだ。
「……もしかしたらやり過ぎだったかも?」
ふと口から出てしまった感想にレミナスが一瞬目を見開く。
「す、すみませんでした」
「もう過ぎたことです」
「そうですか。ありがとうございます。……そういえば、あの〈復生体〉さまについてお伺いしても?」
「〈復生体〉?」
何のことかわからずに問い返す。
レミナスが細かく口を動かした。言い辛いことなのか。
「はい。戦争のおり、〈歴史あるウィリアム〉をお届けした際に戦った。あの〈復生体〉さまです」
「……ああ」
「……はい。差し支えなければ」
俺の短い返事に、レミナスの手が止まる。
もしかしたら、様子を伺わせてしまっているのだろうか。
「平たく言うと、ジェロン連邦が捕えた〈復生体〉の記憶を消して、ウィリアムを奪うように仕向けた、という話になります」
「記憶を消す? ジェロンはそのようなことができるのですか。それにしても、なぜ〈歴史あるウィリアム〉を奪おうとしたのでしょう?」
「それは——」
言葉に詰まる。
「それは……ウィリアムならなんとかしてくれると思ったのでしょうね。そういう時期が俺にはありましたから」
祈りの〈神能者〉であるウィリアム自身の〈神能〉に、当時の俺は縋った。
死んでしまった村人たちを、死んでしまった妻と我が子を、俺は助けて欲しかった。
不幸にも焦げた瓦礫の山の中からウィリアムを見つけた時、その願いは断たれることになるけれど。
「でも、あの戦争で、長年の悩みが少しだけ解消できたように思います。あの時協力してくれたグレースとレミナスさん——皆には感謝しています」
このお礼の伝え方で、全ての気持ちが伝わるとは思っていない。
俺は言葉が足りないことが往々にしてある。
「そのお役に立てたこと、生涯の誇りに思います」
だけど。
レミナスがたじろぎそうな程の真っ直ぐな瞳でそう返してくれたから、ああよかったって、俺は思えた。
「他には何か聞きたいことはありますか?」
決して自分で話題を探すのが億劫になったわけではない。
レミナスが会話を望んでいるのだから、彼女に話題を決めてもらうのが一番だと思っての発言だ。
「そうですね。これはメイドたちの間でもたまに話題に上がるのですが、〈復生体〉さまが本気で戦われるような〈神能〉はどのようなものなのでしょう? 私とアミョーテが無礼を働いた時も、戦いにはなりましたが〈復生体〉さまは終始手心を加えておりました」
なんだそんなことか。
よかった答えられそうな質問で。
「確かに詳しく話したことはなかったかも。まず一つは人間性ですね。これが何より大事です。でもそれと同じくらい〈神能〉自体が危険なものではないかが重要になってきます」
「〈神能〉自体が危険、ですか……。例えばどんなものがあるのでしょう?」
「例えば、疾病や、規模が大き過ぎるもの。それに、おそらく時間を操っていると思われるものなら、基本的にその場で……えっと、倒すように動きます。これは他の〈復生体〉でも同じです」
「時間を操る、そのような〈神能〉が?」
レミナスがいまいちピンときていないといった顔になった。
無理も無い。これは俺の憶測だ。
「そうなりますよね。俺も実際にはどうかわかりません。もし時間を操作されても、本人以外は気が付かないでしょうから。それでも、そう考えないと説明ができない〈神能者〉はいました。もしそういう相手なら、俺たちは躊躇わないでしょう」
レミナスが腕を組む。斜め上を見て考え込んでいるような。頑張ってイメージをしているのだろうか。
少しだけ子供っぽいところがあるよな、なんて少し場違いなことを思ってしまった。
「そのような〈神能〉を、〈復生体〉さまは御しておられたのですね」
「ええ。普段はこんなんですけどね。そこらへんは得意分野かと」
おどけるように言うと、目論見通りにレミナスが少しだけ笑ってくれた。
意図通りに笑いを取れたことに満足する。そこでふと、ある変化に気が付いた。
俺を見つめるレミナスの瞳の変化だ。
な、なんでしょう?
あれ、なんか対して面白くなかった気がしてきた。
おどけ方が足りなかっただろうか。
もうすこし甲高い声を出した方がよかったかもしれない。それこそピエロみたいに。
俺は笑いに貪欲な男である。
若者の笑い声が栄養だ。
「……不躾で申し訳ありません。その、今後はお名前でお呼びしてもよろしいでしょうか?」
意を決したように、普段はすらすらと流れるような口調を今だけは詰まらせつつ。
レミナスらしくない言い方。
そこで俺は思い至ることができた。
これこそが彼女の願いなのだろう。
レミナスらしい、些細な願いだと思う。
もしかして、その機会を伺っていたのだろうか。
今日だけではなく、今までずっと。
「喜んで。ご存じの通り、俺の名前はリベルです。ヴェント村で暮らしていました。他の〈復生体〉も同じ名前ですが、レミナスさんに呼ばれるのは、俺も嬉しい」
自分の名前が、個人を特定する名称ではなくなって久しい。
だからこそ、特別な人に名前を呼んでもらえることは、俺の得難い幸福なのだ。
「はい。ありがとうございます、リベルさま」
レミナスの柔らかい笑みが、日に照らされたせいでよく見えなかったことを、本心で残念に思う。
時間を操れる〈神能者〉が少しだけ羨ましいと思うくらいには。




