第2話
場末の酒場。
その表現が相応しい。いや、その表現こそが相応しい。
客層も底の底にある掃き溜めを掬ってきたかのような風体の男たちばかり。
いつ風呂に入ったのか見当もつかない不潔な者どもが、それぞれの卓を囲って罵声と奇声を発している。
薄暗い店内を灯す蝋燭はもう少しで切れそうなのかチリチリと光を明滅させていた。
ディーラーをしている男は重い溜め息を吐いた。
ルーンディア王国で富裕層向けの賭場にいた頃とはえらい違いだ。
この場所からは見る影もないが、十数年もの間、男は本物のディーラーだった。幾人もの富める者たちが、賭け事ではなく男の手際を見物するのを目的に賭場へ足を運ぶくらいには。
現状はどうだ。
男は失敗した。賭場の金をがめたのだ。
自慢の手際でイカサマをし、その取り分を運営元ではなく自らの懐に入れていた。
だれも気がつかなかった。とある〈復生体〉に見破られるまでは。
男は王国を捨てた。
捨てたなどと格好をつけたが、要は運営元と富裕層を怒らせて国を追われたのだ。
貴族連中を怒らせなかったのだけは救いだろう。
もしそうなっていれば生きてはいなかったかもしれない。
噂によると王国と連邦の戦争が終わったと聞く。
もし自らの悪事がバレたのが戦時下であったなら、どさくさに紛れてそのままディーラーを続けていけたかもしれない。
ありえないかと、妄想を頭の中で握り潰した。
男は今もディーラーだ。
王国から逃げたきたおり、隣国の退廃地区のこの酒場に転がり込み、数奇な運命からディーラーをやっている。
だが、本物のディーラーではない。
ここでは男が生涯を賭して研鑽した技にも手際にも誰も感心がない。
ただ目の前の金が増えるか減るかだけに一喜一憂している。
張り合いがない
話を目の前のことに戻そう。
今まで考えていたことは、ともすると現実逃避なのかもしれないなと男は思った。
この日この時、男は久しぶりにイカサマをした。
ディーラーへは賭場にもよるが実際の取り分の一部が運営元から支払われる。
偶然と運の要素が強いが、当然負けが混むと、明日の自らの酒代にも影響してくる。
それでもイカサマをするディーラーはほとんどいない。
なぜならばデメリットがあまりにも大きすぎるからだ。
金を盗むという行為はどの国どの地域においても罪が重い。
それをイカサマ——特にこの場では手の平に収まるだけの少額の金——のメリットが上回ることは皆無と言っても良いだろう。
しかし、バレなければデメリットなど無いに等しい。
この場に〈復生体〉はいない。見破られることなどあるはずもない。
そう思っていた。
伏せられていたカードをめくり、目の前の男と自らのカードの役を見比べる。
男は五回、イカサマを行った。
そして五回ともゲームに負けていた。
衝撃をわかりやすく伝えるなら、確かに財布に入れたはずの金が、数秒後には無くなっていたと表現すればいいだろうか。
「またボクの勝ちだ。それにしても賭け事っていうのは勝たないと意味ないよねぇ。そうは思わない?」
目の前の男がずれた丸メガネを顔へと押し込む。
口元の緩みを隠すはないようで、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべていた。
男は何も言えなかった。
それどころではなかった。
まさか手元がぶれたのか。
いや違う。五回とも失敗することなどありえない。
「それにしても世の中不思議だよね。他人よりも秀でたものがあるとこうも生きやすくなる」
目の前の男は二十代半ばくらいだろうか。
細身で鍛えているような様子はない。
一人で話し続けているのにも関わらず身振り手振りが大げさだ。
気味が悪い。
「ねぇ聞いているの? ボクの言葉にこそ価値があるっていうのに。聞かないと君の人生の価値はなくなるよ?」
「ああ。悪かった。いやすごいな。おまえさんの全勝だ」
不機嫌な目を向けられて、仕方なく返事を返す。
「ボクになぜ価値があるのか聞きたくはない?」
「是非聞きたいね」
なぜイカサマが機能しなかったのか。
逆にイカサマをされたのではないかと一瞬思ったが、ありえないと表情に出すことなくその考えを否定した。
目の前の男はカードに触れてすらいないのだから。
訳がわからない。
だが訳がわからないなりに飲み込むのが処世術というものだ。
悪い夢を見た。それだけの出来事だと自らに言い聞かせる。
「それは努力ができるからさ」
「努力?」
おうむ返しに訊き返す。
大して興味をそそられることもない、浅い考えだと思った。
「そう。努力。人が他の生物よりも最も優れている点は努力ができることだよ。だからこの勝負もボクの努力の賜物なんだ」
「それは流石だな」
今回行ったゲームは運の要素が大きい。
何を馬鹿なことを。
配られた2枚のカードから増やすか増やさないかを選んで合計21点を目指す。
21点を超えてしまえば強制的に負けが確定する。
このゲームのどこに努力する要素があるのか。
男は鼻で笑いそうになるのを堪えながら言葉だけの賛辞を返した。
「努力っていうのは試行回数だ。何度も失敗して何度も試す。愚者は言うよね、機会に恵まれているからだって、そうやってボクの努力を否定するんだ。本当に愚かだと思わない?」
「ああ、本当に困ったもんだな」
男は話などほとんど聞いていなかった。
耳には入っているが、会話の中で疑問や質問を考えると言った真摯さはもう無い。
適当な返事をしていた。
「でもさ。どれだけ機会があろうとも諦めたらそこで終わり、その点ボクは決して諦めない精神性を持っているじゃない? つまりボクの努力はボクの清廉で頑強な精神の表れなんだ」
なんの話をしているのだろう。
ひとまず気持ちよく話しているのだから止めるのはまずいか。
目の前の男は神経質そうだ。
「このゲームもそうだ。たった五回のゲームで勝つのに、僕は二十回もゲームをやり直して努力した。せっかく努力が実を結んだんだから、こうやって口が軽くなるのも仕方がないよね? 勝利の美酒に酔うってやつ」
「そうだ。おまえさんの権利さ。今日はその金でたんと飲んでくれ」
「ありがとう。気が効くね。それにのりも良い。ボクおじさんのこと気に入ったよ」
「そりゃどうも」
浅い返答をしながら一つの言葉が頭に引っかかっていた。
二十回もゲームをやり直した、という言葉だ。
どういう意味なのだろうか。
努力がなんたら言っているが……。
目の前の男の話はどこか空虚で頭に入って来づらい。
「——もし神様がいるのなら、ボクは選ばれたんだ」
「は? あ、すまん。どういう意味だ?」
思わず素で返事をしたことに一拍遅れて気が付く。
男が引っかかったのは神に選ばれたという言葉だ。
その言葉に、男は危険な香りを嗅ぎ取った。
選民思想、つまり神に選ばれたことを行動原理とする思想である。
男が逃げてきたルーンディア王国ではことさらタブー視されてきた思想だ。
「いやいいよ。〈神能〉ていうのは、普通炎や金属を操るものじゃない? そういったのに比べて、ボクの〈神能〉はとても清貧だ。そんな人の手に余るような大げさなことはしない。ただ、やり直すだけ」
この男は何を言っている……。
〈神能〉があると目の前の男が言った時、ディーラーの男は驚愕した。
特別頭は悪くはなさそうだが、とびっきりの大馬鹿者だったらしい。
隣国に誰がいるのか、どんな歴史があったのか知らないのか。
「ここに〈復生体〉を呼ぶつもりか?」
男の言葉が嘘でも真実でも、危うい言葉であることに変わりはなかった。
〈神能者〉は危険な存在だ。
もし、国内での制圧、管理が難しいようであれば、この国は必ず隣国の〈復生体〉に声をかけるだろう。
そうなった場合どのような決着を迎えるのか、男は検討がつかない。
いち庶民の意見を言わせてもらえるなら、〈神能者〉と〈復生体〉の戦いに巻き込まれたくはない。
そして、目の前の男の言葉が真実であると思えてしまう要素が、先の五回のゲームにはあった。
「〈復生体〉だって? そんな奴らボクの敵じゃないよ。それにボクの精神性と〈神能〉は尊いものだ。だって——ボクは努力をしているだけなんだから。その努力を止めようなんて、そんな無粋なこと、きっと神様はお赦しにならないよ。ボクは好きに生きるだけさ」
好きに生きる。
その言葉を聞いて、ディーラーの男にあった巻き込まれたくないという考えは吹き飛んだ。
〈神能者〉が好きに生きる世界など、〈復生体〉が終わらせたという悪夢そのものだ。
通報してやる。
久しぶりに芽生えた正義感をおくびにも出さないようにして、男は愛想笑いを浮かべた。
たとえ目の前の男に通報したことがバレて殺されようとも、きっと〈復生体〉がなんとかしてくれるだろう。
******
メイドさんたちがいるだろう休憩室の扉に立ち、恐る恐るノックをする。
なぜ恐る恐るなのかはわからないが、なぜか躊躇ってしまう。女性がいることが明確だからだろうか。
「はいは〜い」
この快活な声はアミョーテさんの声だ。
「突然すみません。少しお話しをさせてもらってもいいでしょうか?」
「あ〈復生体〉さまっすか? 少々お待ちをくださいっす。少し片付けるのでね。こうちょちょいっと」
「ごゆっくりどうぞ」
ガトゴト音とひそひそ声がした後、しばらくして扉が開かれた。
「どうぞどうぞごゆっくり〜」
「急にすみません。少し相談に乗ってもらいたくて」
中に入ると、広い室内には年頃の女性が好みそうな調度品が並べられていた。
これは勝ったかもしれない。
この休憩室にはグレースもよく顔を出すみたいだし、もしかしたら私物を置いているのかも。それとなく聞き出してグレースとレイチェルさんの好みを分析すれば勝ちだ。
安堵しつつ部屋を眺めていると、部屋の真ん中で身動きひとつせずに立っている女性が目に入った。
「ミノリさん、どうしたんですか?」
「い、いえ、お気になさらないでくださいませ!」
ミノリが大きなぬいぐるみを二つ、それぞれの手に抱える体勢で直立している。
服装は侍女の服装のままだが、それだけに違和感が大きい。
ぬいぐるみも不思議だ。こちらから顔は見えないが、通常であれば動物をモチーフにするはず、それが二つとも二等身のてっぺんに黒いふさふさが付いている。人間だろうか。変わった趣味だ。
全身に毛がないことからもお猿さんではないはず、そう思って頭を傾けてぬいぐるみの顔を見ようとすると、ミノリが凄まじい速さで体の向きを変えた。
よほどぬいぐるみを見られたくないようである。
これは……達人の間合いか。
「メイドとしてご主人様のお傍にいるべきという忠誠心と、急に部屋に殿方が入ってきた羞恥心がない混ぜになった悲しい姿ですので、それ以上はやめてあげてください」
なるほど。
そう補足してくれたレミナスは侍女服ではない。華美な装飾が一切ないワンピース姿を見るに今日は休暇のようである。翡翠のような綺麗な長髪も普段とは違い後ろに流している。
ソファの前に立っているところを見るに立ち上がらせてしまったのだろうか。
「皆さん楽にしてください。そちらの方が腰を据えて話し合いができるでしょう」
「お説教っすか?」
「いいえ、違います。皆さんに不満などありません」
お説教?
そんなのないよ。普段お世話になってるからね。
「実は、(グレースとレイチェルさんに)贈り物をしたいと思いまして……その意見を伺おうかと」
「え!」
「まじっすか!」
「そんな!」
ミノリ、アミョーテ、レミナスが一斉に声を上げた。
随分テンションが上がる話題だったらしい。
俺はその反応に満足してうむうむと頷いた。数回繰り返して十分に貫禄を持たせたところで言葉を続ける。
「そうです。(二人には)戦争中は負担をかけましたし、これを機に普段の感謝を伝えたいと思いまして」
三人の目がキラキラと輝く。
え、なにこの反応。
めちゃくちゃ気持ちがいい。
自分が良い事をしている実感が込み上げてくる。
「それで皆さんには(二人の)贈り物がどんなものがいいのか意見を出していただきたいなと、どうでしょう?」
「承知しました。少しお時間をいただいてもよろしいですか? 相談させていただきます。ちなみになんですが、それは(三人で)一つに絞った方がよろしいですか?」
「そんなことありません。(アイディアは)いくつでも問題ないです。こちらとしては(意見が)多ければ多いほど嬉しいですね」
「! 承知しました! しかし、あまり多いのも気が引けるので、一人ひとつにさせていただきます。早速決めますので、しばらく扉の前でお待ちいただけますか?」
レミナスの表情が一際輝いた。
普段クールな印象だから新鮮だ。
「では、よろしくお願いしますね」
俺はレミナスに誘導されるまま部屋を出る。
あとはここでぼーとしているだけで、アイディアを得ることができるというわけだ。
俺も悪よのう。
自分で考えていない罪悪感は少しはあるけど、二人には絶対に喜んでもらいたい。
だからこの方法が一番のはずだ。
ん、あれ?
大切なことを言い忘れていた気がする。
俺、グレースとレイチェルさんの贈り物を選びたいって、ちゃんと言ったかな?
あとがき
遅くなり恐れ入ります。
少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。




