第7話
あの闘いから、早いもので数ヶ月が過ぎていた。
王都のとある噴水のある広場には、誰かを待っているのか、各々の男女が自分の腕時計へちらちらと目をやっている。
俺もその一人。
時間には正確な方だ。
けれど、一時間前はなぁ。
浮かれているのか? ……浮かれているなぁ。完全に。
これは参った。
正直に白状しなくてはいけない。
すごく楽しみだ。
二人で何をしよう。いや、プランは決めてあるんだったな。
でも、気になったところに二人で飛び込むのも楽しそう。
「ねぇ。早すぎじゃない?」
どんな服装で来るんだろう。最近、今の時代のおしゃれがわかってきたから、とても楽しみだ。王族だから、やっぱり清楚な服装で来るのだろうか。ワンピースとか? 似合うね。うん、間違いなく。綺麗なチャコールグレーの髪と抜群のスタイルが合わさって、その姿はまるでお忍びのお姫様だ。
お姫様か。
「ねぇ! 聞いてる?」
「ん? どうしたの? 可愛いお嬢さん」
「ふざけてないで、声かけたんだから、返事くらいしてよ」
口元を尖らせた美しい女性がそこにはいた。
少し大きめのキャップを被って、オーバーサイズの水色のパーカーを着ていて、ショートパンツだ。足元には高そうな桃色のスニーカー。剥き出しになっている脚がすごくいいね。健康そうだ。
やられた。
そう来たか。
「何でにやけてるの?」
「いや、カジュアルで攻めてくるとは、俺の負けだ」
「仕方ないじゃない。フォーマルなものはどれも街で歩くには浮いちゃうし」
「たしかに」
王族が来るフォーマルな衣装なんて、値段が凄そうだし、上品過ぎて街だと目立つ。それに一瞬でグレースだとばれてしまう。
レンズに薄くブラウンが入ったサングラスも変装の為だろう。
その点だと、俺が変装をしていないから全く意味がないことは言っておく。
「似合ってない? 可愛くない?」
グレースが不安そうにキャップに手をやって目を逸らした。
ふっと口の端から思わず息が漏れた。
「可愛いよ。似合ってる」
「うん。よかった」
幼さを感じる笑顔が眩しい。
「ちょっと早いけど行こうか。遠回りすればいい時間になるよ」
そう言って俺は自然にグレースの手を取った。細い指先に自らの指を絡める。
「やるじゃん」
満足そうな声が斜め後ろから聞こえた。
俺たちは歩き出した。
結論から言うと、ジェロン連邦との戦争は終わった。
あの戦いの後、ジェロンの大統領がルーンディア王国に停戦を申し込んだ。ルーンディア王国側からすれば、元より旨みのない戦争だ。是が非でもない停戦の要請だった。
停戦した後は交渉が始まる。
ジェロンの大統領が停戦後、交渉のテーブルに呼んだのは、王族の一部と、あの〈復生体〉を倒した人間。つまり俺だった。
それと聞いて驚かないでくれ。なんと連邦の最高顧問は〈復生体〉だったのだ。
といっても老衰寸前の爺さんだけど。
今まで二回行われた会談の議題は、同盟関係の締結へ向けての話し合いだ。
ジェロン側の要求は驚くべきことに一つしかなかった。王国への〈復生体〉に対する待遇の改善だ。この要求に、女王は頷いた。
もともと、ジェロンが戦争を始めたのは、ウィリアムのを奪う為らしい。薄々勘付いてはいた。
こちらは初めて知ったのだが、〈復生体〉の救済が理由とのことだ。まだ狙っているのかと訊くと、大統領は静かに首を振った。
曰く、もうその必要はない、とのことだ。
そして、ひとつ不思議なことを訊かれた。君が倒した〈復生体〉はその後どうなったのか? と。
俺はこう答えた。
光にはならなかったよ。
大統領は頷いて、満足そうに口元を僅かに緩めた。
その慈しむような表情を見て俺は思い至った。
戦争の真の目的は、リベル・ダ・ヴェントを救う為なのではないか。
ウィリアムを奪ってより強い国へ、というのも嘘ではないのだろうけれど。
きっと、七百年前の悲しみと虚しさに終止符を打ちたかったのではないだろうか。
もしそうなら心が痛む。
あの戦争で死んだ人々——特にジェロン軍の兵士はそのことを知っていたのだろうか。
知らなかったのなら、まだ良い。
もし仮に知っていたのだとしたら——。
思想というものの度し難さに俺は一人身震いした。
大統領と老いた〈復生体〉に確認する勇気は、俺にはなかった。
俺は弱い人間だ。
科学力に秀でたジェロン共和制連邦と、〈巨神の石〉を持つルーンディア王国が、戦争をする前よりもお互いの利益となる関係であろうと手を取り合う。
これしか道はないのだ。
それでも失ったものは大きいけれど。
歩き出すことは何よりも大切なことだ。
「どうしたの?」
いけない。注意力が散漫になっていた。
今はデート中。しっかりしなくては。
「ん? あぁなんでもない。少しぼっーとしてただけ」
俺は誤魔化すように、目の前のパフェを食べた。
ブルベリーパフェ。
甘くて冷たくて、少し酸っぱい。
ちなにみグレースはいちごパフェだ。
相当気に入ったようで、先ほどから細長いグラスの中を覗き込みつつ一生懸命にスプーンでパフェを掬っては口に運んでいる。ちなみにもう食べ終わりそうだ。さっききたばかりなのに。
「もう。しっかりしてよ。で、デ——」
そのままグレースがデを連続で言うおもちゃになってしまった。
おもちゃだったら壊れているのか。
愛おしさを感じつつ俺はグレースの言葉を補足する。
「デート」
「それよ」
その短い返答が、照れているからだとわかる。
グレースの態度が戦争の前に近いことに俺は気づいていた。
数々のアプローチでは随分無理をしたようだ。
でも釣った魚にも餌をあげて欲しいとも思う。
いや、まぁ。グレースがリラックスできるならこれで良い。
それが一番だ。
「なに?」
顔を見つめていたから居心地が悪くなってしまったのだろう。
グレースに少しだけ睨まれる。
口を閉じてムッとした表情。
凄みを効かせているつもりなのかもしれないけれど、まるで子供がむくれているような顔だ。
「別に? 見てただけだよ。あ、動かないで」
むくれながらも、口の中のパフェを咀嚼することを忘れることなく動き続けるグレースの口元に俺は触れた。
「ちょっと、こんなとこで」
指先でクリームを拭う。
「こんなとこ? 口に付いてたから」
「あ、そういうことね。なるほどね。なるほど……」
グレースがじぃっと俺の親指を見つめている。
なにそれ?
どんな視線だ。
「もしかして食べたいの? クリームがほんの少しついてるだけだよ」
「ち、違うし。そ、それどうするのかなって見てただけ。……あ!」
グレースが言ってしまったとばかりにはっとした表情になった。
俺はわずかに頭を傾ける。
「どうするもなにも、ナプキンで拭くよ」
「ちょっと、そんな汚いものみたいに」
「えー……やっぱり舐める?」
どうすれば良いのかわからず、俺は一縷の望みをかけてそう訊いてみることにした。
もしかしたら、グレースがこのいちごパフェにすごい執着している可能性はある。ひと匙にも満たないクリームすらも惜しいと感じているかもしれない。
「違うって言ってるでしょ」
ふむ。
誰か正解を教えておくれ。
レイチェルさんがいればすぐにわかるのだろうが、それをやったらグレースがとても怒るだろう。
夜中、隣のグレースの部屋からグレースの奇声とレイチェルさんの笑い声が聞こえてくるのだ。
ふたりで色々話して盛り上がっているようだ。
レイチェルさんの〈神能〉関係なく、二人の中はとても良く、お互いをわかり合う良い関係なのだと感じる。
今みたいに、俺にはグレースが何を考えているのかいまいちピンとこない時がある。
〈神能〉を解除すれば予想がつくだろうけれど、少し気が引ける。
照れくさい。
ナプキンで拭うのもダメ。
グレースに返すのもダメ。
「……それなら」
俺は指先をぺろりと舐めた。
ブルーベリーパフェとは違う甘さが舌に溶ける。
「なめ、なめ、なめ」
グレースが壊れてしまった。
今日の夕飯までにはなおるだろうか。
「大丈夫?」
「え、え、あ、ありがとう」
「なんでお礼?」
グレースが顔を赤くしてしまった。
お礼を言われた理由はわからないが、お礼を言われたのだから正解だったのだろう。安心した。
なにやら、レイチェルの言った通りだだとか ドキドキするだとかを細い声で言っているのが聞こえるが。あまり気にしないようにしよう。
……たしかに背徳的かもしれない。
やってしまったか。
「グレース、これからもいろんなところに行こうか」
「え? う、うん」
呆けた顔の後、グレースが嬉しそうに笑う。
その表情が嬉しくて、俺の口角も自然と弛んだ。
俺は少しばかりの活躍のおかげとジェロンに対するパイプのおかげで、王族の近衛軍に配属された。
〈弱者の盾〉を解放させた〈復生体〉を遊ばせておく余裕と容赦はこの国にはないようだ。おかげでグレースの近くにいられるのだから文句はない。
今まで通り、〈神能者〉絡みの案件は回ってくるだろう。
変わったのは一つの条件だけ。
俺に死ぬことは許されない。
できるだろうか。
目の前の女性を悲しませないように、戦い続けてなお命を落とさない神業が。
いや、これ以上はよそう。
しなければならないのだ。
俺が戦わなくてよくなるには、それこそグレースが女王になった時だけだろう。
この笑顔を守る為に俺は死にたくない。
今の所の結論はそれだけで十分なはずだ。
「食べ終わったらどこに行こうか?」
「えっとね——」
最初のプランはすでにどこかへと消え去っている。
俺は指折り数えるグレースを微笑ましく眺めていた。
あなたもちゃんと考えてって、叱られてしまったことは付け加えておく。
俺たちはひとしきりおしゃべりに興じたあとに店を出た。
街を、グレースの手を取り合って歩く。
どちらからともなく取り合っていた手を外し、お互いの腕と絡める。
風が吹いた。どの時代も変わらず吹く優しい風が。
時には厳しい風もある。
でも確かに、彼ら彼女らは笑顔だった。そして、きっと俺も。
俺たちは天国を目指す。
確かにそこにあるだろう、より良い未来を求めて。
振り返る。
グレースが微笑む。照れてもいた。




