第2話
夜明けとほぼ同時、俺たちは塹壕に到着した。
先にいた〈復生体〉たちと交代して、それぞれの持ち場に着く。ジェロン軍を待ち構える形だ。
「やけに静かじゃないか?」
「……そうだな」
ヘンリクの疑問に俺は短い返事をした。
ジェロン軍が来ない。交代を済ませた時も、ジェロン軍がいないことでスムーズに配置換えを行うことができた。
耳を澄ましてみても、タンクの履帯が回る音も、歩兵の足音も聞こえない。
動物たちの鳴き声は聞こえてくるから、巨大な兵器が静かににじり寄ってきている、みたいなこともないはずだ。ジェロン軍が侵攻してくるのは、針葉樹林の向こう側だから。
まさか斥候の〈復生体〉がとちったのか?
嫌な予感がした。
「ヘンリク」
「わかってる。誘い出された可能性があるな」
「とりあえず、ミサイル含めて変なものが飛んできたら全部撃ち落とすよ。——お前ら聞こえてるな?」
「——了解」「——ああ、やっぱり変だよな」「——とりあえず上に注目しておこう」
それぞれの〈復生体〉の返事が聞こえた。その時。
「——は? お前、なんで……」
一人の〈復生体〉の声が途切れ、水袋が破裂するような音がした。
背筋が粟立つ感触と共に、そちらへ反射的に振り向く。
「どうした?」
ヘンリクには聞こえていない。塹壕の遠くの方か。
「わからない。でも何かおかしい」
「——お前、何してるんだ?」別の〈復生体〉の声だ。それきりそいつの声は途絶えた。先ほどと同じ、水袋が破裂するような音が聞こえた。
「——その瞳。どうして⁉︎」また、破裂音。
全てが同じ方向から。異変が、少しずつこちらに近づいてくる。空で何かが煌めいた。眼を凝らす。金色の粒子の集まりだ。朝日に照らされて見え辛いが、間違いない。
あの光は〈復生体〉が死んだ後に、その体から解けるように生まれる。
「〈復生体〉が殺されてる……」
「は?」
ヘンリクが鋭い目付きで俺を見た。
「本当。さっきからあの方向で不自然に声が途切れてる」
「どういうことだよ? 銃声も何も聞こえねぇぞ!」
「兵器じゃない! でも誰かがこちらに向かって来てる!」
こうしている間に、追加で何人もの声が途絶えている。
「わかっていることは人間であることと、おかしな瞳をしていることだけだ!」
「まさか〈神能者〉か?」
「おそらくは。——聞こえてるな、対象の位置がわかった者がいたら教えろ! 囲んで袋叩きにする!」
「——違う。〈神能者〉じゃない! こいつは、俺だ!」
そう言い残した〈復生体〉が死んだ音が聞こえた。
どういう意味だ? 俺って……。理解が追いつかない。まさか〈復生体〉から裏切りものが。
思考を巡らせかけたその時。
目の前に何かが着地した。
舞う雪の中、何事かと片目にそれを映し——。
「そんな……!」
どこかから跳躍してきたのだろう。男が一人、立っていた。
そして、ひと目見ただけで、俺はそいつが何者なのかを理解した。
「……夢なのか、現実なのか、未だにはっきりしないんだ」
「ヴェント村に着いて……メルサたちが死んでた。それで……ウィルを探して……気づいたら知らない国にいた」
青年は右手を掲げた。それは〈復生体〉の頭部だった。
「いつの間にか居たジェロンという国で、年老いた自分にあったんだ。俺の事情や、俺しか知らない事をことごとく言い当てられたよ。そいつが言うんだ。……あの光の先にウィリアムがいるって」
風が吹き、青年からフードを脱がす。露わになった瞳から、真紅に揺らめく光が漏れている。
〈神能〉を解放している……。解放条件を満たしているということは、やはり……。
俺はこいつの全てを理解できる。できてしまう。言葉の端だけでも痛いほどに。
ジェロン連邦がいかなる手段を使ったのかはわからない。
けれども現れてしまった。この戦場に決して存在しない、してはいけない男。
七百年前、全てを失った当時のリベル・ダ・ヴェントが。
「ヘンリク! 逃げろぉぉぉお!」
迫ってきた拳を、持っていた小銃で防御する。
俺たちは〈流勁〉という技が使える。それを防御に使用すれば、伝わる力を完璧に相手に返すことができる。この技が使えるおかげで、正面から殴り合って負けることは愚か、傷を負うことすらもほとんどない。——ただ、体に触れた直後に弾け飛ぶような威力でなければの話だが。
拳と接触した小銃が砕ける直前に、相手の拳へと力を返す。
ほんの一瞬、腕にかかった圧力で口の隙間から苦痛の声が漏れた。後方に吹き飛ばされる。ほんの一瞬、それだけでこれだ。
背中の感触は雪ではなかった。まずい。
「おい! ヘンリク! うっ!」
口から血の味がした。体を駆け巡った圧力が衝撃を傷つけたのだ。遅れてやってくる痛みと吐血に顔を歪ませて、ヘンリクの名を叫ぶ。
「いってぇ……」
「痛いで済んでるなら、早くここから逃げろ! 塹壕を出て遠くへ!」
ヘンリクを起こそうとして、右手に激痛が走った。恐らく折れている。比較的無事な左腕でヘンリクを強引に起こすと、俺はその背を押した。
「早く!」
「……くそっ!」
ヘンリクは足を引きずりながら、走り去っていく。いい判断だと素直に感心した。きっと、死ぬ前の俺のおかげだ。
「それで……急に殴るなんて酷いんじゃないか?」
「殴った衝撃が返ってきた……技か?」
「衝撃が返ってきて、なんでお前は傷一つ付いてないんだよ。ふざけんじゃねぇ」
俺はその理由を知っている。先ほどから揺らめく真紅の瞳。〈神能〉を解放させた証。〈神能〉は条件を満たすことで、より強い力を解放する。
それは〈弱者の盾〉も例外ではない。
解放条件は、愛されること、そして愛した者を護ろうと強く意識すること。
それにより、莫大な身体能力と、無類の防御力をその身に宿すことができる。解放することで、〈弱者の盾〉は盾たり得るのだ。
「別にいいや。ここでの目的は達したから」
「達したって、何を……」
〈リベル〉が彼方に人差し指を向けた。
「あの光の先に、ウィリアムがいるんだろう? だから自分と同じ姿の奴を何人も殺したんだ——ああ、よかった。この話は本当だったんだな。その顔を見ればわかるよ」
先ほども同じ事を言っていた。なぜそれを知っている。そう叫びたくなるのを必死に堪える。
〈復生体〉が死んだ後の金色の光が、ウィリアムの下へ戻ることを知っているのは、俺たちだけのはず……。
まさか、マーガレットと出会った時のミサイルも。
ジェロン軍の侵攻方向が、遥か彼方にある王城の方角と同じであることに思い至る。自然すぎて気が付かなかった。
「でも、俺は方向音痴でさ。もう少し殺しておこうかな」
自分と全く同じ姿から発せられた虐殺の宣言に、俺の頬は引き攣る。
自分自身との歴史を跨いだ闘いが、こうして火蓋を切ることになった。




