第2話
ジェロン入国のためのあらゆる検査を終えた俺は、マクシミリアンに連れられて街の中を歩いていた。
あの後、俺はマクシミリアンに連れられて観光をした。
三日間という少ない期間ではあったが、充実した日々だった。
いくつも驚きを乗り越え、今は公園のベンチに腰掛けている。
「おどろいたかい?」
「おどろいたよ」
俺は間髪入れずに答える。顔の横にドリンクを持って揺らした。
「発展してるんだな。この黒い飲み物もうまい」
ストローで最後の一口を吸い切る。先程まであったシュワシュワはほとんど残っていなかった。
「町並みもいい……」
公園では子どもたちがボール遊びをしている。青年たちは公園の隅でおしゃべりに夢中なようだ。そのすぐとなりには老夫婦だろうか。お互いを慈しむように見つめあっている。きっと他愛のない会話をしているのだろう。俺もああなりたかった。
そこには世代を超えた、尊い空間があった。
ひとしきり眺めて、マクシミリアンに目を向けた。
「いい国だな。さっきの映画もよかった。恋愛映画は性に合わないが。それでも面白かったし、それに美術館もよかった、一般庶民が芸術に触れやすい環境は素晴らしい。王国だと、その辺はどうだろうな。俺は王国での生活の殆どを炭鉱堀りか刑務官として過ごしたからな、よくわからない」
思い出して軽く笑う。あまりにもくじ運が悪すぎる。三年毎の更新でよくここまでハズレを引けたものだ。
「ご満足いただけたようで。君を救い出した甲斐もあったというものだね」
「そうだな、気に入った」
自然と笑みがこぼれた。すぐに消えてしまうような微かな笑み。それでもたしかに自分が作り出したものだ。
「でも一番は、いろんな人間がいることだ」
「というと?」
「肌の色や出身、信仰の違いがあってもお互いを尊重して暮らしているのがわかった。もちろんトラブルは絶えないと思うけど、お互いの存在を認めているのはとても良いな」
「それが、連邦の創設者の求めたものだ」
「創設者ねぇ……」
俺の想像通りなら、きっとそいつは。
「そうだ。今さらだけど、俺は敵国の兵士だ。こんな簡単に観光して、街を出歩いてしまっていいのか?」
「大丈夫だ。ちゃんとした手続きは踏んでいる。そのことを感情で批判してくる人間は、この国にはいない」
「それならいい」
俺は足を投げ出すように座り直した。
「そろそろ向かおうか」
「どこに?」
「ジェロン共和国連邦最高顧問、創設者の元へ」
ジェロン連邦政府の最高顧問。その肩書に似つかわしくない質素な建物へと入ると、奥の部屋へとマクシミリアンと共に通される。部屋の扉を開けて入ると、大きなベッドに老人が横たわっていた。短く切られた髪は白髪だった。きっと、元は黒髪だっただろう。
医療機器と管にまみれた枯れ枝のような体。うす青い病衣を着ていることでも体調が芳しくないことはひと目見てわかった。
眠っていた老人の目がゆっくりと開いた。
「〈復生体〉様を連れて参りました」
マクシミリアンの言葉に、老人はかすかに、しかし、しっかりとした動作で頷いた。
「ご苦労」
「……なんとなく、そんな気がしていたよ」
挨拶などどうでも良かった。
俺はこの老人が誰だか知っていた。もう七百生きた、どの年齢でどのような容姿になるのか完璧に把握している。
目の前にいるこの男は、まごうことなき〈復生体〉だ。
「自己紹介は必要ないな。俺はお前のことを、きっと誰よりも理解している」
「そうだな。でも私からすると、若い頃の自分の姿を見るのは久しぶりだ。どこの男前がやって来たのかと、一瞬驚いたよ」
「ふざけたところは流石だな」
皮肉に、老いた〈復生体〉は肩を揺らす。
「それで、何でこんなところに?」
男は軽く咳き込むと、「あぁ」と呟いた。こちらを見ていた焦点が合わなくなる。何かを思い出しているのだろう。
「もう六十年程前になる。任務の先で、ちょっとした災難があった。流れ着いたのは、今は連邦に所属する国の一つだ。そこでたくさんのものを見た——」
男は、少しずつ、絞り出すようにして己が半生を語っていく。
六十年ほど前、〈神能者〉の調査へ行ったこと。そこで苦戦し、傷だらけの状態でその国に辿り着いたこと。その国で、ある女性と恋に落ちたこと。
その国で最低階級に属していたその女性の為に、何かをしようと思ったこと。
「その結果が、連邦の創設か。やりすぎだよ」
連邦の成立は五十年程前だ。記録とも、記憶とも一致する。
有能な誰かが糸を引いていると思っていたが、まさか自分だったとは。
頭が痛くなる思いだ。
「その人は、今は?」
「もうここにはいない。私が辿り着けない所に行ってしまった」
老いた〈復生体〉は掠れた声でそう答えた。
その一言が、こいつの一生を表しているようで、俺は……。
「わかるよ。言いたいことも、やりたいことも」
「そうか」
「天国を作りたいんだろう? 天国みたいな良い国を」
「そうだ」
「その為には、ウィリアムが必要なんだろう?」
「そうだ」
「この戦争の真の目的は、ウィリアムを奪うことか?」
「ああ、そうだよ」
「俺たちはまだいい……だけど、そっちの国民は戦争で大勢死んでいるぞ? それほどのことなのか」
「……思想とは斯く恐ろしいものだ。特に良い行いだと確信していることに対してはね」
連邦の思想。つまりそれは、〈復生体〉を敬うものだろう。
マクシミリアンが言っていた。
連邦の国民は、〈復生体〉がいなかった際に、自分達がどうなっていたのかよく知っていると。
度が過ぎている。それでも思想とはそういうものであることも、俺はよく知っていた。
もうきっと、誰にも止められないのだ。目の前の〈復生体〉であったとしても。
「旗印、という意味ではリベル・ダ・ヴェントだけで事足りる。だがそれは永遠ではない。死なない思想が必要だ。その為に、ウィリアムに頼る。今回もな」
一応は利益も見ているということか。
〈復生体〉がいれば、労働力や兵力で他国に対して大きなアドバンテージができる。ちょうど今の王国の様に。
刻まれた皺を更に深くして、老いた〈復生体〉が笑った。
楽しそうには、見えなかった。
「……そうか」
俺は、俺たちは天国へ行きたい。大切な人たちが待っている人たちが待っている、その場所へ行きたい。
でも、だ。
昔から、薄々感じることがある。
本当は、天国なんてないんじゃないかって。
本当は、妻とお腹の子供が死んだ時も、そう思った。
俺は、ウィリアムよりも信心深くはなかったから。本当は、そう、思っていた。
だって、都合が良すぎるだろう? なんで神様が人間の為にそんな所を用意してくれるんだ。なんでそんな都合が良い場所が、死後に存在する?
死者に、そして残された者たちに対する慰めでしかないんじゃないか?
だから俺は、〈神能者〉たちを躊躇なく殺せたんだ。
天国なんてないとわかっていたから。
だから、ヴァシリオスの理想に心を動かされた。
——良い国を作りましょうね。天国みたいな良い国を。
この世に、それを実現させてくれるかもしれないって、期待した。
考える。どうするべきか。自分がどうしたいのかを。
俺は死ねない。死なないで戦い続けることを自ら選んだ。
でも、だ。ウィリアムが目覚める時が来るかもしれない。その時、ウィルを出迎える世界が天国みたいだったら——。
俺の為に天国を諦めてくれた友人に、何かを返せるのではないか。
それはきっと、素晴らしいことだ。
俺は緩慢な動きで口を開いた。
きっと観念したような顔をしていることだろう。
「王国は、良い国だよ」
「知っている」
「五百年経った。問題は山積みだし、もちろん良くないところもあるけどさ」
「覚えている」
「あいつの創った国だ。情はある」
「それも知っている。痛いほどに」
「……でも、それでも、今の連邦と王国……もしウィリアムが目覚めた時、どちらの国が相応しいかと言う話なら……」
言葉が詰まる。
決定的な言葉だ。
決まってしまう。
何がって? 全てだ。これからの全て。
でも、口に出そうとしてしまった時点で、きっと俺の心は決まっていた。
今の会話の中でさえ、思い出すのは親友の柔らかな微笑みだ。
「……何をすればいい?」
「……ありがとう」
老いたリベルが泣いていた。
一筋の涙が、枯れ枝のような肌を伝う。
「その説明は、私が」
「マクシミリアン。無理をする必要はない」
老いた〈復生体〉がマクシミリアンを見る。その目には慈愛があった。
「いいえ。〈リベル〉様、僕はこの国の大統領で、……あなたの養子です。息子に、それくらいの責任は負わせてください」
「養子だったのか」
「そうだよ? 若い頃の父を見たのは初めてだったから、新鮮だった」
肩を竦められ、何も言えなくなってしまう。
「まぁ良いけど」
「話が逸れてしまったね。君にしてほしいことは四つある。……いや、君自身にして欲しいことは、その中の二つかな」
マクシミリアンの声のトーンが一段落ちる。仕事の顔。きっと今まではプライベートの顔だったのだろう。
そして、少し辛そうだと思った。
マクシミリアンが人差し指を立てる。
「まず一つ。君には、記憶を失ってもらう」
「……詳しく」
予想外の一言に、平然とそう返せたことを褒めてやりたい。
マクシミリアンは丁寧に説明してくれた。
その説明に、俺は頷いた。
「二つ。一つめの状態になった君には、〈神能〉を解放してもらう」
「当然だな。記憶を失えば解放条件は満たせる」
条件付きで、〈神能〉には解放がある。
〈弱者の盾〉の解放条件は、今の俺では満たせない。
「次」
「三つ。目的は、王城に眠るとされる〈歴史あるウィリアム〉の奪取だ」
「やはりか。可能……だとは思う。」
「懸念が?」
「ああ。少し、な」
立ちはだかるかもしれない〈復生体〉の一人を思い浮かべる。グレース殿下と良い関係の奴だ。あいつは、王国を気に入っている。きっと、俺よりも。
思い浮かべて、微笑った。
俺が気にする必要はないのか、と。
「良いさ、目的の達成が困難とかって話じゃない。次」
「最後の四つ。これも本当に重要なことだ」
「何だ?」
「一つめの前の一ヶ月間、君には、目一杯連邦を楽しんでもらいたい」
「ぶはっ」
吹き出してしまった。そんなに真面目な顔で言わなくても。
「笑うところかな?」
「ご、ごめん。面白くて、いきなりだったから」
「愉快なようで何よりだ」
「良い奴だろ?」
これまで口を出さなかった老人が、自信有り気に頷いている。
こいつ、俺の息子なんだぞ、とでも言いたげな表情だ。
「あはは。いや、良いのか? その分、戦争が長引くことになるぞ?」
「そうだね。犠牲は出る。けれど……今からこの国の旗印とする人間の最後に対して、それくらいの犠牲も払えない連邦ではないよ。少なくとも大統領である僕は、そう思うね」
「あんまり、頑張り過ぎるなよ?」
俺は目に笑いの涙を浮かべたまま、背筋を伸ばしたマクシミリアンにそう言った。
それは純粋な想いからの一言だった。
そんな状態では、きっといつか限界が来てしまう。
「大統領になって、父以外に初めて言われたよ。でも、そうか……同じなんだね」
老いた〈復生体〉が、こいつ俺なんだぞと、とでも言いたげな表情で頷いている。
こいつ元気だな。
それから俺は、マクシミリアンと連邦のあらゆる場所を回った。
美術館と映画館には何度も行った。
博物館には、当時の知人の持ち物があった。
俺が一時使っただけの折れた剣が飾られていたのを見た時は、何とも言えない気持ちになった。解説文に、本当に記載されるべき人物の名前が無かったからだ。
キャンプをした。これが連邦国民の最近の流行りらしい。
ほどほどに充実した不自由が楽しいらしい。この時代の道具は今の俺には便利すぎて、焚き火を囲みながらのおしゃべりをするのが楽しいだけだった。
きっとそれが正しい楽しみ方なんだと、途中から気付いた。
街を凱旋もした。
ゆっくり動く天井が開けた馬車の中から、連邦の国民たちに手を振った。
〈復生体〉が人気なのはどうやら本当らしかった。




