第1話
自分が目を覚ましたことに気が付いたのは、白い天井が見えたから。
ぼやける頭の中で、これまでのことを思い出してみる。
数百年の日課だ。自分の記憶の繋がりを確認する。
たしか、戦争が始まった。そして、くじ引きで戦場へ行った。
一年前だ。
ここまでは、思い出せる。
自分は〈復生体〉の中でも特に悪運が強い方らしい。
一年間で死んだのは最初の一回だけ、それ以降は死なずに済んでいる。
肉体年齢は二十一歳だ。
そう、たしか直前の記憶は、雪の塹壕の中だった。目の前で何かが弾けて——。
それで、どうなった?
体が痛む。
手は、動かせる。それならと、自分の体を弄ると布の感触がした。
重い頭を動かしてみると、なるほど。病衣を着ている。
辺りを見渡す。
白い部屋。
ここは王城の最上階ではない。当然、ウィリアムもそばにいない。
つまり、死んではいないらしい。
『ようやくお目覚めかな?』
「んあ?」
間抜けな声が聞こえた。いや、俺の声か。もっと渋く言ったつもりだったのに。寝ぼけていることを想定していなかった。
『目が覚めてよかった。いや、心配だったんだ』
男の声だ。声の様子から、俺の肉体年齢よりも年上だろうか。
頭を動かして、声の発生源を探す。が、肝心の人間が見当たらない。
この白い部屋にいるのは、俺だけだ。
『想定より目が覚めるのが遅かったから』
「どこから話してるんだ?」
『あーごめんごめん。上だよ上』
視界を上にやると、黒くて四角い物体が部屋の角にぶら下がっていた。
『そうそう。そこから話しているんだ』
たしかに、声はこの黒い箱から聞こえている。
そしてどうやら、俺の行動は相手に筒抜けらしい。
「訳わからないもので話しかけてくる、訳わかんない奴か……」
『あはは。それで、君の状況なんだけど——』
「いや、当てるよ」
いやにフレンドリーな声を遮って、俺は最悪な予想を口にした。
「ジェロン連邦に拉致された、で合ってるかな?」
見たことない声を発する黒い箱に、つながらない記憶。
それが、俺の出したひとまずの結論だった。
『……正解だよ。さすがの状況判断能力だね。〈リベル〉様」
男の満足そうな笑い声が、部屋に響いた。
やはりか。しかしだ。意図が掴めない。
「顔も見せてくれないのか? 寂しいな」
『それもそうだね』
『——!』
『でもだよ? 礼を尽くさないと。これは我が国々の在り方を伝える良い機会でもある」
『——! ——!」』
別の声だ。言い争いをしている? 上手く聞き取れない。危険だとか、様子を見るべきだとか言っている気がするが。
『ああ、もう。うるさいな』
部屋の扉からガチャリと音がした。重い金属が動く音がする。随分と分厚い扉だ。
部屋に入ってきたのは、壮年の男だった。
白髪混じりの髪を短く切りそろえて、顔に笑顔で皺を刻みつけている。
笑窪が似合う、そんな男だ。
「やあ、初めまして……になるのかな? 少なくとも君とはそうだ。うん、それが良いね。お初にお目にかかります、〈リベル〉様。僕の名前はマクシミリアン——ジェロン共和制連邦の、大統領をやらせてもらっている」
大統領。たしか、ジェロン連邦のトップの呼び名だ。
不可思議な状況に、眉を動かしたくなるのを控えて俺は名乗る。
「初めまして。リベルだ。ヴェント村出身だということ以外、取り立てて名乗れるものはないが、よろしく」
「よろしく」
にこやかな笑顔のまま、手を差し出された。
握手だ。
俺はその手を取った。
「随分と無防備じゃないか。良いのか、護衛も付けずに入ってきて」
「そちらも随分と友好的だね。嬉しい限りだ」
「状況が状況だ。今更暴れても意味はないさ」
男が目を丸くした。注意して観察していなければ一瞬で、すぐに柔らかいものへと戻る。
「流石だね。それでこそ、と言えば良いのか、期待を裏切らない、と言えば良いのか。背筋が伸びる思いだよ」
「大統領にそこまで言ってもらえるなんて、恐れ多いな」
苦笑すると、マクシミリアンも笑った。あちらの方は本当に愉快そうだ。
温度差がある。
「それで、マクシミリアン。君が本当に大統領だということが前提で、この状況の説明をしてもらっても?」
「それは君を救い出した理由のことを訊いているのかい?」
不思議だ。婉曲された問い返し。それに——。
「救い出す?」
「そうだね。押し付けがましいようだけれど。連邦としては君を拉致したとは認識していない。ここまではいいかな?」
その瞳には一点の曇りもない。おかしなことを言っている自覚は無いようだ。
「まあいいよ」
「ありがとう。君を救い出した理由は、そうだな。まず一つは、連邦が掲げる〈復生体〉の救済という理念故だね」
「救済ね。その必要があるとは思えないけど」
「本当にそうかな? 歴史上、どこからどう見ても、〈神能者〉の行いは目に余るものがあった。七百年前、それらに対して否を突きつけた君の行いは、今の世においても重要な意味を持つ。あろうことか王国は、そんな君たちに対して五百年もの間搾取を続けている。それが正しい行いだと、僕は思えないし、思いたくもない」
マクシミリアンの瞳を覗き見る。柔和な表情を崩しているわけではない。口調すらも穏やかだ。ただ、覇気がある。不思議な説得力も。
なるほど。たしかにこいつは大統領なのだ。
「続けてくれ」
「ありがとう。そして二つめ。これは大統領としての理由だけど。旗印にする為だ。知っての通り、連邦は卓越した科学技術を要する。しかしだ。理解することは、憧れから遠ざかることを意味する。そしてその憧れは、前に進み続ける為の原動力だ。進む度に、それを失っているのがジェロンの現状なんだよ。悲しいことにね」
「それが俺とどんな関係が?」
率直な疑問だ。救済うんぬんは、まあわからなくもない。しかし二つめの理由はジェロン連邦の思想に関わる話、俺に関係があるとは思えない。
「大いに関係があるね。それではひとつ質問しよう。偉くて素晴らしい行いをした人物を、一人挙げてくれ」
「漠然とした問いだな」
「だからこそ意味がある」
考える。思い浮かぶのは二人。
「ウィリアム」
俺は、その中でも、自らの原点というべき存在の名を口にした。
「そうだね。君ならばそう答えるだろうね。でもより多くの人に、取り分け連邦の国民に訊いたら、なんて答えると思う?」
「さあ? 大統領の名前とか?」
マクシミリアンが笑う。
「たしかに。僕は国民の投票によって選ばれている。しかし、実のところ名前が挙がる人物はひとりだ。それは君の名前だよ」
「恐縮だな。でもなんでだ?」
芝居がかった仕草で肩を竦められた。
「連邦に〈神能者〉はほとんどいない。そして世界には、〈神能〉が神によって与えられた異能だという考えがある。選民的な思想だね。連邦の国民は知っているんだ。君たちがいなかった際の自分のたちの立場を——圧倒的な存在である〈神能者〉が、あのまま覇権を握り、神からの肯定も得た際に、自分たちがどうなっていたかを。そして、それを食い止めたのが君だということも」
確かに、〈神能〉とは名前の通り、神の能きを意味する。その名称は、人間の思想から生まれたもので、実際によくないことをしている〈神能者〉は多かった。そういう輩を、何百人殺したのか、もう詳しく思い出せない。
「素晴らしい国、尊敬を集める国が強くなる。それには象徴が必要だ。何に重きをおくかの違いだけだね。神でも、お金でも良い。そしてそれは、君でもいい。いや、我が国々には君こそが必要なんだ」
マクシミリアンの瞳の色が変わる。もちろん比喩だ。しかし、確かにその瞳に映すものが変わった気がした。
吸い込まれそうな、野望の色。そして、自らの正義を信じる曇りなき心。
それらを移した瞳で、マクシミリアンは微笑む。
「ようこそ〈リベル〉様。ジェロン共和制連邦へ。我々は君を、心の底から歓迎するよ」




