第11話
背中を叩く手のリズムと、力加減が心地良い。
左手で頭を支えたリベルが、右手でグレースの背中をトントン叩いている。
ちょうどゆったりとした呼吸のようなリズムだ。
その最中、時折うむうむと唸っている。何か考え事をしているのだろうか。それでも手を止めないことに、器用だなと感心した。
グレースは寝たふりをしていた。
戦場であることは忘れて、この瞬間に身を任せる。
と言ったものの、別にだらけきっているわけではない。
好きな人と、一緒のベッドにいる。
こんな状況で安らげる精神性を、グレースは持ち合わせていなかった。
安心はする、心地よいとも感じる。でも緊張しないわけではない。
自分の身じろぎで、リベルを不快にさせていないかなどは特に気になってしまう。当の本人がそんなこと気にしないことは知っているのに。
グレースには戦略があった。
これはあなたに安心して身を任せられますよ、というアピールだ。
なので寝たふりをしているわけだ。
スースーと可愛らしく、寝息をたてられているはずである。
グレースは自らの小賢しさに謎の自信があった。
その戦略で、一時はリベルと恋仲になることもできたのだ。この戦場のど真ん中で何をしているのか、なんて言われたら、何も言い返す言葉はない。
でも、だ。
限られた環境の中で幸せを願うこと、そしてそれを目指すことに、一体どんな悪があるのかとも、グレースは強く思う。
時と場所を選んで、己の番が回ってくる保証などどこにもない。
一年前のレイチェルとの会話を、グレースは思い出していた。
本当に至言だなと思う。
あの時の会話が自分を突き動かしていることをグレースは自覚していた。
もう自分の中にしかない思い出たち。
好きだと、言ってくれた。
愛していると、言ってくれた。
抱きしめてくれた。
頭を撫でてくれた。
他にも色々してくれた。
頭が熱を持つ。湯気が出る前に、その先を思い出すのはやめた。
同時に胸が痛む。もうこの思い出は自分の中にしかないのだ。
せっかく恋人になれたのに。リベルは死んでしまった。
次も、その次も。
リベルが真摯に受け止めようとしてくれるから、今のような関係を繰り返すことはできている。そう考えてしまう自分に嫌気が差す。
リベルに限らず、〈復生体〉は自らの命を軽んじている。
死ぬ前のリベルも、別に死にたかったわけではないだろう。ただ、その死にたくない理由が、グレースの為だけだったとしたら、きっと何かしら差が出る。
それは判断の遅れとか、それよりも強い理由で優先順位が変わってしまうとか。
先日、ヘンリクがここを訪ねてきた。
リベルの訃報だった。その時、ヘンリクはすまないと、辛そうな表情で頭を下げてきた。理由は話してもらえなかったが、その悔しそうな、やるせなさそうな顔が今も脳裏に焼き付いている。
だからグレースは察した。
ああ、リベルはヘンリクを庇って死んだのだと。
同時に醜い感情が芽生えた。
それは、リベルが選んだのが、自分ではないことに対する、言いようもない感情だった。
そしてこうも思ってしまった。
どうでも良いから、ここに帰ってきてほしいとも。
帰ってきたのが、ヘンリクではなくリベルならよかったのに。そんな考えを一瞬でも思ってしまった。
グレースはヘンリクとも仲が良い。
それは自他ともに認めることだ。
本人不在の中、リベルの話で盛り上がった回数は数知れない。
それでもグレースは、そう思ってしまった。
胸が痛い。
いろんな感情が、記憶が、ぐるぐる渦巻いて、最後に教えてくれるのは胸の痛みだけ。
鬱屈とした感情を晴らす妙案も、天啓も、打開策も、何も授けてはくれない。
それでも最後に思い出すのは、初めて出会った時の笑顔だった。
炭鉱付近で、公務の練習があった日のことだ。
練習と言っても見学が中心で、グレースは暇だった。
だから〈神能〉を使って逃げ出した。今から思えば、勉強や習い事続きで幼いながら色々溜まっていたのだと思う。
しばらく飛んだ先に、狭い穴を見つけた。炭鉱の入り口だった。
ドレスが汚れるとかはそこまで気にならなかった。
探検。その言葉が頭をよぎった時には、グレースの足はその中へと踏み出していた。
狭くて暗い炭鉱内を思うがまま進み、気づいた時には自分の居場所がわからなくなった。入り口からの光が途絶えたのだ。
その時足元から這い上がってきたものがあった。それは恐怖だった。
グレースはその時初めて、暗闇が怖いことを知った。王城に住んでいるせいで気がつかなかったのだ。無論、王城にも暗い場所はある。しかし、耳をすませば、常にどこかに人の気配がした。
今は独りだ。
知ってしまったのがいけなかった。
グレースは泣いてしまった。その場に蹲り、暗闇を隠す為に目を瞑った。本末転倒だが、幼かったのだ。仕方がない。
その時ふと、優しく声をかけられた。
——お嬢さん、こんなところでどうしたの?
ひょうきんな言い回しに驚いて顔をあげると、そこには明かりを持った青年がいた。
顔立ちは整っており、下がった目尻が優しそうな印象を与えた。特筆すべきは、暗闇に溶け込むような髪と瞳だ。
〈復生体〉だとすぐにわかった。
彼は黒く汚れた顔で、こちらに微笑んでくれていた。
——この明かりは大丈夫だよ。粉塵のなかでも爆発しないやつだから。
〈復生体〉が早口でそんなことを言った。
黙っていたから、変な勘違いをさせてしまったようだ。
安心したことで震える口で、グレースは自分の状況を説明した。
〈復生体〉はグレースが話し終わるのを、時折咳き込みながらゆったりとした雰囲気で聞いてくれていた。
——じゃあ、行こうか。
そう言ってグレースの手を引いて、〈復生体〉が歩き出した。
出口まで案内してもらって、みんながいる場所に戻った。
グレースはこっぴどく叱られた。
グレースがその時の状況を理解したのは、それからしばらく後のことだ。
〈復生体〉が咳をしていた理由。それは炭鉱内の粉塵が原因だった。〈巨神の石〉を持つグレースにとっては問題にはならなかったが、〈復生体〉はそうではない。肺がすでに犯されていたのだろう。その理由があの咳だった。
炭鉱での仕事は、危険なこと。
そしてそれは、王国にとって、必ず誰かがやらなくてはならないこと。
その危険なことを、五百年間、率先して〈復生体〉が行っていること。
その訳が、初代国王との約束であること。
そして、彼が笑顔で、自分に優しくしてくれたこと。
内面はわからない。なんて言うのは嘘だ。
グレースは、あの時確かに優しさに触れた。
自らの境遇を恨みもせず、苦しさも相手に伝わらせない。どんな状況でも他人に優しくできる人がいる。
それを知った時、あの人のことをもっと知りたいと思った。
〈復生体〉であることとかはどうでもよかった。
あの人しか知らないから。
あの日の思い出は、あの人とわたしにしかないから。
そう思い続ける日々のことだ。もう四年も前になる。
歴史の先生が、ある〈復生体〉に決まった。
少し話して気づいた。あぁ、あの人だって。
名前なんて知っているのに、グレースは尋ねた。
——名前を訊いても良いですか?
彼は少し困った顔をした後で、嬉しそうに微笑んでくれた。
——リベルです。これからよろしくね。
知りたいと思っていた答えの一つを、グレースはこの時見つけた。
おかしな話だと思う。
客観的に見て、そんな要素はないのかもしれない。
それでも確かに、グレースはこの時、恋に落ちた。
炭鉱での薄汚れた笑顔も、再会できた日の笑顔も、日々の些細な笑顔すら、心の深い所にこびり付いて離れない。
意識が現実へと戻る。
あれこれ考えた。
その結果、リベルの笑顔が好きというわかりきった事実に行き着いた。
果たして考える意味はあったのか。
それにしても、と背中に触れる手に意識を向ける。
リベルの添い寝はやっぱり上手い。
流石だなぁと思って、思わずあくびが出た。
あ。
目を開く。
「起きてたの? もう、早く寝なさい」
諭すように叱られてしまった。
そばにリベルの顔があって、彼の目尻が下がる。
薄い唇が緩やかに弧を描いている。
好きです。
「いや、今ちょうど起きたところ」
「加減間違えたかな?」
「そんなことないよ」
「お気に召したようでなにより」
ここ、押しどきだ。
「一緒のベッドで寝るのに、本当に添い寝だけでいいの?」
いやわたし何言ってんの?
心臓がうるさい。
ばくばくしてる。
あ、〈神能〉の解除を先に頼むべきだったかもしれない。
気持ちがそのまま伝わるのは、すごく恥ずかしいけど、そっちの方が手っ取り早い。
今もすごく恥ずかしいのだから、本当に今更だ。
「え! それはどうだろう⁉︎」
リベルが早口になり、目線が泳いでいる。
もう、可愛いな。
この反応を見ることができただけで、勇気を出した甲斐がある。
「ひ、ひとまずは一緒に過ごすだけということでどうでしょう!」
「ひとまず?」
「うん、今はひとまず……」
「わかった」
安心したのか、リベルの唇が少しだけ緩んだ。
唇を合わせたくなった。
けど、今はしない。
代わりにリベルの耳元に口を寄せる。
「今は、ね?」
そう囁いてやった。
リベルがびくりと震える。
「ちょっと⁉︎ いや早く寝よう! いやー今日も楽しくおしゃべりしたね!」
リベルが背を向けてベッドに寝転ぶ。反応がとても愉快だ。
今日はこのくらいで勘弁してやろう。
グレースは燭台の火を軽い吐息で吹き消す。当然、部屋は真っ暗になる。
リベルの方を向いて横になった。
その背に触れようとして、手を伸ばす。
「こんな態度でごめん。ちゃんと見てるからね」
申し訳なさそうに、リベルがそう言った。
その一言で手が止まった。
その情けない声色には、確かに覚悟があって。
手をもう一度伸ばして、彼の背に触れる。
本当は正面からしたいけど、彼の鼓動の在処を探した。
今はこれだけでいい。
彼の背中に触れたまま。後ろから抱きしめることを我慢しながら。
指先に、手の平に、微かに伝わる鼓動を感じながら、わたしは眠りについた。
早く戦争が終わればいい。そうなれば、そこから先の生活は、きっと天国みたいだと思うから。
そう信じることしか、今はできない。
後書き
第三章はこれで終わりになります。
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