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死ねない彼らに天国はない  作者: 曇天海月
【第三章「現在」ようこそ、戦場へ】
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第9話

「もういいよ」


 目を開く。すこし、というかかなり警戒して目を開くと俺は安堵した。

 グレースがしっかりとバスローブを着ていたからだ。


「残念だった?」

「別に?」


 平静を装って返す。無理があった。声が少し上擦ってしまったし。


「ふへへ。ちなみに、この下は何にも着てないよ?」


 微かな笑みを見せた後、グレースが問いかけるような視線でそう言葉を続けた。


「そうでしょうね! だからどうしたの⁉︎」

「ん〜なんでも?」


 揶揄われてしまった。


 ふと気付く。あれ? そもそもバスローブ姿でもおかしいことに変わりはないのでは?


 記憶にある限りのグレースとの思い出を探る。

 もちろん、そんな記憶はない。

 具体的には、話す時にグレースがバスローブ姿であったことがない。

 あれ? なんか毒されてる?


「どうかしたの?」


 俺があれこれ考えていることに気付いたのか。グレースが満足げな笑みを俺に向けてくる。

 いや胸元はだけ過ぎではないかな? もう少し閉めてよ。


「いや、なんでもないよ」


 この少しのやりとりだけでも、グレースのことで頭がいっぱいだ。

 ほんと勘弁してくださいよ。

 だから、ほんの少し、意趣返しをしてやろうと思った。


「いや……本当は、なんでこんなに好かれてるんだろうなって、考えてた。よかったら、教えてくれる?」


 嗜虐心を隠して言い切る。

 言っていて少し恥ずかしかったがそれも隠した。

 さあ、どう出る?


 グレースが思案する素振りを見せた。口元に自らの指を置いているから、きっとどうでもいいことを考えているのかもしれない。嫌な予感がした。

 だけどそこで、グレースは口元から指を離した。

 数秒ほどだろうか。指を離した後も、グレースは何か考えていて。

 やがて、ゆっくりと薄い唇が開かれる。


「……それを今ちゃんと言ったら、リベルが死ぬ前の関係に戻ってくれるの?」


 漏れ出すような小さい響きだった。

 俺は言葉を失った。失ってしまった。

 意趣返しのつもりだったが、想いを訊くというのは、応えるのとセットだ。

 はっきりさせないといけなくなる。焦る。冷や汗が出てきた。

 自らの首を絞めるが如き愚行である。


 でもそれよりも。

 それよりも強く頭の中を支配したのは罪悪感だった。

 グレースからしてみれば、それを言わせるなら、どうなの? となるのは自然なことなのだ。

 酷いことを訊いてしまった。


「それは……」


 返答に窮していると、グレースがニヤリと笑った。


「まぁ、秘密だけどね」


 グレースがあどけない表情で微笑む。


「へ?」


 状況を遅れて理解して、羞恥で顔が歪んだ。


「そ、そんな……」


 どうやらしてやられたらしい。というかさっきからそうなってばかりだ。


「へへ。一年分の経験の差だね」

「こっちには七百年分の経験の差があるはずなんだけどな」


 一周回っておかしな笑いが込み上げてくる。


「ところでさ、一年前に言いかけたことあるじゃん?」


 グレースが、「あ」と小さい声を漏らした。


「なんのこと?」

「マーガレットと出会う前に特別授業だなんだって。……懐かしいな、もう一年も前なんだ」

「ああ、あれか。覚えてるよ」


 俺にとってはつい最近のことで記憶に新しい。

 俺が任務に失敗して死んだことで、グレースを落ち込ませてしまった時のことだ。


「あれ、何を言おうとしたの?」

「今この状況で言ってもって感じがするけど……。グレースは俺とヴァシリオスの決着の話って覚えてる?」

「決着の話?」

「そう。ルーンディア王国建国前の決着の話」

「それは……確か、陸から鉄の巨人、空から銅の鯨、海からは銀の大蛇が、リベル・ダ・ヴェントの復生体に立ち向かった。それらが、津波の如き黒い災厄に呑み込まれるその時、ヴァシリオスが剣を抜き放った。それはこの世に——」

「途中でごめん。それは戦いそのものの話だね」

「もー」


 いいところで邪魔をされたグレースが頬を膨らませる

 そういうところは変わっていないのだなと、俺は温かい気持ちになった。


「そうではなくて、決着の話。本当の戦いの終わりの話だよ。つまり、『こう戦いが終わった』では王国の建国には繋がらないんだ。戦いというのは対話による交渉の失敗で起こることが常だけど、同時に、最後は話し合いで終わるものなんだ。特に、国同士の争いとか、大きな戦いだとね」


 対話には限界がある。暴力的な行い全てを押し留めることなどできない。

 だが、暴力ではカバーできないことを尻拭いするのは対話の仕事だ。


「ヴェシリオスが凄かったのは、強いことだけじゃないよ。最後の最後で、俺に話し合いを持ちかけたことだ。話し合いを選択できたことだ。彼が想い描く未来の為にね」

「……それをなんであの時言おうとしたの?」


 グレースが首を傾げる。

 当然だ。あの時特別に話す内容ではない。

 俺は笑った。その理由が俺らしい浅はかなものだったから。


「それは、学術的興味で少しでもグレースの気を引いて、元気にしたいと思ったから」

「そっか」


 グレースが少しだけ満足そうな表情を見せた。凝視すれば笑顔に見えなくもない、絶妙な表情だ。


「それなら、この戦争も最後は対話で終わるんだね」

「うん」


 あらゆる犠牲を払って得たものはなんだったのか。その時になってようやく決まる。

 それは少しだけ惨めな行いだと思う。

 でもそうしなければ、お互いに先へと進めない。

 勝ったとか負けたとか関係なく、未来にその歩を進めることができないのだ。


「初代国王はどんな人だったの?」

「ん〜。何しろ五百年も前だからな」


 そう言って俺は考えているふりをした。

 なぜって? 少し照れ臭かったからだ。

 少しだけ気合いを入れて俺は口を開く。


「……戦いが終わった時の年齢は十六歳だったね。一人称は僕で、体格も細めだったかな。それで……グレースと同じ髪の色だった」

「え、わたしよりも年下だったの?」

「そうだよ。本当に大したやつだった。ウィリアム——ウィルと同じくらい尊敬している」


 それが俺の正直な感想だった。

 あの人懐っこい中性的な面立ちを思い浮かべる。

 これは秘密だが、ヴァシリオスは出会った時奴隷だった。ついでに言うと、名前もなかった。ヴァシリオスという名前は、俺に勝った時にあげたものだ。それまでは〈少年〉と呼んでいた。


 五百年前のある日。貴族の〈神能者しんのうしゃ〉の噂を聞きつけた俺たちは、ガリガリに痩せ細り、鉄製の首輪と足枷を嵌められた奴隷の少年に出会った。少年は、その〈神能者しんのうしゃ〉の奴隷だった。


 気まぐれで救い出して、気まぐれで教育を施した。

 言葉を話せないようだったから、それも丁寧に教えた。


 ウィルが俺にやってくれたことだったから、それの真似事をしてみたくなったのだろう。まぁ、ウィルは俺と同い年でそれをしていたから、比較などしようもないが。


 俺も昔は奴隷だった。言葉を話せなかった。そんな俺を見つけ出して、古びた小屋から、ウィリアムは連れ出してくれた。自らを閉じ込めていたあの小屋の扉が、あんなにも簡単に壊された時の衝撃は、筆舌に尽くし難い。

 他人より何倍も力が強かったのに。当時の俺は、それに気付くこともできなかった。

 小屋を飛び出して二人で走って、走り続けて。

 夜が明け橙色に染まったあの景色を、俺は絶対に忘れない。


 話を戻そう。

 奴隷の少年は〈神能者しんのうしゃ〉だった。

 俺は、自らの経験を元に〈神能スキル〉の扱い方を教えた。

 最初は金属の塊を浮かす程度だったが、少年の飲み込みは驚くほど早かった。

 圧倒的な、才能があった。

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