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死ねない彼らに天国はない  作者: 曇天海月
【第三章「現在」ようこそ、戦場へ】
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第5話

 双眼鏡を覗きつつ、俺はヘンリクのヘルメットをコツコツと叩いた。


「おーい。あの鉄の象みたいなやつの砲塔がこっち向いたぞ」

「撃ってくるな。こっち来るぞ。」


 ヘンリクの言葉通り、塹壕の隣の壁が吹き飛んだ。雪と土が顔面にかかり、二人して、犬みたいに顔を震わせる。


「あれはなんだい? ヘンリクさん」

「あれはタンクっつー、ジェロンの兵器だ。履帯でどんな悪路も踏破する自走式の砲台だな」

「このありえないくらい連射の速い銃声はなんだい?」

「これは機関銃だ。あれでさっき見てぇな〈復生体〉の投擲を牽制してやがんだよ。頭出すなよ。〈復生体〉でも首から上が消し飛ぶ」

「教えてくれてありがとう。タンクをぶち抜けるか試すところだったよ」


 背筋に冷や汗が流れる。

 景気が良かったのは道中の目覚ましくらいだった。


「実際ぶち抜ける。連邦も馬鹿じゃねぇから学んでるんだよ。死に物狂いで撃ち込んで来るぞ」

「捨て身で何十人かで投げるのは?」

「賭けがすぎるな。この塹壕越しの拮抗は〈復生体〉ありきだ。人数不利になったら押し切られるし、姫さんが来た時のサポートも足りなくなる」

「さすが先輩。頼りになるね」

「不思議なもんだな。志願兵になって最初に色々教えてくれたのはそっちだってのに」

「そうなんだ。最初の俺はなんか言ってた?」

「ああ?そうだな……今まで見たことないくらいキレられたよ」

「そうなんだ。これこっちも撃った方が良い感じ?」

「弾切れにならない程度に適当にな」


 匍匐前進の音とわずかな呼吸音から敵兵の位置を割り出し、銃口だけ塹壕から出して数発。それらの音はそれ以上聞こえなくなった。当たり前だが良い気分ではない。必要だからと、やれる自分にも嫌悪感がある。それは昔から変わらない。


「了解。それで、なんで怒られたの?」

「他人事だな。まあそうだな……平和ボケした臣民が、志だけで志願兵だ。何か言いたくもなるだろうな。実際、鼻垂れ野郎だったしな」

「まぁ今の俺が怒る気分にならなかったのは、ヘンリクの雰囲気が前と違ったからだしね。男子三日会わざればなんとかとも言うし。それが一年だ。ヘンリクも変わったんだよ」

「そう言ってもらえて何よりだよ。もう六時間か」


 ヘンリクが腕時計をちらりと見た。


「もうそんなに? 騒音で時間の感覚がないよ」

「ちなみにだが、そろそろ姫さんに来てもらわないとやばい。このままここにいても、いずれ毒ガスで燻り出される。今は〈復生体〉がそれを抑えてはいるが、それももう保たねぇ」


 ヘンリクは軽い調子だが、心臓の鼓動から実際は焦っているのがわかる。

 この戦場で十ヶ月生き残った危機感は、伊達ではないらしい。


「じゃあ本当に危なくなったら、俺たちで志願兵の人たちは逃すよ。ヘンリクの他にも何人かいるだろ?」


 あたりを見渡すと、ヘルメットの隙間から黒髪以外を覗かせる兵隊が数人。他にもいるだろう。


「無理することはないよ。本来命は一つしかないんだから」


 ヘンリクが周りを見渡す。

 彼と同じ立場だろう志願兵を視界に入れて、頭を強く振った。


「……悪い。頼めるか?」


 俺は安堵した。


「わかった。速い方がいい、今から行動しよう。どこを目指せば良い?」

「背後にある森の中だ。そこまで引ければ安全だ。連中も視界が遮られた森の中で〈復生体〉とやり合おうなんて思わねぇ」


 ヘンリクの指差す先。塹壕越しに木々の頭頂部が見える。

 ここからだと、どのくらいの距離があるのか判断がつかない。到着した際に見た針葉樹の高さと距離はどれくらいだったか。

 今から頭を出して確認するのも危険だ。


 俺は耳を澄ました。

 これだけの騒音。動物たちは逃げているだろうが、逃げ遅れたものもいるはず。

 そして、そうした生き物は自然と高い木々の上に登るはずだ。


「聞こえた」

「なに?」

「木の上に小動物がいる。鳴き声としては五十メートルくらいかな」

「凄まじいな」

「少しね」


 親指と人差し指の間を少し開けた身振りで示す。


「いけるか?」

「〈復生体〉が気を引いて盾になればなんとか」

「ああ悪いな、本当に」

「良いってことよ」

「それじゃあ、あいつらを頼む」

「は?」


 俺は耳を疑って雑に聞き返す。


「なんだよ?」


 ヘンリクが肩を竦める。その動作が俺を苛立たせた。


「ヘンリクも逃げるんだよ」


 意図を汲み取れなかっただけ。そう願って念を押した。


「俺は逃げねぇよ」

「なんで?」

「なんでって。そうだな……お前たちが戦い続けるからだ」

「だから、それをなんでって訊いてるんだよ。いいか、ヘンリクたちと俺たちの命の価値は違う。ヘンリクたちが命をかける必要はないんだ」

「だーうるせぇな。……結局こうなっちまうのか」

「どう言う意味?」


 ヘンリクの言葉には、俺が知らない期間の何かがある。それはわかる。

 だがそんなこと知ったことではない。

 聞き返しているようで、その実は拒絶だ。


「……俺は知っちまってる。絵本にも登場する偉大な人物が、凍えたガキ相手にサイズも合わないような手袋を差し出して、あたふたしちまうような普通の人間だって」


 そう言って俯くヘンリクの様子が、あの時と重なる。

 あの時の小さな男の子と。


「ただの偉大で雄大な化け物なら多分こう思ってた。全部任しちまおうって。でもちげぇんだ。そうじゃねぇんだ。カーの運転ひとつではしゃぐようなガキみてぇな所も。知らねぇ奴と話す時少し慌てるところも。知っちまってる」


 ヘンリクとの灰色の瞳と目が合った。ヘンリクが俺を見上げたから。


「なら一緒に戦わねぇと。例え足手まといになって死んだとしても」

「……そんな」

「それに、命の価値が違うってんなら、この場のやりとりの発言の重さも違うはずだぜ? 俺は一つしかない命を賭けて、この場にいるんだからな」


 それは詭弁だ。

 そう跳ね除けることもできたはず。

 それができないのは。


「……わかった。この場で意見を変えることができないなら、これ以上は無駄だね。——聞こえてるな? 志願兵たちを逃がす。後ろの森の中まで守れ」


 後半の内容は〈復生体〉たちへの指令だ。俺たちなら、これで全て伝わる。


「助かる」


 ヘンリクは腕を軽く振ってそう言った。


「分からず屋には、何を言っても無駄だからね」


 硬い意志は何人なんぴとにも曲げることはできない。

 俺はそのことを、自分自身の行いを持って誰よりも知っていた。


「でも本当に危なくなったら、問答無用で連れ出す。意識を絶ってでも」

「知ってるよ」


 その一言で、俺が知らない期間に何があったのかわかってしまった。

 その結末も。


「……辛い思いをさせたね」

「いや、力不足だ。仕方ねぇ」


 力不足なのはお互い様だ。

 この状況下で、俺はヘンリクを守り切ることができるだろうか。

 かつての俺がそうできたように。


「——リベル。聞こえる? 聞こえたら発煙筒で合図して」


 上空から声が聞こえた。

 その声はおよそ戦場には似つかわしくない可憐なもので、昨日と、つい数時間前にも聞いた、馴染みのある声だった。


「どうやら、事態は変わったらしい」

「は?」


 背嚢から取り出した発煙筒に火を付けて、空へと掲げる。


「なるほどな」


 ヘンリクが不敵に笑った。


「——グレースの声が聞こえたな。志願兵を逃がすのは中止。グレースのサポートをしろ」

「——了解。愛されてるな」

「——うるさい。あと何を知ってる?」


 微かに聞こえてきた〈復生体〉の茶化しに溜息を漏らす。


「上空にいるグレースにとって危険なものは機関銃くらいか?」


 サポートのタイミングが重要だ。

 そう思った矢先、大きな塊が敵軍の方から飛んできた。

 その塊は塹壕の真上を掠めると、軋むような音と共に轟音を撒き散らす。熱風で周囲の温度が上がった。


「——ごめん。そっち飛ばしちゃった」


「……杞憂だね」

「今のタンクか⁉︎ 相変わらず凄まじいな! 姫さん」

「金属を操る〈神能者しんのうしゃ〉の前に、金属の兵器だからね。当然こうなるか」


 どれほどの新兵器でも金属である限り〈巨神の石(メナカナイト)〉の敵ではない。


 タンクが弾んでいる。

 グレースは操ったタンクで、ジェロンの部隊を蹴散らしていた。

 ジェロン兵が死に物狂いで空に機関銃を撃っているが、グレースは縦横無尽に空を駆けている。当たるわけがなかった。


「壮観だなぁ」

「あれが遺伝するんだもんな。〈巨神の石(メナカナイト)〉って意味わからねぇよ」

「遺伝というより、〈巨神の石(メナカナイト)〉は同じ血統を持つ者に〈巨神の石(メナカナイト)〉を宿らせることができるんだよ。それができれば一人前だ」

「それ、言ってもいいのかよ?」

「だれも聞いちゃいないよ。というより、知ってるものだと思ってた」


 戦場が静かになっていく。

 エンジン音と足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

 音が急激に少なくなった銀世界は、驚くほどの静けさを取り戻していた。


「ひとまずお疲れ様」

「おう、お疲れ」


 ため息混じりに、お互いの顔の前で手をがっしりと握り合う。


「おとこの友情ってやつ?」


 空から舞い降りてきたのは、やはりグレース。

 軽口を叩きながらのご登場だ。


「グレースもお疲れ様。ありがとうおかげで助かったよ」

「うん。それならよかった」


 グレースが微笑む。昔よりも淑女然とした振る舞いに拍車がかかっている。

 これも一年という期間か。

 前みたいなガキ笑いは、もう見られないのかもしれない。


「あれだけ高いところ飛んでると寒いでしょ?」

「超寒いよ。塵紙が何枚あっても足りないくらい。鼻水どばどば出てくる」

「えー。お姫様がそういうこというもんじゃないよ」


 グレースのあんまりな言葉に、素直な感想が口から漏れてしまった。


「いいのよ。人間だもの」

「人間だからって、最強の言い訳だよね。全てに寛容になれる気がするよ」

「くだらねぇこと言ってねぇで、次の戦闘の準備だ」

「そうだね。グレースとこういう雑談するのが楽しくて、ついね」

「わたしともっと話したい?」

「うん? うん」


 グレースのその一言に他意を感じるが、ひとまずは疑問を押さえ込んで肯定してみる。

 〈弱者の盾(インフィルムス)〉を解除しているからグレースの心音は聞こえるけど、それはいったん無視することとする。


「姫さんは、ずっとここにいるわけにはいかないだろ?」


 ヘンリクが目を細くして空に視線をやる。早く戻れ、もしくは次の戦場に行けと促しているらしい。


「言われなくてもわかってる。それじゃ、二人とも」


 少し拗ねた態度でグレースは大空へと飛翔していった。

 小さくなっていくグレースを見ながら、最初に口を開いたのはヘンリクだった。


「お前な、あんまりああいうこと言うんじゃねぇよ」

「えーと、まず俺の知らないうちに、俺とグレースの間に何が起きたのか教えてくれない?」

「本人から聞け。姫さんはお前を追ってここにきたんだ」

「そうなの⁉︎」

「ああ。〈復生体〉が苦戦してるっていう戦況も手伝ってな」


「——リベル、聞こえる? 聞こえていたら、戻ったらわたしの宿舎に来て。居ない場合は、置き手紙を書いておくから。おしゃべりしよ」


 頭を抱える。

 俺の知らない俺は、一体何をしていたのか。

 得体のしれない恐怖が、過去から俺を仕留めようとにじり寄ってくる。

 しゃがみ込む。力が抜けてしまった。


「うわ。急にどうしたよ?」


 ヘンリクから奇妙なものを見るような視線を賜ってしまう。


「——なんだなんだ? お熱いな」とか「——逢瀬だ逢瀬だ」のような、普段は無視できる雑音も耳に入ってきてしまう。


 聞こえているのがわかって揶揄ってくるから、余計にタチが悪い。

〈復生体〉の、こういうしょうもないところを怒れないのは、もしあっち側なら似たようなことをしている自信があるから。


「大体わかるけど、大変そうだな」


 助けを求めてヘンリクを見上げると、慈愛たっぷりの表情で迎えられた。

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