第5話
双眼鏡を覗きつつ、俺はヘンリクのヘルメットをコツコツと叩いた。
「おーい。あの鉄の象みたいなやつの砲塔がこっち向いたぞ」
「撃ってくるな。こっち来るぞ。」
ヘンリクの言葉通り、塹壕の隣の壁が吹き飛んだ。雪と土が顔面にかかり、二人して、犬みたいに顔を震わせる。
「あれはなんだい? ヘンリクさん」
「あれはタンクっつー、ジェロンの兵器だ。履帯でどんな悪路も踏破する自走式の砲台だな」
「このありえないくらい連射の速い銃声はなんだい?」
「これは機関銃だ。あれでさっき見てぇな〈復生体〉の投擲を牽制してやがんだよ。頭出すなよ。〈復生体〉でも首から上が消し飛ぶ」
「教えてくれてありがとう。タンクをぶち抜けるか試すところだったよ」
背筋に冷や汗が流れる。
景気が良かったのは道中の目覚ましくらいだった。
「実際ぶち抜ける。連邦も馬鹿じゃねぇから学んでるんだよ。死に物狂いで撃ち込んで来るぞ」
「捨て身で何十人かで投げるのは?」
「賭けがすぎるな。この塹壕越しの拮抗は〈復生体〉ありきだ。人数不利になったら押し切られるし、姫さんが来た時のサポートも足りなくなる」
「さすが先輩。頼りになるね」
「不思議なもんだな。志願兵になって最初に色々教えてくれたのはそっちだってのに」
「そうなんだ。最初の俺はなんか言ってた?」
「ああ?そうだな……今まで見たことないくらいキレられたよ」
「そうなんだ。これこっちも撃った方が良い感じ?」
「弾切れにならない程度に適当にな」
匍匐前進の音とわずかな呼吸音から敵兵の位置を割り出し、銃口だけ塹壕から出して数発。それらの音はそれ以上聞こえなくなった。当たり前だが良い気分ではない。必要だからと、やれる自分にも嫌悪感がある。それは昔から変わらない。
「了解。それで、なんで怒られたの?」
「他人事だな。まあそうだな……平和ボケした臣民が、志だけで志願兵だ。何か言いたくもなるだろうな。実際、鼻垂れ野郎だったしな」
「まぁ今の俺が怒る気分にならなかったのは、ヘンリクの雰囲気が前と違ったからだしね。男子三日会わざればなんとかとも言うし。それが一年だ。ヘンリクも変わったんだよ」
「そう言ってもらえて何よりだよ。もう六時間か」
ヘンリクが腕時計をちらりと見た。
「もうそんなに? 騒音で時間の感覚がないよ」
「ちなみにだが、そろそろ姫さんに来てもらわないとやばい。このままここにいても、いずれ毒ガスで燻り出される。今は〈復生体〉がそれを抑えてはいるが、それももう保たねぇ」
ヘンリクは軽い調子だが、心臓の鼓動から実際は焦っているのがわかる。
この戦場で十ヶ月生き残った危機感は、伊達ではないらしい。
「じゃあ本当に危なくなったら、俺たちで志願兵の人たちは逃すよ。ヘンリクの他にも何人かいるだろ?」
あたりを見渡すと、ヘルメットの隙間から黒髪以外を覗かせる兵隊が数人。他にもいるだろう。
「無理することはないよ。本来命は一つしかないんだから」
ヘンリクが周りを見渡す。
彼と同じ立場だろう志願兵を視界に入れて、頭を強く振った。
「……悪い。頼めるか?」
俺は安堵した。
「わかった。速い方がいい、今から行動しよう。どこを目指せば良い?」
「背後にある森の中だ。そこまで引ければ安全だ。連中も視界が遮られた森の中で〈復生体〉とやり合おうなんて思わねぇ」
ヘンリクの指差す先。塹壕越しに木々の頭頂部が見える。
ここからだと、どのくらいの距離があるのか判断がつかない。到着した際に見た針葉樹の高さと距離はどれくらいだったか。
今から頭を出して確認するのも危険だ。
俺は耳を澄ました。
これだけの騒音。動物たちは逃げているだろうが、逃げ遅れたものもいるはず。
そして、そうした生き物は自然と高い木々の上に登るはずだ。
「聞こえた」
「なに?」
「木の上に小動物がいる。鳴き声としては五十メートルくらいかな」
「凄まじいな」
「少しね」
親指と人差し指の間を少し開けた身振りで示す。
「いけるか?」
「〈復生体〉が気を引いて盾になればなんとか」
「ああ悪いな、本当に」
「良いってことよ」
「それじゃあ、あいつらを頼む」
「は?」
俺は耳を疑って雑に聞き返す。
「なんだよ?」
ヘンリクが肩を竦める。その動作が俺を苛立たせた。
「ヘンリクも逃げるんだよ」
意図を汲み取れなかっただけ。そう願って念を押した。
「俺は逃げねぇよ」
「なんで?」
「なんでって。そうだな……お前たちが戦い続けるからだ」
「だから、それをなんでって訊いてるんだよ。いいか、ヘンリクたちと俺たちの命の価値は違う。ヘンリクたちが命をかける必要はないんだ」
「だーうるせぇな。……結局こうなっちまうのか」
「どう言う意味?」
ヘンリクの言葉には、俺が知らない期間の何かがある。それはわかる。
だがそんなこと知ったことではない。
聞き返しているようで、その実は拒絶だ。
「……俺は知っちまってる。絵本にも登場する偉大な人物が、凍えたガキ相手にサイズも合わないような手袋を差し出して、あたふたしちまうような普通の人間だって」
そう言って俯くヘンリクの様子が、あの時と重なる。
あの時の小さな男の子と。
「ただの偉大で雄大な化け物なら多分こう思ってた。全部任しちまおうって。でもちげぇんだ。そうじゃねぇんだ。カーの運転ひとつではしゃぐようなガキみてぇな所も。知らねぇ奴と話す時少し慌てるところも。知っちまってる」
ヘンリクとの灰色の瞳と目が合った。ヘンリクが俺を見上げたから。
「なら一緒に戦わねぇと。例え足手まといになって死んだとしても」
「……そんな」
「それに、命の価値が違うってんなら、この場のやりとりの発言の重さも違うはずだぜ? 俺は一つしかない命を賭けて、この場にいるんだからな」
それは詭弁だ。
そう跳ね除けることもできたはず。
それができないのは。
「……わかった。この場で意見を変えることができないなら、これ以上は無駄だね。——聞こえてるな? 志願兵たちを逃がす。後ろの森の中まで守れ」
後半の内容は〈復生体〉たちへの指令だ。俺たちなら、これで全て伝わる。
「助かる」
ヘンリクは腕を軽く振ってそう言った。
「分からず屋には、何を言っても無駄だからね」
硬い意志は何人にも曲げることはできない。
俺はそのことを、自分自身の行いを持って誰よりも知っていた。
「でも本当に危なくなったら、問答無用で連れ出す。意識を絶ってでも」
「知ってるよ」
その一言で、俺が知らない期間に何があったのかわかってしまった。
その結末も。
「……辛い思いをさせたね」
「いや、力不足だ。仕方ねぇ」
力不足なのはお互い様だ。
この状況下で、俺はヘンリクを守り切ることができるだろうか。
かつての俺がそうできたように。
「——リベル。聞こえる? 聞こえたら発煙筒で合図して」
上空から声が聞こえた。
その声はおよそ戦場には似つかわしくない可憐なもので、昨日と、つい数時間前にも聞いた、馴染みのある声だった。
「どうやら、事態は変わったらしい」
「は?」
背嚢から取り出した発煙筒に火を付けて、空へと掲げる。
「なるほどな」
ヘンリクが不敵に笑った。
「——グレースの声が聞こえたな。志願兵を逃がすのは中止。グレースのサポートをしろ」
「——了解。愛されてるな」
「——うるさい。あと何を知ってる?」
微かに聞こえてきた〈復生体〉の茶化しに溜息を漏らす。
「上空にいるグレースにとって危険なものは機関銃くらいか?」
サポートのタイミングが重要だ。
そう思った矢先、大きな塊が敵軍の方から飛んできた。
その塊は塹壕の真上を掠めると、軋むような音と共に轟音を撒き散らす。熱風で周囲の温度が上がった。
「——ごめん。そっち飛ばしちゃった」
「……杞憂だね」
「今のタンクか⁉︎ 相変わらず凄まじいな! 姫さん」
「金属を操る〈神能者〉の前に、金属の兵器だからね。当然こうなるか」
どれほどの新兵器でも金属である限り〈巨神の石〉の敵ではない。
タンクが弾んでいる。
グレースは操ったタンクで、ジェロンの部隊を蹴散らしていた。
ジェロン兵が死に物狂いで空に機関銃を撃っているが、グレースは縦横無尽に空を駆けている。当たるわけがなかった。
「壮観だなぁ」
「あれが遺伝するんだもんな。〈巨神の石〉って意味わからねぇよ」
「遺伝というより、〈巨神の石〉は同じ血統を持つ者に〈巨神の石〉を宿らせることができるんだよ。それができれば一人前だ」
「それ、言ってもいいのかよ?」
「だれも聞いちゃいないよ。というより、知ってるものだと思ってた」
戦場が静かになっていく。
エンジン音と足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
音が急激に少なくなった銀世界は、驚くほどの静けさを取り戻していた。
「ひとまずお疲れ様」
「おう、お疲れ」
ため息混じりに、お互いの顔の前で手をがっしりと握り合う。
「おとこの友情ってやつ?」
空から舞い降りてきたのは、やはりグレース。
軽口を叩きながらのご登場だ。
「グレースもお疲れ様。ありがとうおかげで助かったよ」
「うん。それならよかった」
グレースが微笑む。昔よりも淑女然とした振る舞いに拍車がかかっている。
これも一年という期間か。
前みたいなガキ笑いは、もう見られないのかもしれない。
「あれだけ高いところ飛んでると寒いでしょ?」
「超寒いよ。塵紙が何枚あっても足りないくらい。鼻水どばどば出てくる」
「えー。お姫様がそういうこというもんじゃないよ」
グレースのあんまりな言葉に、素直な感想が口から漏れてしまった。
「いいのよ。人間だもの」
「人間だからって、最強の言い訳だよね。全てに寛容になれる気がするよ」
「くだらねぇこと言ってねぇで、次の戦闘の準備だ」
「そうだね。グレースとこういう雑談するのが楽しくて、ついね」
「わたしともっと話したい?」
「うん? うん」
グレースのその一言に他意を感じるが、ひとまずは疑問を押さえ込んで肯定してみる。
〈弱者の盾〉を解除しているからグレースの心音は聞こえるけど、それはいったん無視することとする。
「姫さんは、ずっとここにいるわけにはいかないだろ?」
ヘンリクが目を細くして空に視線をやる。早く戻れ、もしくは次の戦場に行けと促しているらしい。
「言われなくてもわかってる。それじゃ、二人とも」
少し拗ねた態度でグレースは大空へと飛翔していった。
小さくなっていくグレースを見ながら、最初に口を開いたのはヘンリクだった。
「お前な、あんまりああいうこと言うんじゃねぇよ」
「えーと、まず俺の知らないうちに、俺とグレースの間に何が起きたのか教えてくれない?」
「本人から聞け。姫さんはお前を追ってここにきたんだ」
「そうなの⁉︎」
「ああ。〈復生体〉が苦戦してるっていう戦況も手伝ってな」
「——リベル、聞こえる? 聞こえていたら、戻ったらわたしの宿舎に来て。居ない場合は、置き手紙を書いておくから。おしゃべりしよ」
頭を抱える。
俺の知らない俺は、一体何をしていたのか。
得体のしれない恐怖が、過去から俺を仕留めようとにじり寄ってくる。
しゃがみ込む。力が抜けてしまった。
「うわ。急にどうしたよ?」
ヘンリクから奇妙なものを見るような視線を賜ってしまう。
「——なんだなんだ? お熱いな」とか「——逢瀬だ逢瀬だ」のような、普段は無視できる雑音も耳に入ってきてしまう。
聞こえているのがわかって揶揄ってくるから、余計にタチが悪い。
〈復生体〉の、こういうしょうもないところを怒れないのは、もしあっち側なら似たようなことをしている自信があるから。
「大体わかるけど、大変そうだな」
助けを求めてヘンリクを見上げると、慈愛たっぷりの表情で迎えられた。




