第1話
死ねない彼らに天国はない。
その一文を目にした時、俺は一人頷いた。
まあ、確かに。
自分を元にした小説だ。なんとなく気になったから取り寄せてみて、最初の方だけ読んでみた。
ぱたんと控えめに、けれど強調するように、複雑な感情で本を閉じた。
忘れるとしよう。嫌なことを思い出してしまった。
というか、今日は一大イベントがあるのだ。
そのせいで今日はずっと落ち着かない。
部屋にある時計を見る。先ほどから何度も見てしまっていた。
時間だ。
というか少し過ぎている。いつの間にか、深く考え込んでしまっていたらしい。
「クワァーに乗ってくる!」
俺はそう宣言をした。
豪奢な部屋の中、一人の若い女性と目が合う。年齢は十八歳。ソファに腰掛け、ドレスとはいかないまでも上品なワンピースに身を包んでいる。
綺麗な少女が、チャコールグレーの艶やかな髪を耳にかけている最中だった。
その少女——グレースがこちらを見つめて怪訝な表情をすると、大きなため息を吐いた。ぱっちりとした碧い瞳が今だけは細められている。
ここはルーンディア王国の王宮内のグレースの部屋。そして今は、グレース殿下への歴史の授業後である。
今日の分の授業が一段落着いてしばらくしたところで、俺は先ほどの宣言をしたのだ。
「リベル、どうしたの急に。 何? くわ?」
「そう! クワァーだよ」
「え、奇声?」
「違うよ。ジェロン連邦が作った新しい乗り物だよ。馬も犬も要らずに動く乗り物! もちろん〈神能〉だって必要ないんだ」
「ふーん。それどうやって動かすの?」
「それはよくわからない」
「危なくない?」
疑わしいと言いたげな瞳だ。この目は俺の身の安全ではなく、俺の周りの安全を気にしてだろう。信用されていない。
「大丈夫大丈夫。というか知らないの? 連邦から友好の証として王家にクワァーが送られてくるの」
「それ、呼び方本当に合ってるの?」
「どうだろう。ジェロンの言葉だから、発音に違いはあると思うけど……カラスの鳴き声みたいな名前だったとは思う」
「カー、カー……」
ぽつりとグレースが呟く。なんの偶然か、件の乗り物の名前にそっくりだ。
「どうしたの急に? カラスの鳴き真似なんかして」
俺の言葉にグレースは顔を真っ赤にすると、口をわなわなさせながら怒鳴った。
「なんでもない! 早く行ってくれば?」
「へーい」
グレース殿下はご機嫌斜めなご様子だ。
俺はその声に後押しされるようにグレースの部屋を離れる。
長い廊下での様々な人物からの挨拶にできるだけ気さくに対応して、疲労を感じつつある頃には目的の場所へと到着していた。
王宮の広大な中庭である。
「おせーよリベル」
「ごめんごめん」
ヘンリクに声をかけられる。彼は若い商人だ。灰色の瞳に、真っ白の短髪。妹がいるようだから、きっとその妹の髪も真っ白なのだろう。
彼とは王宮への納品関係で何度か顔を見せるうちに親しくなっていた。本当にいつの間にかだ。きっと気が合うのだろう。
「ここは居心地が悪いんだ。勘弁してくれ」
「まぁそうかもね。悪かったよ。授業が長引いてさ」
ヘンリクは平民だ。そしてここは王宮の敷地内。居心地が悪いなんてものではないだろう。生きた心地がしないはずだ。
悪いことをしたなと頭をかく。
「姫さんか? それなら仕方ねぇな。ほら納品だ」
「おー! これが!」
俺は努めて見ないようにしていた物体に目線を向けた。いや、ヘンリクのすぐ横にあったのだから無理があるが、紹介されるまでは触れないのがマナーというものだろう。
「そう、カーだ」
ヘンリクが自身たっぷりの表情で乗り物の名前を口にする。
グレース。あれはカラスの鳴き真似ではなかったんだね。ごめんよ。
「……これがカーか!」
先ほどの姫殿下への無礼を隅へと追いやり、俺は歓喜の声を上げた。
乗り物の外観は、まさに馬車だ。だがそこには、本来いるべき馬はいない。もちろん御者台も。それらしきものは全て馬車の内部の部屋へと収められているようだ。
「これどうやって動かすの? というかどうやってここまで運んできたの?」
これほど大きな乗り物を運んでくるのは難しい。
まさか王族の〈神能〉で運んでもらったのか。
〈神能〉とは、一部の人間が発現する特殊な能力だ。まさに神の如き人智を越えた異能である。様々な種類が存在し、グレースたち王族が持つのは、〈巨神の石〉という金属を操ることができる〈神能〉だ。
そして〈神能〉を持つものを文字通り〈神能者〉と呼ぶ。
御伽話でよくある魔法と魔法使いみたいなものだね。
この乗り物は金属で出来ているようだし、〈巨神の石〉ならば運ぶのは容易だろう。
「そりゃ乗ってに決まってんだろ?」
おそろしいくらいのドヤ顔でヘンリクは答えた。
「お〜!」
釣られて歓声をあげる。ということは、噂は本当だったようだ。
「まぁ、流石に王宮に着いてからは姫さんに運んでもらったけどな」
なるほど。グレースも意地が悪いな。さっきは何もしらないふりなんかして。
トイレ休憩がやけに長い時があったなとは思ってたんだ。
それを指摘するようなマナー違反はしなかったから気が付かなかった。
「それでヘンリクさん。これはどうやって動かすんですかい?」
「それはねリベルさん……って可笑しな小芝居に巻き込むんじゃねぇ。まったく」
ヘンリクは咳払いをすると、仕切り直すように懐から紙を出し、何かを確認している。
「えーっと、納品は乗り方を教えるまでだったか。うわ、めんどくせぇ」
「そんなこと言うなよー。ささ、ヘンリクさん」
ヘンリクの背中を軽く押して促すと、やれやれと言った様子でヘンリクは説明をし始めた。




