【プロローグ「七百年前から」ある信心深い男の末路】
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最初の一文はこうだった。
………ある吟遊詩人が物語る。
七百年前から、リベルという男がいる。
外見的な特徴は黒髪に黒眼。
ヴェントという村で育ったその男は、人一倍優しく、少し人見知りの青年だった。
彼は他人よりも少しばかり、というか、かなり力が強かったが、それでは手に入らない幸せをいつも欲していた。
やがてリベルは幸福になった。
最愛の女性と一緒にいる約束をした。もう直ぐ子供も生まれる。
周りには親愛なる友人たち。
リベルは幸福の頂に立っていたと言えるだろう。
そんなある日、幸福な日常に影が差した。
ヴェント村が滅びたのだ。
最愛の人は、お腹の子供と天国に旅立ってしまった。
親愛なる友人たちも、ただ一人を除き、同様に皆殺しにされた。
〈神能者〉と呼ばれる、超常の力を持つ者の仕業だった。(この事件の三年後にリベルによって殺害されている)
リベルは激怒した。そして、それより遥かに大きな哀しみと虚しさに襲われた。
彼は村の壊滅から生き残った無二の友人に頼み込んだ。
どうか。
どうか。
神様を裏切ってくれないか。(文献による)
無二の友人であるウィリアムはそれを聴いて深く頷いた。
ウィリアムは〈神能者〉であり、神父でもあった。
次の場面はそれから数十年後のある出来事である。
******
男は追われていた。
——どうしてこうなった?
走る。
夜の森の中、盛り上がった根に足を取られ転びそうになりながら、男は息を切らせて走っていた。
先程から何度も振り返る。自らと追ってくる者との距離が少しでも離れることを祈りながら。
——どうしてこうなった?
男は玉粒の汗を額から吹き出し、泥まみれの手でそれを拭った。
男には資格があった。神から与えられた異能を行使する資格が。
炎を操る〈神能〉で、気にいらないものはすべて燃やし、気に入った女がいたら、燃やす前に楽しんだ。村や街に行って少し小火を見せてやれば、いくらでも金が積まれた。そこでしばらく滞在し、やせ細っていく住民を見るのは極上の愉悦だった。
男がしたのはそれだけで、神に愛された自分であれば、当たり前の日常だったはずだ。
——どうしてこうなった?
先程から、あの黒髪と黒い瞳が脳裏をちらつく。
その度に男の息は上がり、視界が狭くなった。
あの黒髪の若い男と出会ってしまったのは数日前、街で突然襲われて、身体能力が高いこと以外は苦も無く燃やせた。
しかし恐るべきことが起きた。
その次の日、燃やして殺したはずの男が、もう一度目の前に現れたのだ。今度は燃えにくい外套と、腰に剣を挿していた。それだけなら問題なかったのに、男の身体能力は格段に向上していた。
左手を切り飛ばされて苦痛に喘ぐ自分に、黒髪の男は何かを言っていた。
そうした訳の分からない恐怖から逃げ出してきて、今に至る。
根に足を取られて、顔から地面へと転んでしまった。
顔を上げた時、そいつは居た。
暗い森の中に溶け込む濡烏色の髪に、こちらの意識を覗き込んでくるかのような、深淵のような黒い瞳。 その姿を見ただけで、本当の悪魔は山羊の姿をしていないことを思い知り、噛み締めた奥歯から音がし始めた。
咄嗟に〈神能〉を行使する。右手に火球が生成され、眼の前の黒髪の男を焼き払わんと辺りを照らした。
そんな神の如き威光も一瞬。
黒髪の男が剣を振りかざすのとほぼ同時に右手が縦に割られた。骨すらも無情に裂け、鮮血が湿った地面を更に濡らした。
体と脳に伝わったのは衝撃だけで痛みはなかった。
再び掲げられた剣が振り下ろされ、男の肩へと食い込む。絶叫にも、呆けた時の叫びにも似た何かが、男の口から泡のように漏れる。
「どう、して」
晴れぬ問いの中、男の命はそこで終わった。
男の命を終わらせた者は、その亡骸をみて深く息を吐いた。白い息が口から漏れ、すぐさま夜の深い闇へと消える。
リベル・ダ・ヴェントはそれを何度か続けた後、徐に空を見上げた。
無論、枝葉に遮られ、星々は疎か月さえ見えない。
そこにあるはずの星空は、リベルの目には届かない。
はたしてそれが、今この瞬間だけを指しているのかすら、到底分かりようはなかった。
これは、つい七百年ほど前からの有り触れた顛末である。
リベル・ダ・ヴェントは、記憶を保存し、自らを復生する〈神能〉を用いて、悪事を働く〈神能者〉たちを粛清していった。
リベル・ダ・ヴェントの特異な身体能力と復生能力を前に、汎ゆる不条理と〈神能者〉が轢き潰された。
しかし彼らは、金属を操る〈神能〉を持つ一人の青年との戦いに敗れた。
敗れた後、リベル・ダ・ヴェントはその青年が創った国の一部として働き、五百年の月日が経とうとしていた。
この物語はそこから始まる。
ああ、覚えていてほしいことが、一つだけ。
敗北する前も、その後も。長い年月の中、彼らは天国を夢見ていた。
でも、おかしな話だろう?
死ねない彼らに天国はないのだから。




