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追っかけ令嬢は死に戻っても殺されたい  作者: 柊原 ゆず


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第10話 デートの誘い


 絶望的で甘美なすれ違いを残したまま、お茶会はお開きとなった。

 喧騒から離れた静かな廊下を、シュテファンはリリアナの手をしっかりと取って進んでいく。窓から差し込む午後の光が、彼の漆黒の髪と彫刻のように整った横顔を美しく照らし出していた。

 その完璧な姿を隣で見上げながら、リリアナの胸にはチクリとした痛みが走る。

 ――ああ……。お飾りの妻になんてなりたくない一心で、なりふり構わずあの方に縋り付いてしまったせいで……。

 視線を落とすと、自らが身に纏うドレスの裾には、庭園でひざまずいた時についた泥の汚れがはっきりと残ってしまっていた。一切の隙もなく洗練された『氷の貴公子』の隣を歩くには、あまりにも不相応で、薄汚れた姿だ。

 このままでは、ただでさえ至らない自分が、さらに彼の完璧な美意識を汚してしまう。

 そう思ったリリアナは、ひどく悲しげに眉を下げると、包み込まれていた自らの指先にそっと力を込め、彼の大きく温かい手からすり抜けるように手を離した。

 ふわりと温もりが消え、シュテファンの足がピタリと止まる。


「リリアナ嬢?」


 静かな廊下に、低く落ち着いた彼の声が響く。振り返ったシュテファンは、突然エスコートを拒絶された理由が分からず、微かに目を丸くしてこちらを見下ろしていた。


「あ……っ、わ、私……その、先ほど庭園で、ドレスを汚してしまいまして……」


 リリアナは、己の失態を告白する罪人のように身を縮め、ギュッと両手を胸の前で握りしめる。


「こ、これでは、完璧でいらっしゃるシュテファン様のお隣にはいられませんわ……っ! どうか、私めを置いて先にお戻りくださいませ……!」


 どこまでもシュテファンを唯一神として神聖化し、自らを路傍の石か何かのように卑下する言葉。崇拝しすぎるが故の、あまりにも隔絶された信徒のような彼女の態度に、シュテファンは微かに眉を顰めた。

 彼としては、妻のドレスが泥で汚れようが全く気にならない。むしろ、自分に縋り付いてくれた証であるその汚れすら、狂おしいほど愛おしく感じているのだ。

 しかし、言葉足らずな彼の微かな顰め面は、リリアナの目には『薄汚れた妻への呆れ』にしか映らない。


「……構わない」


 シュテファンは短く、けれど決して拒絶を許さない力強さを込めてそう告げた。そして、小さくなっているリリアナの元へと一歩踏み出すと、躊躇うことなく手を伸ばし、先ほどよりもさらにしっかりと、彼女の白い手を強く握り直した。そのまま、有無を言わせぬ自然な動作でエスコートを再開する。


「しゅ、シュテファン様……っ」


 汚れた自分に触れれば、彼の手まで汚れてしまうかもしれない。恐れ多いと頭では分かっているのに、リリアナの心臓は甘い痺れを伴って激しく跳ね上がった。

 ――あああっ!泥に塗れたこんな私すらも見捨てず、慈悲の手を差し伸べてくださるなんて……っ!なんて海よりも深く、空よりも広いお心をお持ちなのかしら!

 頭の先からつま先まで、歓喜と多幸感が突き抜けていく。何よりも敬愛するシュテファン自身が「構わない」と直々に仰っている以上、リリアナには抵抗などできるはずがなかった。ギュッと握られた彼の革手袋越しの温もりにうっとりと目を細めながら、リリアナはだらしなく緩みそうになる頬を必死に引き締め、愛しい神様の隣をどこまでも幸せな足取りでついていくのだった。

 二人は廊下を進み、歴代の公爵夫人が使用してきた格式高い『夫人室』の豪奢な扉の前へと到着する。

 エスコートの終わりを告げるようにシュテファンの足が止まった。リリアナがうっとりとした心地のまま、淑女のカーテシーをして別れの挨拶を告げようとした、その時だった。

 シュテファンはふと何かを思いついたかのように、静かに口を開いた。


「……明日、予定はあるだろうか」

「え……?特にありませんが……」


 唐突に告げられた言葉に、リリアナは目を丸くし、反射的に答えた。

 ――次期公爵であるシュテファン様が、私の予定など気にかけてくださるなんて!

 もちろん、仮に他家とのお茶会などの先約があったとしても、リリアナは迷うことなくすべてを白紙にしてシュテファンを最優先するつもりであった。彼の一言は、彼女にとって絶対の神託なのだから。


「ならば、ドレスを買いに行こう」

「ど、ドレスですか……?!」


 思いがけない誘いの言葉に、リリアナはブンブンと勢いよく首と手を振った。

 彼と一緒に出かけられること自体は、天にも昇るほど嬉しい。だが、相手は領地経営から社交まで、次期公爵としてやらねばならない公務が山ほどあるはずの身なのだ。


「わっ、私めのために、そのような貴重なお時間を作っていただくなど……っ!ドレスなら、実家から持参したものがありますので……!」


 至らない自分のために、彼の忙しい時間を割いてもらうなど恐れ多すぎる。それに、下手に彼の財産を使わせてしまえば、『浪費家の無能な妻』として呆れられてしまうかもしれない。リリアナは身を縮め、必死に遠慮の言葉を並べ立てた。

 しかし、そんなリリアナの遠慮を遮るように、シュテファンは一歩だけ彼女へ距離を詰めた。そして、深い海のような青い瞳で彼女を真っ直ぐに射抜き、ひどく真摯な、低い声で告げた。


「……私が贈りたいんだ」

「――っ!」


 たった一言。一切の誤魔化しもない、シュテファンの真っ直ぐすぎる言葉に、リリアナの心臓は見事に撃ち抜かれてしまった。

 ――わ、私が贈りたい、ですって……!? なんて恐ろしくも甘美な響きなの……っ!この私に直々に贈り物をしたいと仰ってくださるなんて……っ!

 公爵夫人としてみすぼらしい格好をさせないための義務感に違いないと、いつものネガティブな変換すら追いつかないほど、彼の瞳の奥にある不器用で切実な熱情に、リリアナの脳内はあっという間にショートしてしまう。


「は……はひ……っ!よ、よろしく、お願いします……!」


 彼からの申し出を断ることなど、信徒である彼女にできるはずもなかった。至近距離で極上の言葉を真正面から浴びてしまったリリアナは、熟れた果実のように顔を真っ赤に染め上げ、コクコクと壊れたからくりのように何度も頷くのだった。


つづく

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