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「はいじゃあみなさん、おはようございます。はい広がって隣の人に当たらないように」
店長がそうボソボソ話すのを打ち消すように、店長の上の天井の丸い灰色のスピーカーから、ラジオ体操の前奏が流れ始めた。
「ラジオ体操第一~~~~」
聞いたことのあるラジオ体操始まりの号令。
本当にラジオ体操するんだな…とかは今は本当にどうでもいい。
そこにいるおよそ二十名くらいの大半が、私の知らない人だった。
思考が追い付かない。
店長と田中さんと、女性社員の日高さん以外は知らない人。
そしてみな、胸にうずまきと、「スパイラル」のロゴが入った黄色いエプロンを着けている。エプロンを着けていないのは店長だけ。それは書店のときと同じだ。
月屋書店には店長以外の男性従業員は大学や専門学校に行きながら夕方から入るバイトの子だけだったが、今この場にいる従業員は男性と女性ほぼ半々くらい。そしてほとんどが五十代か六十代。七十代に見える人だっている。私がいちばん若いかもしれない。
みな少し歳がいっているせいもあってか、若干ダラダラとはしているが、従順に、いつも通り当たり前、というようにの両手を広げて、隣の人と見合わせながら間隔を取り、「まずは腕を前から上にあげて背伸びの運動~~」という声に合わせて、一斉に背伸び運動を始めた。
え?え?と思いながら田中さんを見ると二十代後半の田中さんもだるそうだ。
え?え?と思いながら強張った背伸び運動をする私だ。
怖すぎる。間違っているのもわかっている。私だって気付いている。ここは違う。私がいるところではない。私は間違ったところにいるんだ。
知らない人たちとホームセンター。書店では絵本のフェアが展開されたレジ前のフェア台にはセール品の洗剤が並び、その横には芳香剤の新商品…。
そして児童書のコーナーの隣はユニクロだったはずなのだ。今朝見たときも変わらずユニクロだったはずなのに、今ガラス戸が貼りめぐらされている外は園芸品売り場だ。そのままテラスのようになって、屋外のフードコートへと続いている。
そうか水撒きか。店長が言ってたわ。水撒きっていうのはあそこで苗にってことね…。
園芸、と書かれた自分の名札を見る。心臓が小さいビー玉くらいの玉になったのかと思うくらい胸はキュッ!としているのに、鼓動だけは嘘みたいに大きい。
それでも他にどうすることも、今この場の私には出来ないような気がする。ここで一人だけ何もせずに様子を見るとか、この場から去るとか、そういうことが今の私には出来ない。今の私と言うか、そもそも私という人間はそういう風に生まれ育ってしまっているのだ。いざというときに何も出来ない。
そんな自分が情けないという気持ちと、仕方がないという気持ちと、わけがわからないという気持ちが混ぜこぜになって余計に胸がドクドクと波打つ。心と体が離れたように私は背伸び運動しているのだ。
「腕と足の運動~~~~」
ラジオ体操は進む。私はもどかしく一緒に体を動かしながらも皆を観察する。みんなの前にいる店長の横の日高さんを見ると眉間に皺を寄せている。昨日も閉店まで通しのシフトだったからだと思うが、店長も日高さんも田中さんも今がおかしな状況だとは全く思っていない様子だ。日高さんのネームプレートには「家電製品 日高」と見えた。家電担当なのか…。書店の業務も大型書店になると持ち運んだり出し入れするほんの量も多くて結構肉体労働だが、家電なんて相当重いものが多いのに大丈夫なんだろうか…。
私はいったい何の心配をしているんだろうか。
日高さんの体力の心配をしている場合ではないのだ。
もちろんここが夢の中だと疑うことも出来る。
ここは「違うところ」だ。私が今までいた場所と「違うところ」。どうしてこうなっているのかはさっぱりわからないし、夢だと疑うことが出来てもこれが夢でないのはわかる。ここにいる私の体中の感覚がここは夢の中ではないと感じるのだ。
気を抜くと吐きそうになりながらラジオ体操は続く。歳のいった従業員たちの動きは鈍いしぎこちないが、全員まじめに取り組んでいるのはわかる。私の知らない人たちがだ。
チラチラと店内も見回す。実際映画などでこういうシチュエーションに遭った登場人物たちは立ち止まり、回りを見回し、なんなら走り回っていろいろなものを確認し、辺りにいる誰ともわからない人たちに聞いて回るのだ。「ここはどこなんですか?」って。
それが出来ない。
…いや、私も田中さんには聞いた。ホームセンターてなんですか、って。
ホームセンターはホームセンターだ。ここから見える全てのものが普通のホームセンターの店内の景色。
大家さんが私に言った、「異世界の入り口なんていたるところにあるからね」という言葉。夕べ読んだ大家さんの小説の情景と、その小説サイトで流れていたホームセンタースパイラルのCМ、そして今朝キイと見た空に浮かんだ銀色のうずまき。
…そうか。
ここの違和感は私なのだ。間違ったところにいるんじゃない。私が間違った存在なのだ。ここはこうして、毎日当たり前にここにあったのに、そこにただ私が入り込んでいるだけなのかもしれない。私は大家さんの小説に出て来た女の子と同じだ。一人きりでわけのわからないところにいてどうしようもできない。
私は体操をピタリと止め、頭をぶんぶんと振って急に心を決めた。
よし。帰ろう。とりあえずやまぶき荘に帰るのだ。私が今住んでいるやまぶき荘に。
「すみません店長!」私が大声で呼ぶと店長も動作を止め私を「ふん?」という顔で見た。
私は体を折るようにしてお腹を押さえ、首だけ上げて店長に訴える。「すみません…お腹が急に。すごい痛くてちょっとお手洗いに行かせてください」
店長以外の皆の反応を一瞥する。みな一瞬驚き、少し笑う人、困った顔をする人、表情を変えずに体操する人…。
お腹が痛いのは嘘だが、ものすごく気持ちは悪い。
店長は「ふん?」の顔の後すぐに返事をくれなかったが、私は体を折ってお腹を押さえたままの態勢で踵を返し、体操の輪を離れ、走りながらエプロンのひもをほどき、そのままバックヤードのロッカールームに走り込んでエプロンを脱ぎ切るとロッカーの中からカバンを取り出してそのまま店から出て、一回も振り返らずに一階の店員搬入口まで走った。
搬入口へ走って来た私に警備員が変な顔をしていたので、「すいません体調悪くて」と言うと、「あ~…」と間があった後、「お大事に」と付け足すように私の背中に言ってくれていたが、私はそのまま返事もせず急いで建物を出た。
バス停へ急ぐ。いつもの時間ではないからすぐにバスがあるかわからない。今朝バスに乗ってここまで来たときまでは普通だったのに。普通の仕事に行く時間に乗った普通のいつものバス。窓から見えた景色もいつもと同じだった。
…同じだったんだろうか。…同じに見えただけなのだろうか。
いつから、どこから、私のいるところが変になったんだろう。あのショッピングモールの建物の中だけが異世界なのかも、と思ってはじめて振り返ってみた。見て、頭をぶんぶんと振った。
とにかくやまぶき荘に帰らなくては。




