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おまけ2 三重構造モデルについて

金沢大学を中心とした研究グループは日本人の成り立ちについて三重構造モデルというのを提示しています。が、東大大学院はこの説を否定しています。


三重構造モデルとは最初に渡来した弥生人が北東アジア人で、その後(古墳時代のちょっとまえ頃)から大量に入って来た渡来人が東アジア人であった、というものです。

興味があれば以下のURLを参照してください。

https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/96414/


表示されている棒グラフは金沢大学のグループがつくったものです。このグラフにおける弥生人は縄文人6割と北東アジア人4割の混血比率となっていて、古墳人(古墳時代の日本人)は6割が東アジア人で縄文人の比率は1割ちょっとになっています。で、この古墳人が現代日本人(本州)のゲノムとほぼ同じとなっています。


なんとなく納得してしまいそうですが、この説の基礎となっているサンプル数は非常に少ないです。


弥生人として表されているグラフは佐世保の下本山岩宿遺跡から出た弥生末期の骨のゲノムを解析したものであり、全国津々浦々のデータではないのです。


で、東大はこれを無視し、山口県の土井ヶ浜遺跡から出た弥生前期の骨のゲノム解析結果のみを弥生人のデータとしました。佐世保の骨(弥生末期)は弥生人ではなくてひっそり生き残った縄文人の骨だと結論づけたようです。ただし、佐世保の骨は箱式石棺に入ってました。ひっそりと生き残った縄文人とは思われません。弥生時代末期の北部九州ですし、それなりの大きな村の中のそれなりの地位にあった人物だと思われます。


尚、山口県の骨のゲノム(弥生前期)は棒グラフにおける古墳人に近いそうです。


弥生前期の弥生人のゲノムがすでに東アジア人のゲノムを大量に含んでいたわけだから、古墳時代前夜に大量に東アジア人が来たという話は成立しない、というのが東大の見解です。


金沢大のグループはそのあたりについては反論していないようですが、山口県から出た骨については無視してるのだろうと思われます。


わたしは、金沢大学の三重構造モデルを支持します。

ただし、山口県から出た骨のデータを無視するわけではありません。


謎を解くカギは酒を飲めない下戸の人たちの分布にあります。


人の遺伝子にはアルコール分解能力が高いN型(ALDH21)と突然変異で分解能力が低下したD型(ALDH22)があるそうです。


都道府県別に酒の飲めないD型の遺伝子の分布を見ると、縄文の比率の少ない県でD型が多いというデータがあるようです。


そのD型は今から8千年ほど前に中国大陸の南方で誕生したらしいです。で、その遺伝子を持った人類の一部が北方に移動後、朝鮮半島を経由して日本列島へ渡来したと考えられています。いわゆる弥生人は北東アジアから流れてきた民族となっていますが、そのD型の遺伝子を持っていたと思われます。

商王朝は黄河流域で稲作をしていたわけですが、王家の者は北東アジア系で農民たちは長江流域や珠江流域からの移民だったのかもしれません(ここは推測の域を出ません)。


で、山口県の土井ヶ浜遺跡から出た弥生前期の骨のゲノムを見ますと、これには大量の東アジア人のゲノムが含まれていたようです。ということは、最初に入って来た渡来人には東アジア人も混じっていたということです。奴隷として売られていた人たちですからひとつの民族ではなかったのでしょう。


ただ、それらの初期の渡来人の多くは数世代を経るうちに酒の飲めない者ばかりになったと思われます。彼等は奴隷として働いたわけですから酒を飲んでオダをあげるような者は排除されたでしょう。そういう奴隷は反乱したりしますから、騒ぎを起こす度に処刑されていったろうと思います。


それに、酒は貴重品だったので支配層が独占していたはずで、そういう意味でも酒を飲みたがる奴隷は排除されたであろうと思います。


なので、北部九州で数世代をすごした弥生人は酒の飲めないD型ばかりが生き残ったでしょう。それで、佐世保から出た弥生末期の骨には東アジア人のゲノムが入っていなかったわけです。


さて、現代人の多くは東アジア人のゲノムを6割とか7割持っているようです。ということは、最初に渡来した弥生人のあとに大量に東アジア人が入って来てるということでしょう。なので、金沢大学のグループが主張する三重構造モデルはまちがっていないと思われます。


で、それら古墳時代前夜に渡来した東アジア人はすでに日本列島にいた弥生人とはあまり混血せず、自分たちの血統を守ったようです。そこは棒グラフを見れば明らかです。


尚、この説には言語の問題があります。


古墳時代前夜に大量に入って来た渡来人(東アジア人)は中国語を話していたでしょう。が、日本語は中国語とは全然ちがいます。


この件について参照すべき面白いデータがあります。


バスク人というのがフランスとスペインの国境あたりの山岳地域に住んでいます。チーズケーキで有名なところです。そこの言語はインド・ヨーロッパ語族ではないそうです。なので、遺伝子的にもインド・ヨーロッパ語族の末裔ではないのだろうと思われていたそうです。が、調べてみたら、遺伝子はフランス人やスペイン人とほとんど同じであったらしいです。


バスク人の言語はインド・ヨーロッパ語族が西ヨーロッパに侵入してくる前の言語らしいのですが、インド・ヨーロッパ語族が押し寄せてきて女たちを独占してしまったあとも、その子孫は土着の言語を話しつづけたらしいです。


これは山岳地域という厳しい環境のおかげだろうと分析されています。厳しい環境で暮らすには土着の女たちの生活様式を尊重せざるを得ず、それらが生んだ子は父親の言語を引き継がず、母親の言語をしゃべるようになったのだろうと言われています。


古墳時代前夜の日本はまだまだ厳しい環境で、米をつくるのも簡単ではなく、そのノウハウを伝えていたのは弥生人の女たちであったため、言語はそれらの土着の女たちの言語がそのまま残ったということなのでしょう。

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