第11話 ニューロンドン
『親愛なる市民の皆様。すでにご存知かと思われますが、残念ながら我々人類の文明は避け難い災厄によって滅亡しました。ですが、ご心配には及びません。我々はこのような事態に備えて、人類救済、文明復興の礎となるこの街、ニューロンドンを建設しました。あなた方生き残った人類におきましては、文明が災厄前の水準まで復興可能になるまで、そして数世代後になるであろう地上への帰還のために、しばらくの間ここで過ごしていただきます。衣食住は揃っております。治安も維持されています。教育機関も完備されています。なんの心配もございません。ここ、ニューロンドンから再び人類の文明が始まるのです』
ロンドン、ヒースロー空港に向かう飛行機の中で、ゾハル・シモンズ・枢木は、合衆国の特務機関MJ12のメンバーであるデトレフ・ブロンク博士から渡された音声ファイルを聴いていた。
ゾハルはミスカトニック大学の大図書館から手に入れた、とっておきの魔導書に記された儀式を行える場所を必要としている。この儀式はかなり大掛かりなもので、一般的な街の数ブロック分の土地を確保するのが望ましい。当然極秘に行いたいので、その土地選定にはかなり骨が折れるだろうことは重々承知していた。だが、博士は個人的なツテからあっさりと条件に合致しそうな土地を紹介してくれた。なんでもブロンク博士が顧問を務める組織が、そのような土地を斡旋してくれるという。そんな上手い話があるものなのかとゾハルは疑ったが、案の定その土地というのは普通の場所では無いようだ。それが、この謎の音声ファイルにもある『ニューロンドン』である。
当然のことながらそんな街は聞いたこともない。だが、ブロンク博士によれば確かに存在するのだという。ゾハルはまさに今その『ニューロンドン』へ案内してくれるオブザーバーとコンタクトする為に英国へと向かっているのだ。普段のゾハルならばそんなくだらない話には乗らないのだが、他ならぬブロンク博士の紹介だ。彼が嘘をつくような人間ではないことはゾハルが一番よく知っている。
今回の儀式はかなり大規模な魔法陣や強大な魔力を必要とする。手練れの魔術師や神秘主義者の組織であれば途端にその痕跡を嗅ぎつけるだろう。敵対的な聖職者やウィッチハンターのように実力行使で止めにくるものもいるかもしれない。人ならざる力を振るおうとする時、結局最後に最大の敵となるのは同じ人間なのだ。
ゾハルは飛行機の窓に写った自分の顔を見た。栗色の髪に栗色の瞳。ブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳を母から受け継いだ妹、オーディットとは似ても似つかない。ゾハルはこのアジア然とした顔が嫌いだった。魔術師の世界は旧態依然としている権威主義の世界だ。そして長らく西洋で独自に発展してきたのである。まずもって東洋人というだけでバカにされる。父が黒髪のアジア人然とした外見ながら多くの魔術師の崇敬を集めていたのは、その天才的な術の才能があったればこそだ。ゾハルも自らの腕前には自信があったが、いかんせんまだあらゆる魔術師をひれ伏させるような実績があるわけでは無い。なので、今回の超大規模な儀式は、この閉鎖的な魔術の世界に自分の名を売るまたと無い機会でもあった。もちろん真の狙いは儀式の完全な遂行であり、単なる売名では無い。だが、今回の挑戦は自らの魔術師としての立場を確固たるものにする千載一遇の機会であることに変わりはなかった。足場固めも今後のためには必要なことなのだ。
その日、欧州最大の利用者数を誇るヒースロー空港はいつにも増して混雑していた。懸案の第三滑走路の建設は遅々として進まず、増え続ける旅行者の需要に対して、空港職員の人手不足や保安検査の強化に伴うボトルネックが顕在化していたのだ。ゾハルは正直うんざりしていたが、こんなところでくだらない騒ぎを起こして目立つわけにもいかず、二時間以上もの無為な時間を過ごした。ようやく荷物を受け取ってロビーに行くと、ツアーの添乗員や家族を待つ者たちでごった返していた。その中に「ようこそ倫敦ゑ」という日本語の紙を持った人間を見つけた。これがブロンク博士があてがってくれたオブザーバーの目印なのだ。ゾハルが一応はルーツである日本語ができることを利用した合言葉のようなものだった。確かにこれなら他の人間にはわからなくともよく目立つ。背の高い黒人の男が日本語の紙を両手の人差し指と親指だけで丁寧に持っているのは妙な光景に見えた。
「あなたがゾハル・シモンズ・枢木様ですね。この度はわたくしが同行させていただきます。エデンとお呼びください」
エデンと名乗った男はそういって乗用車へとゾハルを案内した。メーカー名もエンブレムも付いていない黒塗りのセダン。エンジン音もせず甲高いモーター音がすることからもEV車なのは間違いないが、普通に考えて怪しさ以外感想が浮かばない状況だった。
「君、エデンといったね。それは本名なのか?それともコードネームか何かか?」
ゾハルは単刀直入に聞いてみた。あからさまに怪しい雰囲気を醸し出してきてるのは向こうのほうなのだ。いちいち配慮してやる必要もない。
「ゾハル様。さすがでございます。確かにわたくしのエデンという名前はわたくし個人を表す名前ではございません。ブロンク博士から聞いてらっしゃると思いますが、わたくしの任務はあなたを無事にニューロンドンへお連れして儀式の成功を見守ること。わたくしの個人的な話など取るに足らないことでございます」
運転席でまっすぐ前を向いたままエデンは答える。元より誠意ある答えなど期待はしていなかったゾハルは質問を切り替えることにした。
「例の音声ファイルにあった『ニューロンドン』とはなんだ? たくさんの音声ファイルがあったが、妙に音が劣化していてどうにも古臭い。作り物か何かの可能性はないのか?」
それを聞いたエデンは「そう時間がかからずに目的地に着きますのでお待ちください」といって、無言になった。説明するよりも実物を見た方が早いらしい。
三十分ほど走ったエデンの運転する車は、幹線道路から外れてまだロンドンの中心部からは程遠い林の前で止まった。あたりに人の気配は全くない。ついさっき曲がった細い道路の脇に立っていた看板には、ここが私有地であり勝手な立ち入りを禁ずるような文言があった。
「どう見ても怪しげなスポットだがどういう事か説明してもらおうか」
ゾハルがエデンにそう問いかけると、エデンはついてくるように促したあと、林の小道に歩いて行った。仕方なくゾハルもその後を追うと、数分歩いたところに開けた空間があった。草が生え放題で荒れ果てているが、昔は公園か何かだったようだ。その中心部にこれまた古びたキオスクだったものらしき建物があった。黒の革手袋をしたエデンがその裏口のドアを開いて中に入る。そして、床にある隠し扉のようなものを開けた。このキオスクの入り口は人がたびたび出入りしているらしく、草などがまとわりついていなかった。隠し扉の中は金属の梯子になっていて、ところどころにランタンが設置されているために視界は確保できた。ゾハルたちが梯子の下にたどり着く頃には百メートルは続いているであろう横道のライトが全て自動で点灯していた。エデンがようやく口を開く。
「この辺り一体の土地は八十年以上前に我々が買い取りました。西暦1940年の八月、ここに広大な地下空間があることがわかり、我々は早々に確保に動いたのです」
ゾハルはようやくエデンの所属する『組織』の情報を聞けた。これから少しの間ではあるが共に仕事をする者たちだ。なんでもいいから情報が欲しい。
「我々といったが、君たちは一体どういった組織なんだ?ブロンク博士からは彼が個人的に顧問を務めていることしか聞いていない。名前すら知らない組織と仕事をするのはどうにもやり難いな」
エデンはゾハルの質問に答えながら通路を歩き出した。
「我々は『ニューロンドン』のような超常的な土地や物、あるいは存在を確保して人類により良い未来をもたらそうとする組織です。貴方様の妹であるオーディット様が所属する検邪聖省の奇跡調査委員会と目的はほとんど一致しています」
ゾハルはあくまで冷静に答える。
「どうやら君たちはわたしの事をよく調べあげているようだな。おかげで益々対等な立場とは思えなくなってきたよ」
そもそも彼はエデンという名は個人を表す物ではないといったがその実コードネームなのか組織名なのかすらゾハルには明かしていない。ゾハルは決して誠実な人間ではないが、今の立場からすればもう少しエデン側のことを教えてくれてもいいはずだ。そんな考えが顔に出てしまったのか、珍しくこちらを振り向いたエデンは謝罪してきた。
「申し訳ございませんゾハル様。ではわたくしに与えられたわずかな権限の中で教えられることをお話ししましょう。どんなことをご所望ですか?」
エデンはそういってまた歩き出した。ゾハルは気になっていたことを口に出す。
「君たちは国家機関なのか?」
エデンの答えはノーだった。
「いえ、我々はあくまで『神園財団』という名のいち民間企業でございます」
日本語だった。神園… 神の園… そういう事か…
「日本の企業が英国の土地を第二次大戦の最中に買収したのか?どうも腑に落ちない」
エデンは歩きながら話を続けた。なんでも、この顛末を理解するのには列強各国の歴史も踏まえて話さなければならないのだそうだ。
「このような地下空間が最初に発見されたのは、大航海時代のリスボンでした。その後近代にかけて、ハーグ、マドリード、レーゲンスブルク、パリの地下にも同様の構造物が発見されましたが、リスボンの地下都市は地震で、ハーグはフランス革命軍に、マドリードはフランコ政権に、レーゲンスブルクとパリはドイツ第三帝国によって破壊、略奪され、現在欧州で残っているのはこのニューロンドンのみなのです」
二人は通路の突き当たりにあった扉を開き、さらに地下深くへと続くエレベーターに乗った。階数の表示はないが、かなりの距離を降下してエレベーターは止まった。その先にあったセキュリティルームでの重武装の私兵による身体検査を経て屋外に出ると、そこには深い霧に覆われた街があった。石畳で作られた細い道路。街をぼんやりと照らすガス燈。現代のロンドンよりもずっと古めかしい光景だった。
「これは… ヴィクトリア朝あたりのロンドンを模しているのか?」
ゾハルの指摘にエデンはすぐ答える。
「ええ、このニューロンドンはおそらく他の地下都市に比べて比較的新しい時期に作られたため、発見されるのが遅れたのでしょう。おかげで破壊を免れることができましたが」
確かに街自体は破壊されてはいないようだが、おかしなところだらけだった。すぐ近くの建物などは地面に対してまっすぐ立っておらず、おまけに二つか三つの建築物が混ぜ合わさっているかのようだった。街灯も斜めになっていたり二股になっていたり、そもそも照明部分がなくなっていたりと、あまりまともなものが見当たらない。
「街として存在してはいるが、どうも正常に機能しているようには見えないな。上手くは言えないが、存在自体に危うさを感じる」
再びエデンが歩き出し、ゾハルもその後を追う。
「わたしどもの調査によると、このニューロンドンはある一点を中心にして建築されているようです。その中心点から離れれば離れるほど、街の構造物が異常な形になる傾向があるのです。しかし、どのようにして構造物が生み出されているのかはまだ解明できていません。お恥ずかしながらニューロンドンが発見されて八十年以上の時が流れてもなお、中心点の調査が遅々として進んでいないのです」
エデンの言い方はまるでニューロンドンの建物自体が建築ではなく別の方法で生成されているかのようだった。
「その中心点とは一体どこにあるんだ?」
ゾハルがそう質問するとエデンは遠くを指さして答えた。
「ウェストミンスター宮殿です」
しばらくの間歩いていると、どこからともなく音声放送が聞こえてきた。飛行機の中で聞いた音声ファイルにあったものの一つだ。治安維持のための注意事項や食料の配給、病院での留意点などを説明するものだった。音声ファイルを聴いている時は気が付かなかったが、この放送は順不同で流れているようだった。この街がもし人類の滅亡を防ぐために作られたのだとすれば、医療に関する放送などは病院の近くで流すべきだろう。だが、今聴いている放送は録音された音声をただ垂れ流しているようにしか聞こえない。つまり、この街は未完成のままだということだろう。
「そういえばどうして日本の企業が戦時中に英国の土地を取得できたのか答えを聞いていなかったな。当時の情勢を鑑みてもそんな事が簡単に出来るとは思えないのだが」
エデンは一瞥する事なく答えた。
「もちろん神園財団ではなく、そのフロント企業が購入しました。我々の組織はルーツを辿ると、実のところ千五百年以上の歴史があります。現在の日本政府ですら知る由もない特別なルートを多数抱えているわけです。例えば、日本にもここと同様の地下都市がかつては存在しました。しかし、日本は古来より地震大国でありまして、発見した時にはもうすでに使い物にならないほどの廃墟と化していたのです。この事は徹底的に秘匿され、政府要人や学会の権威でさえ誰一人知るものはいません。我々は日本政府に頼る事なく独自の判断でこういった活動をしているのです」
日本におけるMJ12のようなものか。ゾハルはそう考えた。第二次大戦後に連合国によって軍事的に徹底的に弱体化された日本という国で、そのような超法規的組織が、しかも民間で存在し得るのだろうか。ゾハルもルーツは日本にあるとはいえ、生まれ育ったのは合衆国である。日本という国がどういう国家なのか、実際のところ全く詳しくはない。そんなことを考えていた矢先だった。遠くから何か金属音を立てながら走ってくる人影のようなものが見えた。そして断続的にループ放送を続けていたスピーカーと思しき物体から突然今までのものとは違う音声が流れた。
『警察だ!大人しく投降せよ! 警察だ!大人しく投降せよ!』
まさに壊れたレコードのように反復する音声は、酷い音割れのせいで恐ろしく不快だった。そいて、人影が立てる金属音がどんどん近づいてくる。霧のせいでよく見えなかったが、妙にふらつきながら迫ってくるその人影は、何か棒状の武器を持っているように見えた。ようやく視認できるようになってみると、体のそこかしこにネジやボルトが突き刺さっており、まるでそれで体の部位を繋ぎ止めているかのようだった。厚めのコートのような制服を着込んでおり、顔には包帯が巻かれていた。目に当たる部分にもがっちりと包帯が巻かれているため、こちらを視認しているのかどうかすら不明だったが、確実にエデンとゾハルの方へと近づいてくる。数メートルの距離まで迫った途端、エデンは懐から拳銃を取り出して、その『警官』へと発砲した。マガジンにある弾を全て撃ち切ると『警官』は衝撃で転倒した。出血などは確認できずダメージがあるのかどうか不明だったが、エデンは迷わず『警官』に近づいて、彼が落としたマチェーテのような武器を拾い上げ、『警官』をめった裂きにした。
「彼らはこのニューロンドンの治安維持組織を自称しています。ですが、何に対しても敵対的で対話ができません。我々が得た教訓は殺やれる前に殺れ、です」
エデンによってバラバラにされた『警官』をよく見ると、どうやら死体をヒンジやボルトで繋ぎ合わせてあるようだった。こんなものが意思を持って動いているとなると、この街を作ったのは手練れの魔術師か何かだろうか。だが、この街には全く魔力を行使している痕跡がない。それに、八十年以上前に発見された場所で現在までずっと魔力を維持し続けている存在がいるというのは考えにくい。
「エデン、飛行機の中で聞いた音声ファイルがもしこの街を作った者が用意したのだとすれば、ここは文明滅亡後の人類を育むシェルターだったはずだ。それなのにどうしてこんな敵対的な治安維持官を自称する危険な存在がいるんだ? わたしにはどうもこのニューロンドンの建設は失敗しているように思える」
手に持ったマチェーテを捨てて、エデンは再び歩き始めた。
「ええ、我々もそう睨んでいます。そして、おそらくニューロンドンを建設した者たちと、先ほどの化け物を生み出した者たちは全く別の存在でしょう。ニューロンドンの建設中、あるいは建設後に何かがあってこのような惨状になってしまったと考えています。ですが、確たる証拠が見つかっていないので、これも全て推測の域を出ません。ただ、ゾハル様も察しておられるかもしれませんが、このニューロンドンはヴィクトリア朝末期のロンドンを模して作られています。色々なものがその時代を基準にして再現されているのですが、実は厄介なものも再現されているのです」
そういってエデンは懐からスマホを取り出して動画を再生し始めた。動画は上空から撮影されたもののようだった。おそらくドローンなのだろう。画面中央には五人の人間が隊列を作って歩いているのが見える。次の瞬間全員が体のそこかしこから血を吹き出して倒れた。
「これは我々の調査隊が先週全員殺害されたところを偶然ドローンが撮影した映像です。この地下都市では電波が不安定で長時間ドローンを飛ばす事ができないのですが、これは奇跡的に撮影に成功したものの一つです。よく見てもらいたいのですが、この調査隊が殺される場面をスローで再生すると、彼らの周囲を黒い影が動き回っているのが見えるでしょう?」
確かに何らかの影が高速で移動しているように見える。しかしこれは尋常な速さではない。こんな数秒で合計五人もの人間を殺害できるだろうか?
「これがこのニューロンドン最大の脅威であり、かつてビクトリア朝末期のロンドンを恐怖のどん底に叩き落とした、史上最も有名なシリアルキラー、ジャック・ザ・リッパーなのです」




