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第10話 狂信者

 検邪聖省によって特別な宗教的権限を与えられた7つのバシリカの中でも最高峰に位置する聖座のバシリカ。そこに枢木オーディットは帰ってきた。

 幼い頃、母に連れられて訳も分からずやってきた国イタリア。魔導の家系に生まれながら神のお膝元に身を寄せるという、子供のオーディットからすればそれで父親に怒られずに済んでも、今度は神の逆鱗に触れるのではないかと不安に苛まれる日々。世界の全てが家庭の中で完結していたからこそのその恐怖は、長い検邪聖省での暮らしを経て少しずつ薄らいでいった。今となってはオーディットは聖剣を携える聖騎士である。恐る恐るくぐっていたその大聖堂の入り口も、今や当たり前のように通り抜けることができる。


 オーディットは人々でごった返す大聖堂ではなく宮殿の関係者入り口から第三ロッジアと呼ばれる回廊を通り抜けて三階に向かった。そこにこの検邪聖省の権力の頂点に立つ教父の執務室があるのだ。帰還の報告のための謁見の許可は既に得ている。

 豪華な壁画が描かれた回廊で、一際地味な扉があった。だが、その印象とは逆に衛兵が二人で守るその扉は、明らかに他の部屋の入り口とは一線を画している。誰が見ても一目でわかる。ここが教父の部屋なのだ。

 衛兵がオーディットの姿に気づくと、まるで機械のような動きで肩からかけている銃をしまい、部屋に入るよう動きで促してきた。オーディットは少し深めに息を吸って緊張を和らげて扉の取っ手に手をかける。検邪聖省に来てもう二十年以上が経ち、むしろ生まれ故郷の米国よりも長い間イタリアに住み、何度も何度もこの部屋に赴いているというのに、いまだにこの扉を開けるのには慣れない。そして一瞬の間を置いてオーディットは扉を開けて中に入った。


 広々とした部屋の中は、廊下や聖堂に比べれば装飾も恐ろしく控えめでシンプルである。この部屋で目立つのは一際大きなシャンデリアくらいである。部屋の真ん中には大きめのテーブルがあり、椅子が両側に合わせて八脚置かれている。そして上座には現教父であり、オーディットを検邪聖省に引き入れた当人が座っていた。


「オーディットか。よく戻った。首尾はどうであった?」


 白いスータン、白のズッケット、そして白いサッシュを締めた老人がそこにはいた。オーディットが子供の頃から聞き慣れた優しい声の持ち主だ。現教父の名前をオーディットは知らない。聖座に座る前の枢機卿としての名は彼の本名ではない。そして教父となった彼には個人を表す名前がない。教父は皆の父なのだ。


「ただいま戻りました、教父様」


 オーディットはそういうと、日本で起きたことを包み隠さず説明した。古書店セラエノの店主ノーデンスは留守だったこと。代わりに夢見マキナと出会ったこと。そして、彼女が自ら「異教の神」を名乗ったこと。だが、名ばかりではなく確かに人智を超えた力を持っていたこと。そして、恐ろしい力を持ち、人の心をかき乱す存在である神話生物と対峙したこと。さらに今回の旅の一番の目的であった兄の行方は掴めなかったが、兄もまた神話生物との関わりを持って何か悍ましいことをしようとしていること… 一通り話し終わったオーディットは、この旅の最中にずっと心に抱え続けていた言葉を口にした。


「教父様は、あのノーデンスという店主やマキナが普通の人間ではないことを知っておいでだったのですか?だからこそ私を日本へ向かわせたのでしょうか?」


 その質問が来ることは当然わかっていたと言わんばかりに教父はオーディットに笑顔を向けた。


「その通りだ。お前の兄が魔導の道を歩む者であるならば、私よりもそう言ったことに詳しい人物に紹介するのは理にかなっているだろう?」


 そういって教父は過去を語り始めた。曰く、日本に住んでいた時期があり、その時にノーデンスと知り合ったらしい。若き司祭であった当時の教父はノーデンスの知恵に大いに助けられた。その傍にはやはり夢見マキナがおり、さらにはゼヒレーテという別の人物もいたのだという。


「そうか、いまはあそこにゼヒレーテはおらなんだか。夢見マキナは変わらず息災であったか?」


 オーディットの脳裏にマキナの姿がよぎる。


「正直、私よりも若い姿でした。教父様が若き頃にもマキナはほぼ同じ外見であったように聞こえます」


『異教の神…』と言いかけてオーディットはそれを心の奥底に飲み込んだ。そして…


「兄の消息は掴めませんでしたが、ミスカトニック大学から手に入れた魔導書を使って大きな儀式を為そうとしているのは明白です。我々が兄に先んじて手を打つのは不可能になってしまいました」


 そこまでいうとオーディットは一つ深呼吸をして心を落ち着かせた。日本を発つ時に決心した一つのアイディアを言葉に紡ぐ。


「ですので、第十三騎士団テルティア・デキマの助力を得たいと考えています。教父様、どうかお許しください」


 それを聞いた教父は、しかし驚かなかった。


「お前がそう判断したのならばよかろう。日本での経験がこの事態をそこまでのものと思わせたのだな。私が危惧していた中でも最悪の事態になってしまったという訳だ」


 やはり教父様は最初から一連の出来事が人ならざるものが関わる恐ろしい事件だとわかっておられた。オーディットを日本に向かわせたのも、『異教の神』に引き合わせたのも、それを正確に認識させるためだったのか。オーディットは決して真意を読み取れたわけではないが、それでも幼い頃から見守ってくれた育ての父のような存在である教父の愛に感謝していた。知らないよりは知っていた方がいいという事なのだろう。たとえそれが、この聖座に招かれたばかりの頃に抱いていた信仰への疑念を呼び起こしたとしても…


「オーディット。この先何が起きるか、それは私にもわからない。私は神の代弁者という職責を担ってはいるか、神の声を聞くことができる預言者ではないのだから。そんな人間は検邪聖省の長い歴史の中でもわずか三人しかおらぬ。よって、お前に今しばらくの間聖剣カリバーンを扱うことを許そう」





 教父との面会を終えて、オーディットは黙々と検邪聖省の地下へと続く道を歩いていた。その廊下には一つの窓もない。歴史の重さを感じる外の風景とは違って、恐ろしく無機質な、そして近代的な通路。その突き当たりに一つのエレベーターがあった。なんの変哲もない普通のエレベーターに見えるが、明らかに違うのは扉の前に重武装の衛兵がいる事である。しかも、真っ黒なスモークのかかったゴーグルのようなものを装着している。


「これは聖騎士オーディット様。第十三騎士団(テルティア・デキマ)に行かれるのですか?」


 そう聞かれるとオーディットは、教父の許可は得ている事を伝えた。念のため衛兵は確認を取ると言ってゴーグルのツルの部分を軽く指で叩いた。どうやらこのゴーグルはスマートグラスのようなデバイスらしい。


「確認が取れました。聖剣カリバーンはそのままお持ちください」


 そういって衛兵はエレベーターのボタンを押して扉を開けてくれた。中に入って扉が閉まると同時にエレベーターが動き出す。このエレベーターには階数を指定するボタンがない。自動的に地下十三階へと移動するように設定されている。そして、多少の重力の変化を感じた後にガクンと軽い衝撃があってエレベーターは停止した。扉が開き、第十三騎士団の本部入り口が目の前にある。そこにもまた分厚いゴーグルをした衛兵が今度は二人立っていた。


「奇跡調査委員会監察官にして聖騎士枢木オーディット様。ようこそ第十三騎士団(テルティア・デキマ)本部へ。どうぞ中にお入りください」


 そう促されて開いた扉から中に入る。その後の二重の扉を通過してさらに奥へと進むと、ようやく部屋に辿り着いた。


 検邪聖省第十三騎士団(テルティア・デキマ)。そこは、一般的にレリックやアーティファクトと呼ばれるものを捜索し、危険度を見極めて収容する特別部隊である。検邪聖省の大聖堂の地下深くに作られた広大な収容施設には、これまで検邪聖省奇跡調査委員会が千年以上にわたって集めてきた数々の品が、近代神学―第三神学と呼称される―の成果による特殊な収容方法で保管されている。中には危険すぎて常に数百人もの司祭の力で祈り続けることでようやく不活性化できている危険な代物も少なくない。そして、今現在この第十三騎士団(テルティア・デキマ)を率いているのは…


「オーディット!本当に来てくれたのですね!?ああ、今日はなんで素晴らしい日なのでしょう!」


 そう。子供の頃に検邪聖省に馴染めなかったオーディットに手を差し伸べてくれた、そして二度の不幸に見舞われて本当の家族と親戚の全てを事故で失ってしまった「奇跡の子ジーナ」である。今は検邪聖省騎士団総長ザロモン・ロートシルトの養子に入ってジーナ・ロートシルトと名乗っている。幼い頃に侍祭を目指していたあの無垢な少女は、今ではオーディットと同じく聖騎士になっていた。


 実は、オーディットがジーナに会うのは実に四年ぶりであった。お互い仕事が忙しくなってきたという理由もある。特に聖騎士兼奇跡調査委員会の監察官に就任して以降はまだ慣れない業務に追われることが多かったこともある。とはいえ、オーディットがジーナにあまり会わないようにしていたのはそれだけだけが理由ではなかった。


 一瞬の沈黙があったが、ジーナは久しぶりの再会に心躍らせてグイグイとオーディットに質問攻めをした。特に、日本に行っていたということも知っていたし、それが兄の行方を探すためであるというおおまかな理由も聞いてはいたようだ。だが、ジーナが最も興味を持ったのは兄の消息でもなく、目的でもなかった。ジーナが先ほどまでとは打って変わった口調でオーディットに切り出す。


「オーディット、ところであなたのお兄様は結局神に仇なすものだったのですか? なにやら悪魔だか異教の神に関する儀式を望んでいるだとか」


 その瞬間、ジーナから形容し難い、背筋が凍るような圧力が襲うのをオーディットは感じた。重い空気が周囲に漂う。


「あ、ああ。兄は何やら悍ましい儀式を行おうとしているように思う。何の為なのかははっきりとはわかっていない。魔導を極めることを至上の喜びと感じている兄が一体何を、もしくはどんな恐ろしい存在を顕現させようとしているのか。まして本当にそんなことが可能なのか。はっきりしたことはわからないんだ」


 それを聞いてジーナの目が全てを吸い込んでしまいそうな闇に変わったように感じた。部屋のライトの光量が落ち、オーディットは足に震えが来るのを感じていた。そんなことは一顧だにせずジーナは焦点の定まらぬ視点でオーディットに語りかけた。


「つまり、オーディットのお兄様は『異端』に堕ちたということですよね? 私の使命はこの世から異端も異教も消し去ること。その為ならばどんな犠牲も厭わない。神の計画を実現する為ならば、わたしは全ての異端を消し去り、全ての異教徒を滅ぼすでしょう。でも安心してください。親友のお兄様を嬲り、屠るような真似は致しません。私がきっと回心させてみせます。何も心配はいりませんよオーディット。全て私に任せてください」


 そういったジーナの顔は深い闇を感じさせる美しい笑顔を振りまいていた。


 オーディットはこれ以上ここにいるのは危険だと感じ始めていた。この空気にはたとえ聖剣カリバーンを持っていたとしてもいずれ抗えなくなってしまう。その前にここを離れなければ。


「と、とにかくジーナ、これこら君の力を必要とする時が必ずくる。その時は私に力を貸してほしい」


 そんな約束をしてオーディットは第十三騎士団(テルティア・デキマ)の部屋を後にした。部屋の分厚い扉が完全に閉まった後、オーディットはとてつもない疲労感に襲われ、息も絶え絶えだった。全身には冷や汗が溢れ、足腰の筋肉が悲鳴をあげている。まさに今にも倒れそうな勢いだった。


「あ、危なかった。聖剣カリバーンの加護がなかったら完全に飲み込まれていた…」


 廊下の壁に寄りかかり息を整えていると、ちょうどその時、エレベーターから数人の騎士団のメンバーが降りて来た。よく見れば先頭にいるのはジーナの養父にして聖騎士団総長のザロモン・ロートシルトだった。


「オーディット、無事だったか。お前が第十三騎士団(テルティア・デキマ)の本部に向かったと聞いたので念のため赴いたのだが、その様子を見るともうジーナとの面会は終わったようだな。教父様からお前がカリバーンを持ったままだと聞いたので、ある程度は安心していたが、大丈夫だったか?」


 その言葉を聞いてオーディットは聖騎士団総長が何を言いたいのかを即座に理解した。


「カリバーンの加護のおかげでどうにか耐えることが出来ましたが、正直にいうと危ないところではありました。危険を感じて話を素早く切り上げざるを得なかったのが本音です…」


 オーディットはこの先の話を聞くのは恐ろしかったが、今後の任務のことも考えると触れないわけにはいかなかった。聞かねばならない、ジーナの『現在』を。


「正直言ってここまで強力なものになっているとは思いませんでした、ジーナの『現実改変能力』が…」


 現実改変能力。それが、ジーナを「奇跡の子」たらしめている力であった。


 幼い頃からジーナは自分の周囲が何故か自分の思い通りになってしまうのを感じてはいた。例えばジーナが天涯孤独の身になったあの飛行機事故。ジーナは自分にいつもキツく当たってくる家族が嫌いだった。あるいは常日頃共にいる実の家族であるからこそ、ジーナに得体の知れぬ力があることに気付きつつあったのかも知れない。その正体まではわからずとも。とにかくジーナは家庭内でもそれとなく避けられていることを常々感じていた。幼いジーナにとってはそれが地獄のような苦痛だった。だから願った。実の家族に訳もわからず気味悪がられたり避けられたりするのならば、いっそのこと消えてしまえ、と。


 飛行機事故のあと親戚の元に身を寄せた時もそうだ。こちらの都合などお構いなしに押し寄せるメディアスクラム。それがジーナのせいだと責め立てる親戚たち。最初は「奇跡の子のいる家」として持て囃されいい気になっていた親戚も、次第にジーナを忌み嫌うようになっていった。罵声を浴びせ部屋に閉じ込め全ての自由を奪われたジーナは神に祈った。ただ()()()()()、と。


 その頃はまだ誰もジーナの秘められた力に気が付いていなかった。だが「奇跡の子」の周りで立て続けに起きた悲劇は検邪聖省の目を引いた。現在の検邪聖省はただ救いを求めて神に祈る者たちだけの集団ではなく、神の御業はどのようにして起こるのかを研究する第三神学を研究する者たちもいるのだ。現代の奇跡調査委員会などはその先たる例であった。結局のところジーナは検邪聖省に保護されて、騎士団総長の養子として迎えられることになった。ジーナに『周囲の現実を歪めて最終的には思い通りの結果にしてしまう』能力があることがわかるのは保護されてから数ヶ月後のことである。悲しいことに、ジーナの孤独はジーナ自身が望んだ結果であった。


「オーディット、お前がジーナに会うのは数年ぶりだろう。実はジーナの現実改変能力はここ二年で飛躍的に高まっている。ロア曲率などは優に四千パーセントを超えているのだ。今ではこの保護ゴーグル無しでは誰もあの子に近づくことが出来ないレベルに達してしまっている」


 ロア曲率とは現実を捻じ曲げることのできる力の強さを表した数値である。普通の人間の持つロア曲率は高くて百パーセント前後であるが、ジーナはその四十倍もの力を備えているというのだ。それだけ高いロア曲率の前に並の人間が晒されればあっという間にジーナの曲率に飲み込まれ、彼女の思い通りの「現実」に書き換えられてしまう。


「よ、四千パーセント!? まさかそこまでだったとは…」


 よく見ると聖騎士団総長達は、全員がここまで配置されていた衛兵が着用しているあのゴーグルをしていた。教父様がオーディットに聖剣カリバーンを扱う事を許したのは、この聖剣の持つ強力な加護の力でジーナの現実改変能力から保護する目的もあったのだ。念のため程度に考えていた聖剣の携行だったが、まさか命綱になっていたとは…


「しかし、お前がジーナに頼る事になるとは正直思いもしなかったぞ。それほど今回の件は危険な状況なのか?」


 一息ついた後にロートシルト聖騎士総長が口を開いた。当たり前だがオーディットからすれば直属の上司でもある。オーディットはとりあえず重要な部分だけかいつまんで説明した。それを聞いたロートシルトはしばし考えたあとに納得した様子を見せ、なるべく早いうちに報告書を作成して提出するように言った。


「お前とジーナは幼い頃から共にここで育った姉妹のようなものだった。それだけに今のジーナの状況はお前にとって辛いものだろう。だが、それでもジーナと第十三騎士団の力が必要だと感じたのなら、我々も全面的にバックアップしよう。得体の知れない力が背後で蠢いているのなら、我ら検邪聖省聖騎士団の総力を持って事態の解決に臨もうではないか」


 聖騎士団総長の言葉は心強かった。元はと言えば家族の問題だったのに、思ってもみなかった方向に転がっていき、正直言って申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、もはやそんなことを言っていられる範囲を超えてしまっている。兄が恐ろしい、そして馬鹿げたことをしでかす前に止めねばならない。たとえ()()()()()を使ったとしても。

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