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第五話:【円環】朝は外へ、夜は内へ、2 夢の清算:劉海との対話


その夜、若者は深い眠りの中で、不思議な夢を見た。


 夢の中の月明かりは、現実よりもずっと青白く、静謐だった。気がつけば若者は、霧が立ち込める水辺に一人立っていた。どこか遠くで、カチカチと算盤を弾くような、しかしどこか調べのように心地よい音が響いている。


霧の向こうから、一人の男がゆっくりと姿を現した。泥にまみれた古い官服を纏い、腰に瓢箪を下げたその男――劉海は、若者の前で足を止め、静かに微笑んだ。その背後には、巨大な三本足のカエルが、影のように、しかし確かな質量を持って寄り添っている。


「若き持ち主よ、恐れることはない。私はかつてこの獣と共に歩んだ者だ」  


劉海の声は、古びた楽器が奏でる旋律のように穏やかだった。若者は畏怖しながらも、その瞳に宿る深い慈しみに触れ、震える声で尋ねずにはいられなかった。


「……あなたは、このカエルさんのあるじなのですか? そして、この不思議な姿の生き物は、一体何なのですか」


劉海は傍らのカエルを愛おしそうに撫で、視線を遠い空へと向けた。


「主、か。そう呼ばれた時代もあった。だが、今となっては旅の仲間であり、私自身の罪の象徴でもある。こいつは、人の欲を喰らって肥大する『五通神』という名の魔性だ。かつては金銀を吐き出し、人々に際限のない渇望を植え付ける化け物だった」


若者は息を呑んだ。懐に入れたあの小さな置物が、それほどまでに恐ろしい正体を持っていたとは。


「そんな……では、私はとんでもないものを拾ってしまったのですね」


「案ずるな」


 劉海は若者の肩にそっと手を置いた。その手のひらは、夢の中とは思えないほど温かかった。


「こいつは鏡なのだ。汝の心が歪めば、こいつもまた怪物の姿に戻り、汝を内側から食い荒らすだろう。だが、汝が『足るを知る』心を持っていれば、こいつは汝の家を永劫に守る盾となる。欲というエネルギーを、日常を守る力へと変換する装置に変わるのだよ。汝が今日、こいつに『寂しそうな顔をしている』と声をかけた時、こいつの千年の呪縛は半分解けたのだ」


劉海は若者の手をとり、カエルの喉元にある「文様」を指し示した。

「いいかい、これから伝えることを、魂に刻みなさい。万が一、こいつが再び魔性を露わにし、汝や汝の子孫を呑み込もうとした時は、この文様を強く押し、私の名を唱えよ。『劉海仙人、清算し給え』とな。そうすれば、喉の奥に隠された封印が解ける」


「封印、ですか?」


「そうだ。私が死の間際、こいつと、そして私自身の最後の未練を断つために飲み込ませた『七星の縄』だ。その縄を引き出し、こいつの体を一巻きにしなさい。そうすれば、暴走した欲の炎は鎮まり、再び静かな守り神へと戻るだろう」


若者は、劉海の言葉を一つも漏らさぬよう、必死に記憶に刻みつけた。


劉海はさらに一歩歩み寄り、彼が数百年の放浪を経て、ようやく辿り着いた「真理」を語り始めた。


「そして、日々の暮らしの中で最も大切な作法を伝えよう。私がこいつを連れて大陸を歩き続けた長い年月の果てに、ようやく見つけた答えだ。……朝、こいつを**『外』**へ向けよ。それは大海に網を投げ入れるように、新しい縁と福を釣り上げるためだ。仕事に励み、外の世界と繋がり、正当な対価を得る。それは生きるために必要なことだ」


劉海は一度言葉を切り、夜風に揺れる水面を見つめた。


「だが、日が落ち、灯がともる頃、必ずこいつを**『内』**へ向け直せ。外で得た福や数字を、家族と共に分かち合い、心の平穏として内に定着させるのだ。外に向けたままでは、カエルはどこまでも欲を釣り続け、ついには主の魂まで外の世界へ引きずり出してしまう」


「向きを変える……それだけでいいのですか?」


「それだけだ。だが、それが最も難しい。向きを変えるということは、外へ向いた己の心を、今ここにある『家』の平穏へと呼び戻すということ。それは、今日という一日を振り返り、余計な欲を削ぎ落として、心を『ゼロ』の状態へと清算する行為なのだ。一日の終わりにカエルの向きを変えるその一秒が、汝の人生に最強の結界を張るのだよ」


劉海の姿が、青白い月光の中に透け始めた。


霧が濃くなり、彼の穏やかな微笑みが遠ざかっていく。


「忘れるな、若き持ち主よ。豊かさとは、持っているものの多さではなく、欲との距離感に宿るのだということを。汝の末永い平穏を祈っているよ……」


劉海の声が余韻を残して消え、若者がハッと目を見開いた時、窓の外では鶏が鳴き始めていた。


 枕元には、夕べと変わらぬ姿のカエルが置かれている。しかし若者には、その琥珀色の瞳が、夜の間に自らの心を浄化してくれたかのような、静かな輝きを放っているように見えた。


若者は震える手で、自らが商いに使っていた帳簿の隅に、夢の記憶と、劉海から授かった「向き」と「縄」の教えを、一文字一文字、魂を削るようにして書き記した。


これが、節子おばあちゃんへと受け継がれる「家系の秘密」の、確かな第一歩となったのである。



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