第四話:【漂泊】黄金の稲穂、カエルの涙、3 翻した背中と、届いた悲鳴
焚き火の跡が冷え切り、劉海が北へと続く街道を数里ほど進んだ時のことだった。
秋の高く澄んだ空に、突如として不吉な「亀裂」が走った。それは雷鳴ではなく、巨大な鏡が内側から砕けるような、あるいは数万の算盤が一斉に弾け飛ぶような、悍ましい金属音だった。
劉海は足を止め、弾かれたように振り返る。
先ほどまで彼が歩んできた南の空――あの少女が野花を摘んでいた村の上が、どす黒い紫色の澱のような雲に覆われていた。その雲の隙間からは、瑞々しい黄金色の光ではなく、冷たく、生物を拒絶するような「真鍮色の稲妻」が幾枝にも分かれて降り注いでいる。
「……五通! あれは……!」
肩の上で、カエルが絶叫に似た声を上げた。金色の皮膚は瞬時に色を失い、恐怖で全身を激しく震わせている。それはかつて江南の地で調伏した「五通神」の残滓が、遠く離れた場所で芽吹いた「かつての自分」の気配に、魂の底から共鳴した証だった。
劉海は迷わなかった。北への旅路を捨て、今来た道を猛烈な勢いで駆け戻る。
仙人の修行で得た縮地の歩法。一歩踏み出すごとに風景が後方へと飛び去り、風が耳元で悲鳴を上げる。しかし、彼の脳裏を占めるのは、あの少女の無垢な笑顔と、手渡された野花の微かな温もりだけだった。
(間に合え……! 私が引き受けたはずの負債が、なぜあの場所で噴き出す!)
村の入り口に辿り着いた時、そこはもはや「実りの郷」ではなかった。
街道の両脇に広がる稲穂は、生命の瑞々しさを奪われ、鋭利な「黄金の針」へと変質していた。風に揺れるたび、それは心地よい音ではなく、互いを削り合う不快な金属音を立てる。
そして、その「死の黄金」の海の中で、村人たちが狂ったようにうごめいていた。
「金だ……! これさえあれば、私はもう誰にも跪かなくて済む!」
「よせ、それは俺の取り分だ! どけ、殺すぞ!」
共に汗を流し、収穫を祝っていた農夫たちが、泥にまみれた手で真鍮の稲穂を奪い合い、互いの顔を、腕を、爪を切り裂いている。流れる血さえもが、地面に落ちる前に硬い金粉へと変わり、村全体を「欲の重み」で窒息させようとしていた。
五通神の呪縛は、もっとも弱き者の、もっとも切実な願いを歪め、最強の「欲」へと作り変えてしまう。
「……五通。これは、お前一人の責任ではない。これを放置して立ち去ろうとした、私の傲慢が生んだ異変だ」
劉海は、肩の震えるカエルをそっと掌で包み、それから鋭い眼差しで空に浮かぶ「欲の渦」を睨みつけた。
空中に浮かぶ幻影の算盤が、パチパチと音を立てて、村人たちの魂を数値化していく。
異変はもはや予兆の段階を超えていた。
劉海は腰の「七星の縄」を力強く握りしめた。その縄が放つ銀色の光だけが、この黄金に侵された死の世界で、唯一、彼が人間であることを証明する灯火となっていた。
地獄と化した「黄金の檻」の中へと、一歩踏み出した。




