1、当て馬妻と来訪者。
続いていた長雨が途切れ、分厚い雨雲の切れ間から日の光が落ちてくる。
まるで、台風の目の中に入ったみたい。
そんな事を思った日、その人は何の前触れもなくステイシーの前に現れた。
「やぁ、ステイシー。元気かい?」
と片手を上げてにこやかに笑ったのは、今王都にいないはずの魔術師団長ナチ・アメジオスだった。
「ナチ……様」
物々しく武装した真っ黒な魔術師としての戦闘服。
『カラスみたい』と小さな頃の自分のつぶやきが聞こえ、ステイシーは初めてナチに出会った日のこと思い出す。
あの日も彼は突然やって来て、詰られ搾取され続ける灰色だったステイシーの世界を終わらせたのだ。
『やぁ、ステイシー。元気かい?』
と、まるで天気を尋ねるくらいの気軽さで。
「連絡ぐらいしてくれたら、お茶の準備をしておきましたのに」
アポくらい取ってください、とステイシーは鳴ったことのない紫水晶でできた伝言石を取り出してナチの前で揺らす。
「いいじゃん、ちょっとしたサプライズ。僕とステイシーの仲でしょ」
「される側が喜ばないサプライズはただただ迷惑ですよ?」
いい大人なんですからと、嗜めるようにため息をついて冷たい視線を送るステイシー。
「ステイシー僕に対して塩過ぎない?」
昔はあんなに可愛かったのにぃと頬を膨らませたナチに、
「何言ってるんですか"普通の対応"ですよ」
もう子どもじゃないんで、とステイシーはにっこりと大人の対応で返す。
ナチが指先で紡いだ魔法が、ステイシーの世界に色を与えたから。
全てを奪われ、尊厳を否定され、人形のようだった子どもはもういない。
「さて、お説教はこれくらいにして、とりあえずお茶にしましょうか?」
いい茶葉手に入れたんです! とステイシーはにこやかに笑う。
ナチがステイシーに"普通"をくれたから。
ステイシーはいつナチが来ても"普通"で"ありふれた日常"を提供しようと決めている。
莫大な魔力を持って生まれたせいで、"普通"とは無縁の人生を歩むことになった彼が本当にヒトであることをやめてしまわないように、と。
湯気が立ち上るカップに口を付けたナチは、
「うまぁー。最近、ずっと質素な食事だったから甘いのが身体に染みるぅ」
と言いながら追加で角砂糖を3個投入する。
甘いモノと酒に目がないナチのために、芳醇で甘い香りのするマンゴーティーを用意してみたけれど、どうやら物足りなかったようだ。
「ふふ、ナチ様でしたらきっと『星屑シュガー壱番館』のアフタヌーンティーセットを一人で完食できそうですね」
ケーキとタルトがいっぱいです、とこの前貰ったフライヤーと割引券を差出せば、
「え、なにそれ。絶対美味いやつじゃん」
今度の休日に行こう、とナチは目を輝かせてそれを受け取った。
「お勧めですよ。自分にご褒美大事ですし」
きっと女の子だらけのカフェであってもナチは一切気にせず堂々と商品名を口にして自分の好きなケーキを頬張るんだろうと思い浮かべたステイシーは、そのまま芋蔓式にクラヴィルのことを思い出す。
『俺は、察するのは得意ではない。ので、聞きたい』
『今、君の目の前にいるのは俺だろう?』
そうステイシーに訴えた不機嫌そうな濃紺の双眸を思い出し、ステイシーはクスリと笑みをこぼす。
いつからか、クラヴィルは自ら話を聞こうと向き合ってくれるようになっていた。
「どうしたの? ステイシー」
「いえ、ただ」
何をしていても、誰といても。
ほんのちょっとしたきっかけで、クラヴィルの顔が思い浮かぶ。
「ケーキもカフェオレも美味しかったな、って」
甘すぎるお菓子を二人で励ましあいながら、食べたあのカフェでの出来事も。
2人で眺めた夕焼けも。
そんな些細な思い出すら、愛おしくて。
クラヴィルが伝言石で連絡をくれた夜に言えなくて飲み込んだ言葉が頭に過ぎって、苦い気持ちが広がった。
「さて、そんなご褒美前に本日の御用向きについてそろそろお伺いしても?」
今、目の前にいるのなクラヴィルならよかったのに、なんて浮かんだ気持ちを消し去るように自分の分のお茶に口をつけたステイシーはナチに話の続きを促す。
現在魔術師団は騎士団と合同遠征中だ。その旅程の最中、魔術師を束ねる立場にあるナチが一人で勝手にふらりと王都に戻ってきているのなら、きっとクラヴィルに内密に話したい何かがあるのだろう。
目の前のことに集中しなきゃ、と言い聞かせたステイシーに、
「あ、そうだ。クラちゃん、災厄級と閉じ込めて来ちゃったんだった」
思い出した、とばかりにポンと軽く手を打ったナチはさらっと爆弾を投下する。
「……はい?」
災厄級? と聞き覚えのある不吉なワードに目を瞬かせるステイシーに、
「このままだとクラちゃん死んじゃうかも」
忘れてたぁ、と呑気にカップケーキを頬張るナチ。
「うわぁ、コレもうまぁ。お代わり頂戴?」
こっちも食べていい? というナチからは緊迫している様子は感じられず、平穏な日常風景を前に冗談でしょう、と流しそうになるけれど。
ステイシーは知っている。
コレがナチの平常運転で、そしてこの男は好き好んで厄介事の渦中にいるトラブルジャンキーだということを。
「そういう大事なことは一番に言ってくださいっ!!」
お代わりを所望するナチに自分の分のカップケーキを放り投げたステイシーは、
「すぐ準備します」
と慌てて自室に駆けていった。




