4、当て馬妻とヒロイン②
「覚えておりません」
ステイシーはじっと彼女の目を見て素直に打ち明けた。
多分、アイリーの望む答えを自分は持っていない。なら、せめて正直であろうとステイシーは答えを返す。
「いたであろう家族も、友人も。それどころか、かつての自分の名前すら私は覚えておりません」
小説や漫画、嗜好品など好きだったものは覚えている。だが、それもあくまで"情報"としてだ。
「成人してから思い出したからかもしれませんが、私は"前世の自分"とやらに思い入れがないのです」
前世を思い出すまで、この世界でステイシー・エルネアとして生きてきた。
前世の人格に引っ張られ、自分が自分でなくなったらと危惧したこともあるけれど、結果としてそれは杞憂で終わり。
好きなモノは好きなまま、自分が築いてきたモノも何1つ変わりなく、ステイシーとして今日も自分はこの世界で生きている。
「まぁ、メタい発言は増えたかもしれませんけど」
きっと、魂に刻まれたそれら全部を含めてこの世界で生きる"ステイシー"という存在なのだろうと自分の中で折り合いをつけてからは気にならなくなった。
自身の経験をそう申告したステイシーに、
「そう」
小さくつぶやいたアイリーはふいっと視線を逸らし、窓の外を眺める。
「……私が思い出したのは、もっと前だった」
しばらく続いた沈黙は、アイリーの淡々とした口調で破られた。
「私は覚えているわ。こうなる前の自分がどんなふうに生きていたのか、何が好きだったのか、どんな未来を描いていたのか。ただ、どうやって死んだのかだけが思い出せない」
聞きこぼしてしまいそうな小さな声でアイリーがそういった時、空から雨粒が落ちてきて。
「確かに私は覚えてるのに。この世界で生きている私にはそれが私の妄想ではないのだと証明する手段がないの」
小さなそれらはパラパラとガラスを鳴らして去っていく。
「前世で読んだこの物語が好きだった」
アイリーの小さな体から、ポツリ、ポツリと静かに溢れる言葉達は。
「でも私が好きだったのは読者だからよ。当事者になりたいだなんて、願った事は1度もなかった」
ステイシーに聞かせるというよりも、独り言に近いつぶやきで。
「ただ当たり前に明日が来るって信じてた。なのに、突然自分の全てを奪われたの。家族も、友人も、本当の自分の名前さえも」
淡々とありのままを語っているようだったけれど。
「大っ嫌いよ、理不尽しかないこんな世界なんて」
次第に激しさを増していく外の雨のように、感情の置き場がないままのアイリーが泣いているようにステイシーには見えた。
ステイシーはアイリーの今までを想像してみてやめた。多分、彼女の抱えた孤独は同じ転生者というだけでは分かり合えない。
「なるほど。そんな大嫌いな世界で出会ったルシオン様がアイリー様の"希望"なのですね」
だからこそ彼女は戦う。これ以上何も失わず済むように。
「これ以上、私から何も奪わないで」
淡々と紡がれるその声を聞きながらステイシーは思う。
心についた傷はまだ癒えず、感情の置き場も見つけられないまま、それでも前を向かないと生きていけない、理不尽。
そこから立ち上がるには、支えが必要だ。
例えば、原作小説の中でクラヴィルが、ヒロインであるアイリーンとの交流を通して癒されていったように。
「お伺いしたいのですけれど、旦那さまを避けられていた理由は、原作通りにいかないようにするためですか?」
「そうよ。クラヴィル自身が嫌いなわけじゃないけど、自分のことで手一杯なのになんでわざわざ自ら進んでクズい男と関わらなきゃいけないのよ。私だって助けを必要としてるのに」
「まぁ! 原作クラヴィル様のことがお嫌いなわけではないのですね」
同担!? と、ぱぁぁぁーと表情を明るくしたステイシーに。
「あくまで読み物のキャラクターとしてよ。現実なら成長する見込みがあるかどうかも分からないクズい男より、最初から誠実な男の方がいいに決まってるでしょ!?」
即座に否定してくるアイリー。
「アレは、フィクションだから許されるの! 現実にヤンデレに絡まれたら通報するし、腹黒要素が隠れてるスパダリには近づかない」
関わらないのが一番とズバッと言い切ったアイリーの言葉で、
「何やら旦那さまも似たようなことをおっしゃっていた気がします」
眉間に深い皺を刻み、不可解の三文字を顔面に貼り付けていたクラヴィルを思い出す。
あまりにもクラヴィルの恋物語が始まらず、運命の相手と出会う気配がなかったので、少しでも恋物語に関心を持ってもらいたくて隙あらば布教活動を行なっている。
その際、ステイシー秘蔵のコレクションを全部読んだクラヴィルは、アイリーと同じような感想を述べていた。
「一般的な感覚の話よ。第一、冷遇されるの分かってて近づくなんて、よほどの物好きだけでしょう」
とアイリーからジト目でそう溜め息をつかれ、ステイシーは言葉に詰まる。
何せヒロインと交流して心を開く前の原作クラヴィルは、妻冷遇、塩対応、発言と思考全部がクズいと3拍子揃ったダメ男。
ロマファンあるあるの仕様だと思っていたので特に気にしてなかったし、離縁される当て馬ポジなので、クラヴィルとの付き合いなんてせいぜい2〜3年程度だろうと見通しも立っていた。
伯爵家へ援助してもらえる上に、推しの恋物語が間近で鑑賞ができるなんて最高!! くらいのテンションで決めた結婚だったけど。
「……耳が痛い」
ヒロイン本人からこれは現実だと突きつけられ、何やってんだと言われてしまえば返す言葉も見つけられない。
ぐうの音もでない状態のステイシーに、
「とにかく、クズい男とは今後も関わる気はないわ。あの女嫌いの騎士団長が関係者席に妻を連れて行くくらいだもの。あなた達上手くいっているのでしょう? こちらはこちらで幸せにやってるから、お互い関わらずに生きていきましょう」
言いたいことはそれだけ、と話を打ち切り、アイリーは立ち上がる。
「ご主張はわかりました。ですが、1つだけ訂正してください」
部屋を出て行こうとしたアイリーを呼び止めたステイシーは、
「私は"物好き"でも構いませんが、旦那さまは、フィクションではないこの世界に実在するクラヴィル様はクズでもダメ男でもありません」
神聖力を宿したピンク色の瞳をまっすぐ見据え、
「確かに考えなしの発言も多いですし、人と関わるのが苦手で、不器用で、傷つきやすくて、その上かまってちゃんで、面倒くさい人ですけど。でも、自分の行いを振り返り、失敗をちゃんと次に活かそうと努力できる、素直で素敵な人ですよ。旦那さまは」
これだけは譲れない、とはっきりそう主張する。
その姿は先程公爵夫人として見せた態度とは異なり、静かな怒りを秘めていた。
「そう。会ったことないから、私には判断がつかないけど」
相変わらず淡々した、ローテンションでそう言ったアイリーは、
「でも、もしそうだというのなら。それは側にいるあなたの影響でしょう」
唇で弧を描き、静かに微笑んだ。
「えっ?」
「ヒトはきっかけさえあれば、"変わりたい"と願う動機があれば変われる。私はそう信じてる」
私がそうであったように、と指輪を撫でそう言ったアイリーは、
「"クズ男"を訂正するついでに、もう一つ訂正するわ。大っ嫌いだったけど、今はこの世界も悪くないと思ってる」
赤みを帯びたピンク色の瞳をふわりと緩め、
「今日、あなたに会えてよかった」
そんな言葉を残して、今度こそアイリーは去って行った。
1人取り残された部屋で、天井を仰いだステイシーは、
「ヤバい! ツンデレ上級者!! ファンサが過ぎる」
これはこれで良すぎてガチで沼りそう、とぐっと拳を握りしめたのだった。




