5、ベッドはお譲りします。
「……つ、疲れたっ」
用意された部屋のソファに崩れるように座り込んだステイシーは使い過ぎて疲れ切った頭を軽くマッサージする。
ヴァルメロ会長と舌戦を繰り広げること約2時間。
全く折れない会長相手に、ステイシーが押され気味になりかけたところで本日はお開きとなった。
話し合いが翌日持ち越しになったため、本日はガーランド伯爵邸に泊まることになったのだが、夫婦なので用意されたのは1部屋。
クラヴィルにベッドを譲ってソファで大人しく寝るのがいいとは分かっているが。
「今すぐベッドにダイブしたいっ」
思った以上に疲れたので、ステイシーとしてもベッドでゆっくり寝たいところ。
だが、そもそもの懸念事項はベッドの奪い合いではなく。
「一晩同室なんて、旦那さま大丈夫かしら?」
初夜でさえ、一緒にいなかった。
あのクラヴィル相手に万が一が起きることは絶対ないと言い切れるが、ただでさえ微妙な感じなのに朝まで気まずく過ごすなんてステイシーとて遠慮したい。
「それに、私がいたらまたうなされそうだしね」
ステイシーは手袋を外す。腫れも赤みも引いたけれど、手首にはまだ跡が残っている。
『触るな』
明確な拒否共に殺意の籠った冷たい濃紺の瞳に睨みつけられた瞬間、初めてクラヴィルを怖いと思った。
と、同時に悲しかった。文字でしか知らない、彼の背負った過去が。
「……なるべく早く、ヒロインを探してあげないとね」
他人の恋物語は面白い。でも、それ以上にクラヴィルがこれ以上苦しまなければいいと思ってしまうのは、言葉を交わし一緒にいた事で多少なりと情が湧いたからだろう。
クラヴィルが最愛の女性を見つけて自分の人生を前向きに歩き出せるなら全力で応援してあげたい。
それが偽りのないステイシーの本心だった。
「さて、そのためにもつかず離れず会長とは仲良くしたいとこだけど。何かいい案はないかしら?」
んーと悩んだところで思いつかないので。
「そうね、散歩に行こう!」
気分転換大事、とガーランド伯爵が自慢していたお庭を拝見することにした。
あの伯爵が自慢するだけあって、ガーランド邸の庭園は見事なものだった。
満面の星空と月明かりに照らされた庭園は神秘的な空間で、頬を撫でる風がとても心地よい。
部屋には戻りづらいし、いっそのことこのまま夜更かしでもしようかしらと思ったところでヒトの話し声が聞こえた。
「あれは……?」
背の高い男性に強い口調で詰め寄る女性。
背の高い男性には見覚えがあった。
ロウディス・ヴァルメロ。ゼルドラスが商会の跡継ぎだと連れてきた、彼の息子だ。
「ロディ。あなた、一体どういうつもりなの!?」
ロウディスに詰め寄り、胸ぐらを掴む彼女は勇ましく、
「はっきりなさいっ! ロウディス・ヴァルメロ! 私やガーランド領を切り捨てて、ヘイリス公爵家に取り入ることがあなたの夢を叶えることなのですか!!」
暗い闇夜に閃光のような眩い声が響いた。
「私はあなたとの共同事業を諦められないっ。諦めたくない! 絶対、絶対、手放したくないわ」
強い意志表すような翡翠のその瞳は相手に逃げることを許さず、訴えかけるその声は他者の心を揺さぶるような情熱を秘めている。
「イリーナ」
諭すような声で彼女の名をよび、イリーナに掴まれた手を優しくゆっくりと剥がしたロウディスは、
「俺は平民で商人だ。そして、君は伯爵令嬢」
イリーナの手を握り、動かしようのない事実を口にした。
「知ってるわよ、そんなこと」
だから何? と睨みつけるイリーナ。
「縁談が、来てるんだろう?」
ロウディスにそう言われ、イリーナは息を呑む。それはおそらく事実なのだろう。
揺れたイリーナの瞳を覗き込みながら、
「商人の真似事なんて、君には似合わない」
モスグリーンの瞳が優しく笑う。
「俺は君が領民のために頑張っているのを知ってる。君が平民になることなんてガーランド伯爵は許さないだろうし、何より俺は領民の暮らしを良くするのだと未来を語る君が好きだ。だから、叶えて欲しい。俺といては叶わない、未来を」
「ロディ、私はっ……」
その先を紡げないイリーナに、
「君の幸せを祈ってる」
ロウディスは静かな口調で終わりを告げる。
ポンッと軽く彼女の金色の髪を撫でたロウディスは、くるりと背を向け歩き出す。
「……行かないでっ」
泣き出しそうなその声を夜風が攫う。
ギリッと奥歯を噛み締めたロウディスは、それでも立ち止まる事はなく、苦しげな表情で去っていった。
絶望感に打ちひしがれるイリーナは、もうロウディスが戻ってくる事はないと悟り重たい足取りで屋敷の方へと歩いて行った。
「……なんてことでしょう」
誰もいなくなった庭園の片隅で、口元を押さえたステイシーは、
「これは、良作の予感!」
ワクワク、といった感じでそうつぶやいた。
新しい物語のページをめくる読者のように目をキラキラと輝かせるステイシーの背中に、
「覗きなんて趣味が悪いんじゃなかったのか?」
と、呆れを存分に滲ませた声が投げつけられた。
「あれ? 旦那さま、どうしてここに?」
「ガーランドを撒いて部屋に戻ったら、君がいなかったから」
探しに来た、といったクラヴィルはステイシーにふわりと羽織りをかける。
「季節が変わり始めたとはいえ、夜はまだ冷える」
それは先ほどステイシーが外に出るときに迷って部屋に置いてきたもので、ステイシーはかけられた羽織りとクラヴィルの間で大きくした栗色の目を彷徨わせる。
「……なんだ」
「いえ、少々驚いてしまって。追いかけてきてくれたこともそうですが、これを見て外に出たのだと気づいてくれたことにも」
「そんなに驚くようなことか?」
首をかしげ、疑問符を浮かべるクラヴィルに、
「だって、旦那さまは私に興味も関心もないではないですか?」
「それ……は」
言葉に詰まったクラヴィルにステイシーは首を振る。
「いいのです。それを承知で私は私の都合であなたと結婚したのですから」
最初からわかっていたことなので、ステイシーとしては別にそれで構わなかった。
エルネア伯爵領のために金銭を用立ててもらう代わりに妻という役を演じる自分は、物語が進んだ先でクラヴィルから別れを告げられる運命だと知っている。
クラヴィルは人生のごく短い間、ほんの少し物語が交わるだけの存在のはずなのに。
「ふふっ。ただ、なんだかまるで本当に妻になったみたいだなんて、おこがましくも思ってしまって。誰かに心配されるのは、何やらくすぐったいものですね」
クラヴィルの優しさに触れ、少しだけヒロインがうらやましくなってしまった、なんて事は言えないが。
かけられた羽織を握りしめたステイシーは、
「ありがとうございます」
とてもうれしそうにふわりと笑った。
いつもの揶揄うような笑い方ではないステイシーにクラヴィルは目を奪われる。
月明かりに照らされたミルクティー色の髪は金色を帯びて輝き、クラヴィルに向けられた大きな栗色の瞳は慈愛に満ちていて。
彼女の纏う空気はいつも優しくて、とても安心する。
「本当も何もステイシーは"妻"だろ。俺の」
もしも嫁いで来てくれたのがステイシーでなかったなら、きっと今こんなに穏やかな夜を過ごしていない。
昼間言いそびれたことを言わなければ、とクラヴィルが言葉を紡ぐより早く。
「書類上は確かにそうですが、私は勘違いしたりしませんからご安心を!」
きちんとわきまえております、とふんすと胸を張るステイシーを前に言葉を失うクラヴィル。
「……とりあえず、部屋に戻るか」
さっきまでの雰囲気は綺麗さっぱりなくなって、完全に機会を逃してしまったので、また今度と口内で転がしてステイシーにそう声をかけたのだが。
「私は戻りません。やることができましたので」
おやすみなさいませ、と夜の挨拶が返ってきた。
「やること?」
にやにやとするステイシーの表情を見てクラヴィルは悟る。彼女はどうやら新しい娯楽を見つけたらしい、と。
そして経験上、こうなったステイシーは止められないと今のクラヴィルは知っている。
「と、いうわけで。本日のベッドは旦那様にお譲りいたしますわ」
寝られそうでよかったですねと譲らない栗色の瞳に、
「一応他人の家なのだから、あまり目立った行動はするなよ。あと、何かあればすぐ呼べ。書類上でも、俺は君の夫なのだから」
クラヴィルはため息と苦言を落として、ステイシーに了承を告げた。
「分かりました! 馬車馬のごとく旦那さまを利用します」
ビシッと親指を立て遠慮しないステイシー。
通常運転のステイシーを前に平静さを取り戻したクラヴィルは、
「ステイシーの"夫"は大変だな」
くくっと楽しげに喉を鳴らした。




