第四十八話:予期せぬ不快心
隙を。どこか、必ず隙がある。じっと研ぎ澄ませ。瞬きをするな。ずっと、五感を尖らせて、隙を窺え。幾日も幾日も痛みに耐え続けていたエンサはすでに痛みというものを忘れてしまったらしい。拷問官がどんなに痛ぶろうとも、ケンコが彼に地獄を見せてこようとも、一切動じなくなってしまった。ただ、荒んだ目で彼らを見つめる日々。もうロゼンヌが我に返らせられないほど、エンサは憎しみを抱いていた。怒りを覚えていた。恨んでいた。
「エンサさん、エンサさん」
諦めないという目であることには間違いないだろうが、明らかにおかしかった。彼の心の中は復讐の色に染められていたのだから。絶対に殺してやる、殺してやる。殺意を直接ケンコたちにぶちまけている。日々、痛みを受けているのに、我慢をしているなんてことはもうない。恐怖や不安という心がないから。
今さらながら、余計なことを言ってしまった。ロゼンヌは反省をしてはいるが、この場合は真実を伝えないとなると――難しい判断だったのかもしれない。悔やむ彼女であったが、ここで一人の衛兵がやって来て、ケンコに耳打ちをした。
「何だと!?」
どうも、モヒトツ王国は徐々に西方の国から領土を奪われつつあるらしい。国境沿いにあるいくつもの砦や要塞、支城らは占領され、主要となる道路も封鎖。あまつさえ、地方都市の田畑や貯蔵庫、軍需品の焼き払い。
「嘘だっ! そんなこと……そんなこと……!」
ケンコのこの怒りをぶつける場所はエンサに集中する。これ以上は、とロゼンヌは強引にでも彼を止めた。そうするものだから、手に握っていた金属の棒が何かしらの力によって動かなくなってしまったではないか!
「なぜだ!? なぜだ!? 動け! 動け!」
絶対にこれ以上の痛めつけをさせてやるものか、とロゼンヌが思っていると――。
「夫人よ、私は一向に構わない」
その場で誰もが凍り付いた。エンサはじっとロゼンヌの方を見ると、ケンコへと視線を移す。そして、失笑した。
「今にモヒトツ王国は滅びるだろう」
口角を歪ませて、ケンコを嘲笑う。
「バカなやつだ。モヒトツ王国が西方の国に勝てると思っていたのか? 貴様みたいな勉学も不十分なやつが軍を動かして、攻勢でいられるとでも思ったか?」
「……くっ! くそぉぉおお! 動け、動け、動けぇええ! こいつを殴らせろぉおお!」
今だとして動かない金属の棒に涙目のケンコ。その後ろではセイレイが見下したような視線を双方に向けていた。それがムカつくからこそ、エンサは「手を放してやれ、夫人」と自分を叩かせるように仕向ける。
「思う存分叩かせてやれ。ケンコはまだ子どもなのだ。どうせ、これ以上の対処法など思いつくはずもない」
その言葉にケンコは完全に堪忍袋の緒が切れてしまったようだ。ロゼンヌが止めていた金属の棒は強引に振り払われ――エンサに強い打撃を与えた。だらだらと頭から流血する彼ではあるが、意識は一切飛んでいなかった。じっとケンコを睨むようにして見る。その目がムカつくからこそ、ケンコは「どうせ」と声を震わせる。
「あ、あ、兄上だって、思いつくはずもないくせにっ!」
「……あるわけなかろう。相手は西方の国だ。私なら、絶対勝てない相手に宣戦布告などするものか」
エンサは血痰をケンコに向けて吐き捨てた。赤色の塊は彼の服にこびりつき――金属の棒を持つ手を動かす要因となる。
「だったら、僕がここで! ここでぇ! 兄上を処刑してやる!」
もはや、顔中に涙を鼻水でいっぱいにするケンコ。大きく金属の棒を振り上げて――。
◆
コトたちは西方の国にある砦内のひとつの部屋で待機をしていた。みんながみんないるものだから、ちょっとだけ窮屈な場所。だが、森の中で生活していたような感覚ではあるなと思えた。後は、ここにエンサやロゼンヌがいればの話だ。彼らがいないから、少しばかり寂しいとは思える。
「地面が冷たいから気持ちいい」
メガミやプォークが石畳の床に寝そべって、涼んでいた。そうか、彼らは本来あの森から出たことがなかったから。思わず、コトは二匹の頭を撫でながら「気持ちいい?」と微笑ましく見る。そのようにして、この場でくつろいでいると――部屋に召使いを従えたファインが入室してきた。彼女は切った髪を整えたようで、これまた雰囲気がころりと変わる。
「ああ、ファイン王女」
「あなたに話がしたくて」
ファインは召使にお茶とお菓子を用意させながら、コトに椅子へと座るように促した。コトは少しだけ困惑した様子で部屋にあったテーブルの前に座る。向かい側にどこか真剣な眼差しをしたファインがいるから緊張はする。この張り詰めたような空気にポチたちはじっと二人を見つめていた。いつでもコトを援護できるように、臨戦に近い体制を整える。
「えっと、お話って?」
召使いからお茶を受け取った。それに砂糖とミルクをどばどばと入れながら、カップの中のものをかき混ぜる。そんなコトのやり方にファインは若干ドン引きしながらも「エンサ王子様のことについてよ」と、こちらは優雅に飲み始めた。
「あなた、エンサ王子様と二人きりで森の中で生活をしていたって言うから」
「二人きりじゃないよ。ポチもいたし、後からみんなも加わったけど」
「でも、人間はあなただけじゃない」
「生きた人間はね。死んだ人間なら、ロゼンヌさんとか最初からいた死体とかならいたけど」
森の中には死体もいた。そう聞いたファインは少しだけ顔を青くする。嫌なことを想像してしまったらしい。そんなものを忘れるために、彼女はお茶を一気に飲み干す。そして、大きく息を吐いた。
「ねえ、あなた。王子様からわたくしのことを何か聞いていないのかしら?」
「うん。婚約者だって聞いてるよ」
コトの返答にファインはとても安心した。胸を撫でおろすようにして、安堵する。良かったと素直に思う。この子、鈍感そうではあるが、抜け目はないのではないだろうかという不安があったから。
「エンサ、言っていたよ。ファイン王女はとても美しくて気品あふれる女性だって」
「えっ? あ、あの方が、そのようなことを……?」
「うん。会ったことないけど、手紙の文字から見ての想像だけどとは言っていたけど」
「え」
一瞬にして硬直するファインは聞き間違いではないかと頭が上手く回らないようである。会ったことがない? そのようなことはないはず。ファインとエンサは一度だけ顔を合わせたことがあるのに。
「わ、わたくしとエンサ王子様は去年お会いしたのよ?」
「え? そうなの? でも、エンサは……あれ?」
「わたくしとエンサ王子様は去年のモヒトツ王国建国記念日にお会いしたのよ!?」
そんな、エンサに忘れられているなんて。両手で顔を覆うファインに、ここでダルマさんが「運がなかったな」と肩に手を置かれる。なんだか、惨めに思われているみたいで。こちらを見てくる者たち(召使いは別)は可哀想、みたいな目で見てくるし!
「うわぁあああん! エンサお王子様ぁああ!」
自分のことを覚えてもらえていない。そのことにショックを覚えるファインであった。
「わたくしはあなたのことを常々思っていましたのにぃい!!」
◆
何回殴られたら死ぬのだろうか。素直に気になっていたエンサはケンコの殴る回数を数えていた。八回目あたりからは意識が朦朧としてくる。十七回目あたりで完全に死ねるのか。そのように考えていたときだった。ここでケンコの動きが止まったのだ。またロゼンヌが止めに入ったのだろうか。そう思って、重たい頭をゆっくり上げる。
「夫人、構わないから……」
ケンコを止めた者の姿にエンサは――いや、彼だけではない。この場にいる誰もが驚きを隠せないでいた。
「お止めください、国王様」
ケンコを裏で操るはずのセイレイが止めたのである。彼は一体、何を考えているのか。




