第四十五話:存在意義を問う
来る日も来る日も、痛みに耐え続ける日々を送るエンサ。時折、ロゼンヌの冷たい手によって気分を落ち着かせてはいるのだが――よくまあ、ここまで自分自身が持つものだな、と苦笑するしかない。だが、実際は心の中だけしか笑わない。顔に出したところで、ケンコが叩いてくるから。殴ってくるから。蹴ってくるから。こうしてみると、本当に自分の弟であるとにわかに信じがたい。あの自分を慕うようにして、後を追っていたケンコはもういない。いるのは、怒りに身を任せて、十一の子どもとは思わせない顔を見せる一国の王がいるだけ。こんな王を見たことがない。
――哀れだ。
今の自分よりも、とても哀れで惨めな国王。必死に証拠隠滅を謀ろうとしているその姿を近隣諸国の王たちにも、是非とも見てもらいたいものだ。世の中にはこんな王がいる、と嘲笑ってやりたいものだ。
それだからこそ、ついにエンサは口に出した。
「その王冠、とても似合わないぞ」
この言葉は忠告のようなものだ。お前みたいに感情的に動く王が、一つの国を治められるものか、と。まるで泡のようだ。最初は善政だったりしていただろうが、ケンコの様子から見るに西方の国との戦争状況は劣勢だろう。だから言ったのに。だから教えてあげたのに。
「西方の国と戦争をする王様らしい姿だ」
皮肉の言葉をかけたときだった。ケンコは顔を真っ赤にさせて、こちらを痛めつけてくる。その度に彼の後悔の念が合い見えるようである。もしかして、西方の国と戦争しない方がよかったのかもしれない。あの作戦で行かなかった方がよかったのかもしれない。という思いが見えてくる。
だがしかし、いくら嘆こうが、もう遅い。近隣諸国が迂闊に手出しできない国の王女を人質としており、最悪なことに昔からの同盟を棄却してしまった。本当に愚かな王であることは間違いないだろう。
誰一人として、ケンコに忠告する者はいなかったのだろうか。少なくとも、エンサにはいた。軍人として、従事していた頃に現場の古参兵や精鋭部隊たちからの意見をもらっていた。先の見通しが欲しいと思っていたから、意見が欲しいと彼らに言っていた。だから、もらえた。であっても、ケンコはどうなのか。わからない。流石に子どもだから、ある程度のやり方や情報、意見などはもらっているはずだと思うが――。
エンサは視線を牢獄の向こう側を見た。一切こちらの中に入ってこようとしないセイレイだ。彼はいつだって冷静な判断で国の政を見通してきたはず。これからも、彼ならば民のための国づくりをしてくれることだろうが――モヒトツ王国に未来はないようなもの。もうおしまいなのだ。西方の国と戦争して勝てないことぐらい、彼もよく知っていたはずなのに。どうして、ケンコにその旨を伝えなかったのか。いや、伝えていたとしても、ケンコが訊く耳を持っていなければ意味はないはず。
ここ最近、ずっとこの調子でケンコとセイレイのことばかりを考えてしまう。ふとしたときにコトたちの心配をするだけ。だが、すぐにあの二人のことについて悩ましく思う。だからこそだろう。人の心を知ることができるロゼンヌはお節介のようにして、とんでもないことを教えてしまった。
「セイレイ大臣は、わざと国王に西方の国と戦争を起こすように仕向けています」
◆
先を進むにつれて、モヒトツ王国兵たちの姿が増え出してきた。そうなると、しばらくの間動くに動けない状態となるのがコトたちである。彼女たちは先を急ぎたくとも、動けずにじっと茂みの中で息をひそめていた。
あまりにも先の進めなさにファインには苛立ちが。それもそうだろう。早いところ、自分の無事を父親に知らせたいのだから。それに、エンサも早く解放してやりたい。だからなのか、彼女は小さく悪態をついてしまう。
「早く行きたいのに」
そんなファインにダルマさんが「無茶を言うなよ」と盛大に呆れていた。
「あそこ、結構大きな砦だぞ。そう簡単に突破できると思うなよ」
「わかっているわよ。でも、わたくしは早く行きたいの。エンサ王子様のこともだけど、彼以外にも心配をしている人たちだっているんだから」
「意外だな。エンサのこと以外にも気にかける者がいるとは。誰のことだ? 逆に気になる」
それは一体、誰なんだ? ティキンの質問に彼女は王都がある方角を見つめた。
「モヒトツ王国民よ」
本当に意外な答え。エンサ一筋のファインは、モヒトツ王国の民のことも心配をしていたという。理由は単純。あのお子様王様の政治下で暮らさなければならない市民たちはどう足掻いても圧政で苦しい思いをするだけ。それこそ、いつ暴動や革命が起きてもおかしくはないものだった。
「子ども王様は絶対に民のことは考えていない。あのガキ大将は軍を動かしたいだけのごっこ遊びと勘違いしている残念王よ」
「それじゃあ、今のモヒトツ王国の政治をしているのは……」
「セイレイ大臣っていう方よ。でも、あの方もあまり民のことを考えない悪政を敷くに決まっている。じゃなきゃ、あのお子様には意地でも帝王学とか政治のことを数年かかっても勉強をさせているはず。軍事なんて二の次なのに」
ファインは言う。セイレイはモヒトツ王国が滅ぼうが、関係はないと考えている、と。彼はそこそこの地位についている人物であり、もしも、西方の国がモヒトツ王国の領土を手に入れたとて、地方を治める者としてのポジションを確立できると考えているのだろう。でなければ、西方の国との戦争に賛同はしないはず。
「きっと、最初から大臣はモヒトツ王国の王の座を狙っていたんだと思うわ」
◆
正直言うと、ロゼンヌの話を信じたくはなかった。だが、ありえない話ではないとは思えた。かなりの冷静沈着な様子でいるセイレイを見るエンサ。いかにも他人事とでも言うべきな視線を送り続けているようだ。
「大臣はこの現状を喜ばしいものだと考えているようです」
それは顔に出さないだけ。実際は大喜びという事実にショックを受ける。このことが本当なのか。知りたいエンサはセイレイに問い詰めようとするが――ケンコが邪魔をしてくるものだから、話なんてできない。ずっと自分を痛めつけてくる弟は悪魔のようだった。いや、本当の悪魔はセイレイだ。ケンコを裏で操っていたとなると――。
――本気で怒りを覚えなければならないのは大臣の方だったのかもしれない?
そうではない。
――どちらもどちらだ。二人に良心が欠けていただけの話。
口の中で切れた分だけ、血の味が広がる。それはまさに怨念とでも言うべき味。怨嗟ある味。たとえ、首謀者がセイレイであろうとも。ケンコが扇動されていたとしても。許せない者たちであることには変わりない。何も知らないふりをして、父親を殺した。あまつさえ、自分にありもしない罪を被せた。
エンサは思う。国が滅ぶ、滅ばない関係なしに、今のこの国自体が存在していることがおかしい、と。
――何がしたかったんだ?
二人は国の衰退に拍車をかけただけ。それも取り返しがつかないようなしでかしをした。まだ後継ぎ問題で、自分を蹴落として一国の王としての責務を果たす分は構わないだろう。そういう世の中であったりもするのだから。だが、ケンコがしたことは何なのか。セイレイは何を考えていたのか。
――このままでは、私も国民たちも可哀想なだけじゃないか!




