第三十五話:愚か者の背後にある影を見た
「ぽ、ポチぃ!」
危機一髪のところ。本当にポチがここまで来てくれるとは思わなかったのか、コトは涙に鼻水を垂らしながらポチに抱き着いた。そのせいかはわからないが、ポチの白い毛並みは涙と鼻水がだらだらとついてしまう。
「来てくれるとは思っていたけど、来てくれなかったらどうしようってぇ!」
感動の再会を喜ぶ――というのはまだ早そうだぞ、とポチは自分たちを囲うモヒトツ王国軍兵士たちを睨みつけた。彼らはポチの出現により、魔物が現れたと認識したのか、武器を構え出す。
人数は三名。おそらくは問題ないとは思うが、コトの手前だ。無駄な殺傷はやめておいた方がいいだろう。
「コト、あいつは?」
「エンサは……」
「エンサさんは捕まってしまいました。是が非でも、コトちゃんを逃がそうとして」
今のエンサの状況をロゼンヌは一人の兵士をポカポカと叩きながら答えた。これに納得がいったポチはコトを自分の背中に乗せると――。
「ならば、やつに伝えるがいい!」
――今は分が悪過ぎる。必ず、助けに行く!
「わ、わかりました!」
ポチがコトを連れて逃げ出したからなのか、モヒトツ王国軍の兵士たちは慌てた様子で彼女たちを追いかけ始めた。その場にはロゼンヌが取り残されるも――すぐに行動に移すのであった。
後ろからはしつこく兵士たちが追いかけてきている。その様子を見て、コトは「ねえ」と不安そうである。
「私たち、どこに逃げるの?」
「どこだと言われたら、吾輩たちにはあの森しかなかろうに」
「でも、森は人を拒むって……」
「吾輩と一緒にいるならば、何も問題はあるまい?」
横目でこちらを見てくるポチにコトは頷いた。そう、あの一年間はポチと共に過ごしたからこそ、生きてこられたのだ。だからこそ、まだダルマさんたちのことが気になるのだが――。
「行こう」
「ああ」
「そして、みんなにめっちゃ頭を下げてエンサを助ける手助けをしてもらおう」
「それはどうなんだ? いけるのか?」
「頭を下げるだけじゃ無理なら、土下座で!」
「……まあ、そこまでしなくても、皆はコトの味方ではあると思うがな」
それは初耳だと言わんばかりの表情で、コトは目を丸くした。森の住人たちに頼みごとをするのであれば、そこまでする必要はないらしい。であるが、一つだけ心配事。あまり気にし過ぎるのは嫌であるが――。
「ダルマさんって、本当はエンサのことが嫌いじゃないと思うんだ」
「それはどうだかな」
「だって、本当に嫌いならエンサはあの場所で殺されていた、でしょ?」
「……人間でいう、赤鬼と呼ばれる魔物のあいつはな」
だが、そのことはコトには一切関係のない話である。彼女はただ単にエンサを助け、彼と森の住人たちと仲直りしてくれることを願うだけ。あと、あわよくば、家に帰れたらいいな、なんて。
◆
もみくちゃにされながらも、エンサは地下牢へと放り込まれた。久々にここに来たようなものである。目の前の鉄格子を睨みつけながらも、周囲を見渡した。相変わらず薄気味悪くて、不潔な場所。最初は嫌だと思っていたのだが――もう思わない。ああ、そうだ。軍に所属しているから、泥臭い、汚いことに慣れているとはまた違う。ここで慣らされたからだ。
自身を牢屋へと入れた兵士の背中を見つめながら、彼はため息をつく。
「あの国に勝てるわけがないのに」
自信満々のケンコの顔を思い出した。西方の国の王女であるファインを人質にしたとしても、こちらが有利になるとは到底思えない。
――仮に、だ。仮にモヒトツ王国軍に魔法戦士を加えたとしても、無理だ。他の国から呼び寄せても、もう遅い。
なぜに西方の国が大陸半島の三分の一も領土を持つことができたのか。それは、魔法の力をどの国よりも重視していたから。特に、王とその近衛隊やら精鋭部隊が扱う魔法は強い。よくもまあ、魔法を嫌いとするモヒトツ王国が攻め入られることもなく、国家が存続できているものだ、と同盟関係に感謝をしなければならないのに。何のために、父親は自分の婚約者を西方の国の王女としたのか。
何を以て、ケンコはこれまでの功を捨てるような行為を働いてしまったのだろうか。もはや、他国は我が国に味方になってはくれまい。どの国もよくて中立、悪くて西方の国としての同盟国なのに。
自分の心配をしなければならないというのに。自分の父親を殺した犯人がわかっているようなものなのに。
「…………」
頭を抱えるエンサの目の前に、ケンコとセイレイが現れた。彼らのことを考えていれば、出てくるとは何とも嫌味のあるような感じである。
「そこにいると、自分の兄だとはにわかに信じがたいね」
いつも見せる無邪気な笑みが、もうわざとらしく思えてくる。それには失笑するよ。
「ねえ、兄上。一緒にここへ来た女の人が逃げたらしいけど、逃げた場所ってどこ? 兄上がいた森?」
「行くのは構わないが、あの森は人を殺す森だぞ?」
「でも、兄上はここにいる。兄上を殺すのは森じゃなくて、この国のようだね」
「ああ、世も末さ。西方の国に宣戦布告などするなんて」
もはや、やけと言っても過言ではない。エンサは吐き捨てるようにして勝てるわけがない、と断言をしていた。
「この国の精鋭部隊が相手になっても敵わない相手のはずだ。貴様が自信げになるのは一向に構わないが、その気でいると、必ず痛い目に合うからな」
「勝てるさ。僕の作戦なら。兄上とは違うんだ」
「どう違うと?」
まるで腹の探り合いをしているようだな、と笑いたくなるようなものだった。エンサがそう訊くと、今まで黙っていたセイレイが「すでに西方の国と我が国の国境沿いにある砦を一つ、二つを落としておりますよ」と答えたではないか。
「その後も、我が国にとって脅威となる国の城や要塞を攻めたりして、勝利を収めています」
「…………」
「驚いたか、兄上。だから言っただろう? 僕は兄上とは違うってね」
にっこりと笑うケンコであったが、ここでセイレイが「お時間です」と言ってきた。どうやら、ここから立ち去るらしい。彼らは偽物の短剣の在処をまた訊きに来るそうだ。そのときは、またしてもモヒトツ王国が勝利であるという朗報を持ってくるとのこと。
だがしかし、彼らが立ち去った後にエンサは嘆く。
「戦線を広めるなんて……」
いくら彼らが現状は勝っているなんて鼻を高くしていても、その内折られてしまうに決まっている。そして、何よりあの二人はもうこちらの忠告なんて耳を貸さないだろう。さて、どうしたものだろうか。
やるべきこと、するべきこと、知るべきこと。たくさんの課題が出てきているエンサは壁に寄りかかった。
――コトたちは逃げられただろうか。
もしも、そうであるならば、自分も早いところ逃げるべきだろう。この国が落とされる前に。そのように考えていると――。
「エンサさーん!」
壁からにゅっと現れた半透明人間ロゼンヌのご登場だった。あまりにも唐突だったため、エンサは肩を強張らせる。
「あ、ああ、夫人か。びっくりしたよ」
「はい、私です。それに、コトちゃんを逃がしてあげましたよ。ポチちゃんが助けに来てくれたんです」
「ポチがか。それはよかったよ」
彼は大きな息を吐くと――ところで、とロゼンヌに「ここにファイン王女がいると言っていたな?」と訊ねた。
「会って話がしたいところではあるが、生憎この状況ではどうすることもままならん。悪いが、夫人。間に入ってもらえるか?」
「もちろんですとも」
「なんだか、夫人にとっては負担となるかもしれない。申し訳なく思う」
なるべく無理はしなくていい。そういうエンサであるが、ロゼンヌは「何をおっしゃっているんですか」と肩を竦めた。
「私はエンサさんに感謝をしているんですよ。幽霊という恐怖の塊である私の願いを叶えようとしてくれている。それだけでも十分です」
「そう思ってくれているだけでも、とても嬉しい」
「ふふっ。さあ、エンサさん。私に何なりと仕事を振ってください!」
意気揚々とするロゼンヌにエンサは「一つ別に頼みごとがある」とあることを彼女に頼むのであった。




