第二十二話:恐怖心を抱く思いはやがて勇気に変わる
いつ黒鬼がやってくるかわからない状況で、エンサは昨日一睡もできなかった。というよりも、目が冴えて寝られないと言ったが正しい。そのため、夜の間は常に調理場に火を灯してもらい、その近くで魔法の斧を準備していた。コトも万が一に備えて、枕元に短剣を置いて横になっていたそうだ。そんな彼女は緊張のあまり眠れないということはなく――。
「おはよー」
寝ぼけ眼で起きてきた。それでも、警戒は怠ることなく、短剣を手にして外に出てくる。刃をこちらに向けているものだから、コトが来たときにビビっていたのは、ここだけの話。
「ああ、一応は寝れたようだな」
「みたいだね」
まだ目が開かないようで、目を瞑った状態でいる彼女に、ポチが「熟睡していたぞ」と教えてくれた。
「吾輩も気が気であまり眠れなかったのに。肝が据わり過ぎだろう」
「えー、私だって怖いよー」
「今の表情と言動の温度差が激しいぞ」
遅れて調理場に来たティキンたちも鼻白むようにして、コトにツッコミを入れた。そんなことを言われて、彼女は「緊張感がない顔をしているなら、顔を洗ってくるよ」と湖の方へと行こうとした。そんな彼女にポチが後を追うようにして着いていく。彼らが出払い、エンサは朝食の準備に取りかかった。
「三人とも、今日はやたらと静かだな」
そういえば、という感覚で、ガッツさんを手にしたエンサは三匹にそう言った。そうなのである。普段は(寝るときは別)鳴き声をずっと鳴らしているのに。それはもう、移動するとき、落ち着いているとき問わずだ。昨日の朝だってうるさかったのに。逆に静か過ぎるから怖いのだ。まさか、黒鬼が近くにいるのか。そのように考えていると――。
「それはどういう意味なんだ」
プォークが鼻の上にしわを寄せて怪訝そうにしていた。彼らは自覚をしていなかったようだ。自分たちのうるささは気に留めないらしい。どうも彼らの気を悪くしたのか、エンサは「それはすまない」と普段の三匹の様子を教えてあげると、彼らはとても驚愕していた。それは本当の話なのか、と目を丸くする。
「俺たち、うるさい?」
メガミが少しだけ不安そうに訊いてくるものだから、エンサはそのようなことはない、と否定をした。
「いつも、鳴いているイメージが強いからな。悪いことではないし、何より……今から、ガッツさんの腕をもぎ取るから鳴いて欲しい。ガッツさんの悲鳴で、私はやる気をなくしてしまうから」
「だがなぁ、意識的にしているわけじゃないから今出せと言われても出せんぞ」
「それは弱った。これでは朝食の準備が遅くなるが、構わないか?」
「そもそも、コトがこっちに戻ってこないと、作れないだろ」
「最後の仕上げだけやってもらうつもりだ。今はここに火があるから茹でるぐらいまではできる」
ここしばらくはこうした生活を強いられているのだ。これまでの城の中や部下たちの間にいるわけでもない。それだからこそ、自分でご飯を調達なり、調理なりしないと、どうすることだってできないのだ。
ということで、少しばかりは強引だが、ティキンたちに鳴いてもらうことに。彼らの雑多な鳴き声とガッツさんの悲鳴が上手いこと合わさっているから妙に驚いている自分がいた。もしも、エンサがコトの立場で湖にいるならば、何事なのだと不安になるだろう。実際は結構色々な不安を抱えていて、そんなことを一々気にしていられないだろうが。
エンサがガッツさんを沸騰した鍋に入れて、悲鳴が止むまでの間、ティキンたちに鳴いてもらった。そして、聞こえなくなったことを報告すると、やはり彼らは大人しくなる。じっと鍋にかかっている火を見つめていた。彼らもまた恐怖心があるのだろう。
自分たちにも勝てないような存在。それがいずれかは自分たちのもとへと来て、奪っていく。これまでのポチやティキンたちといった魔物をこうしてこの拠点に招き入れられたのは幸運に近い。今思えば、コトの存在が大きいのかもしれない。彼女は人間にとっての敵であるはずの魔物とは仲良しなのだ。
――そうか、コトがいるなら……。
彼女には魔物と仲良くなる天性の才能があるのだろう。であるならば、黒鬼とも仲良くまではいかなくとも、話し合いぐらいならば――。
なんて考えていると、鍋の中からガッツさんがそろそろ頃合いだぞ、と言ってきた。調理に関するタイミングのアドヴァイスまでしてくれるなんて、便利な食べ物だこと。エンサは火から鍋を離して、お湯を捨てるのだが――「コトたち帰ってくるの遅くないか?」プォークの声に気付かされた。コトとポチが湖へと顔を洗いに行っている間、ガッツさんの下拵えはほぼ終わっているのである。それまでは戻ってこられる時間ではあるのに。
「……確かに遅いな」
なんだか、嫌な予感しかしない。この予感が大外れであって欲しい。きっと、彼女のことだ。顔を洗うだけではなく、ポチと水遊びをしているに違いない。こんなことを言うのもあれだが、コトは水浴びをするときは念押しでこちらに言ってくるのだ。要は湖に来るなという話。
――どれが正解なんだ?
ガッツさんが次のことを話してくるから、頭が回らない。助けに行くべき案件なのか、ただの水浴びなのか。問題がないであろうとも、気のせいで見過ごしたくない。そう考えたエンサは「行ってくる」と告げると、魔法の斧を手にした。
「万が一という可能性も捨てない方がいい」
これにティキンたちは「だったら」と腰を上げて鳴き声を出す。
「俺たちも行く。コトがいなくなっては、誰がガッツさんの料理の続きをするんだ?」
「そうだ、早く食べたいしな」
「茶色い変な形の食べ物、美味しい」
一緒に行くという彼らはなんて頼もしいのだろう。エンサは頷くと、彼を先頭に湖の方へと向かうのであった。
◆
湖に近付くにつれても、ティキンたちの無意識な鳴き声は止まなかった。ということは、黒鬼の気配やにおいはしないはず。それならば、気のせいだろうか。疑心を抱くエンサは草木をかき分けて、湖へとやって来た。
ここは自分たちの生活用水としても利用する湖でもあり、様々な小動物やダルマさんと言った魔物たちの水飲み場にもなっている場所だ。この湖では水の音は一切していない。ここにコトとポチがいるはずなのだが――。
「王狼!?」
ティキンがいち早く、ポチの存在に気付いた。何かに慌てた様子でそちらへと行くと――そこには地面に横たわるポチが! 傷があるようだ。急いで、手当てをしてあげないと!
「お、おい、ポチ!?」
ポチの傷の手当てを施しながらも、周りを見る。周囲にコトの姿はなし。代わりに、偽物の短剣があった。ということは――。
「ううっ……王子か……」
痛む体を強引に起こしたポチはとある方向を見ていた。
「ポチ、コトは?」
「不甲斐ない。連れていかれてしまった」
「黒鬼にか!?」
「そうだ。吾輩は何もできなかった」
「…………」
あのポチでさえも、黒鬼の前ではどうすることもできなかった。エンサは足が震えているようだった。このまま、コトを見捨てるわけにはいかない。かといって、ただの人間が魔法すらも使う魔物を相手にするなんて無理な話。怖い、死にたくない。耳元で自分の心臓の音が鳴っている気がした。それにより、ますます恐怖心が湧き上がってくる。
そうエンサが顔を青くしていると、ふらふら状態のポチはコトが連れていかれてしまった方向へと足を動かし始めているではないか!
「ポチ?」
「何もできなくても、助けたいとは思っている」
「し、しかし、そのケガでは……」
「だからなんだ。これからコトはもっと痛い目に合うに決まっている」
ポチがこちらを横目で見てきた。その目は明らかに自分を軽蔑したようなものである。彼はエンサの恐怖心に気付いているのだろう。
「言っただろう、この森は人間を拒むところだと。このままでは、お前ももっと痛い目に合う未来は見えている」
その言葉にエンサは寒気がした。
「お前がこの森でどうにか生きられているのは誰のおかげか、わかっているのか?」
「…………」
「それは紛れもなく、コトの存在があったからだろう!」
何を思ったのか、いきなりポチはエンサに襲い掛かってきた。自身の目と彼の目が交差し合う。ポチは牙を立てて、今にも食い殺してしまいそうな状態だった。
「お前はあの子に助けられている。あの子ももちろん、お前がいるから助けられているようなものだ。互いを助け合うはずの人間が、こんなにも薄情な生き物であることを今知った吾輩は片腹が痛い」
事実だった。助けに行きたいという気持ちがあるが、怖いから行きたくない。その思いの方が強かった。だからこそ、エンサは何も言えない。
「今、ここで吾輩はお前を食い殺す」
容赦ない攻撃がエンサの生命線と言っても過言ではない魔法の斧が離れてしまった。怪我をしているというのに、自分よりも俊敏な動きで、地面に倒れた彼の上に圧しかかった。顔とポチの口の距離はとても近い。このままでは死が確実に見えていた。
「お前は死にながら後悔することになるであろうなぁ。あの子を守れなかった悔しさ、自分の目的を果たせない悲しみ……ああ、実に愉快だ。必死になって、命乞いをする人間の肉はとても美味いもの」
そう嘲笑うポチはエンサの肩へと噛みついた。鋭い痛みが彼の肩から全身へと伝わるようにして走る。血肉が、骨が砕けそうな音が聞こえてくる。エンサはあまりの痛みに失神しそうになるのだが――。
「……ポチはこの状況が楽しいと思うのか」
どうにか動かせる両手でポチを優しく撫でた。エンサのこの行動に、一同は呆気にとらわれる。彼は理解しているのだろうか、これから食い殺されるというのに。戸惑うポチの耳には鼻をすする音が聞こえてくる。その音を出しているのは紛れもないエンサだった。
「私はとても怖い。痛みに恐れている。父上の死に悲しみを抱いている。父上を殺した者に怒りを持っている」
「だから、その思いを持ったまま死ねばいい」
「ああ、非力な私がコトを助け出せずに死ぬと思うと……すべて失うのだな、と気付かされたよ。とても悔しい」
エンサはこれから死ぬことに恐怖を抱きながら、死ぬ覚悟ができていた。それだからこそ、最期に、とポチを撫でたのであろう。
「父上、ケンコ、大臣、ファイン王女、ポチ、ティキン、プォーク、メガミ、ダルマさん……コト」
ポチを撫でたいのに、泣きを優先してしまう自分がいた。とても悔しいし、悲しい、怒りに満ちている。一方で、肩に噛みついたままのポチは様々な万感が殺気を邪魔していた。鼻の上にしわを寄せて、迷いを見せているようだ。
その迷いのせいで、とある三匹の心が動いた。そっとエンサたちに近付くと、鼻で彼の体を突いた。一瞬だけ反応を見せたエンサは「私は愚か者だな」と涙目ながら、彼らに別れを告げようとするのだが――。
上に圧しかかっていたポチはエンサから離れた。これには目を赤くする彼は目を丸くした。自分を食い殺すのではなかったのか。
「愚かな王子よ、お前はまだ死なせん」
「ポチ……?」
「気が変わった。吾輩はコトが心配だ。先にあの子を助けることを優先としたい」
それだけ言うと、ポチはコトが連れていかれた方向へと一匹だけで行ってしまうのだった。その場に残されたエンサは涙を拭うと、立ち上がり、魔法の斧と短剣を拾い上げた。そして、視線の先には――。
「私は死ぬのが怖い。痛いのが嫌で、いつだって恐怖心を持つただの人間だ」
「エンサ……」
「もしも、この恐怖心を持った状態で、コトを助けられても……私は成長できるだろうか」
なんて苦笑いをするエンサにティキンが「できるさ」と鼻で体を突いてきた。
「それが人間の言う勇気じゃないのか」
「怖くとも、何かを成し遂げたいという思いがあれば十分だよ」
「怖くなくて、何かを成し遂げたいのは無謀だけどな」
「……ティキン、プォーク、メガミ……ありがとう」
エンサは三匹に頭を撫でてあげると――ポチが向かった先を見た。あの方角を突き進めれば、コトがいる。そう信じて。




