第十六話:優しさという言葉の裏側に存在する心(後編)
エンサが危険かもしれない。ポチはそう考えた。だからこそ、コトを連れて助けに行きたいと思うのだが――行きづらいと思う。渡したあの白い笛を吹いてくれるならば、すぐにでも向かう気はあるのだが、まだエンサは吹いていない。
――あやつは、ああ見えて考えて行動するタイプのはず。鳴き声が聞こえたら、どこかに逃げてやり過ごしてはいると思うが……。
「ポチ!」
コトに呼びかけられて、ポチは我に返った。彼女は今すぐにでもエンサを助けに行きたそうにして、自分の背中に乗っているではないか。
「さあ、王子を助けに行くよ!」
「そこは自分の足じゃないのか」
「だって、乗っていった方が早いし」
もっともな言葉に反論のしようはなかった。それに、コトのその言葉はこちらとしては行動しやすいのが一番の思いである。内心、ラッキーと歓喜することであるのだが――その心に、ほんの少しだけもやもやとする自分がいることに気付く。この奇妙な気持ちは何なのだろうか、と鼻を小さく動かしながらも、エンサのいる場所へと向かうのだった。
足を動かしていると――森の住人たちから知らせを受けた。エンサがボーソーゾクたちに囲まれている、と。こちらに助けを求めてきていた。ポチの背中に乗るコトも彼らの慌てっぷりに「そうなんだ」と頷く。
「やっぱり、みんなも王子のことが心配なんだね」
「ああ、そうだな。こいつらは畑の作物が狙いだからな」
「そっちで動くの!?」
もう少しは本人を心配してあげて欲しい。そう思うコトであった。
◆
周囲は歓喜に満ちた鳴き声が。空気は緊張感であふれているのに。この状況、一人でどうにかしなければならない。必死に頭の中で思考を巡らせるエンサの視線の先には頼もしい味方が来てくれるはずであろう白い笛が転がっていた。あれ失くしてはどうすることもできない。しかし、何も切り札はこれだけではない。エンサはそれを知っているからこそ――。
「ダルマさーん!」
ボーソーゾクたちに絡まれているから、助けて。来てくれることを期待しつつも、大声でダルマさんを呼んでみるのだがーー。
悪い、今手が離せないんだ。
すり潰したガッツさんを食べたときと同様に、ダルマさんの声が頭に響いた。今、手が離せないだって?
「ダルマさん!? なぜなんだ!?」
まさか、ダルマさん自身も凶暴な魔物に襲われているとか? どちらかというならば、こちらの方に来てくれた方がとてもありがたいのに。そう願うエンサに――。
キレが悪いんだ。お前たちに上げる予定の、俺の種がな
こちらの方がキレるのは言うまでもない。なんでだよ、と怒声を上げる。ダルマさんがこちらへと来てくれないのならば、もう自分で本当にどうするしかないとならない。どうしようもないってのに。
「何をごちゃごちゃと言っている!」
一匹のボーソーゾクの噛みつき攻撃にぎりぎりのところでかわした。大きな口の中にある鋭い牙が自分の命を狙っている。そう考えると、ぞっとした。いつ殺されるかわからないからこそ、前も後ろも左右も常に目配せ状態。常時鳴り響く鳴き声に耳を傾ける。気が抜けない、油断できない。エンサは初めて戦いの場に立っている気がした。
――私の部下もこうして、どこから敵が差してくるかわからない状況のさなか、戦っていたのか。
それに似た経験を今、この場で自分が立ち会っていた。この偶然にほんの少しだけ感動しつつも、形勢逆転とまではいきそうにもなかった。どうにか、相手の噛みつき攻撃を避けたり、魔法の斧で防いだりしていることだけで精一杯のようだ。何より、彼らを傷つけるということは――ああ、そうだ。ダルマさんに言った。この森に危害を与えるつもりではない、と。だから、ポチは彼らに手出しをせずして、いつも気配やにおいで回避をしていたのだ。だから、コトは家を造るにしても、葉っぱだけで造っていたのだ。
よそ者がこの森を破壊してはならない。それはこの見知らぬ森独自のルール。こうなってしまったのは拠点を造った自分に対する天罰なのだろう。森そのものが怒って――。
「……私はバカなことをしてしまったのか」
なんだか、戦う気も失せてきて――相手の突進攻撃を自身の腹で受け止めてしまった。とても痛かった。地面に転がって、悶え苦しむ。ボーソーゾクたちはゆっくりとこちらの距離を掴んでいる。鋭い牙の隙間からは鳴き声と涎が垂れてきていた。あの鋭いもので殺されるのだな、と思えば――。
――私は何のためにこの森から出ようとしていたのか。
なぜに生きているのか。それをエンサは思い出す。コトとポチに助けられたからだ。まだあの箱の中に入っていたら――餓死していたはずだ。本来ならば、あの場所で死ぬはずだった自分を助けてくれた。自分の願いが届いたのだ。父親を暗殺したものを探し出し、無実を訴えるという信念を。
ならば、生きるためには彼らから逃げなければならない。生きて、自分の国に帰るまでは。そのためには、ボーソーゾクたちにはどのようにして、諦めてもらうべきなのか。
――彼らは肉食魔物だ。もう、あれしか方法はあるまい。
エンサはゆっくりと起き上がると、目の前にいる一匹のボーソーゾクに対して「食べたことがあるか?」と訊ねた。
「貴様らはガッツさんを食べたことがあるか?」
「なんだ、それは」
名前も知らないのは無理もない。ガッツさんと呼称をしたのはコトなのだから。
「この森に自生しているジャガイモみたいなものだ」
どこにでも自生しているから、この状況でも見つけることは容易かった。ガッツさんが咲かせる花がある方向を指差した。それを見たボーソーゾクたちは――。
「あんな不味いものを食べろと言うのか!」
一瞬で怒らせてしまった。それもそのはず。生のガッツさんは不味い。コトもポチもまずいと言っていたのだが。ということは、ほとんどの生物にとって生のガッツさんは美味しくないという結論が今出た。
「ならば、貴様らは魔法というものを存じているか?」
「黒鬼が使う力のことだろ」
「貴様らは使えるのか?」
「使えないし……そんな話で逃げ切れるとでも思ったか!」
なんだかまどろっこしい。そうボーソーゾクたちはエンサに噛みつこうとした。もう避けられそうにも、防御すらもできそうにない。仮にできたとて、一匹が限界だ。何もかもがおしまいのように見えた。それでも、まだ諦めたくはなかった。それだからこそ、その諦めないという強い心を持つエンサは魔法の斧を握り返して――真正面から牙を向けてくる相手の口を封じた。だが、そうできるのは所詮、一匹のみ。残りの二匹は好機だとして、背後から――。
そのとき、ボーソーゾクたちの後ろから白い大きな何かが現れたのが見えた。これにより、彼らは痛みを訴える。何があったのかを目の前のボーソーゾクの対応で見ることができないエンサは困惑をしていた。
背後にいるボーソーゾク二匹はどこか痛々しそうに悲鳴を上げているではないか。それが気になるからこそ、エンサは強引にも目の前の相手を押すようにして、離れさせた。そして、そこで相手は気付く。彼の後ろにいたはずのボーソーゾクたちに嗾けてきた正体を。
「お、お前は!?」
「去れ」
エンサにとってどこかで聞き覚えのある声に、目の前のボーソーゾクは逆らうことはできるらしい。「誰が貴重な肉を!」とそちら側も諦めは悪い。
「人間の肉がこの森で一番美味い肉だからな!」
「果たしてそうかな!?」
今度は女の声が聞こえてきた。これでもうエンサもおわかりだろう。後ろを見なくともわかる。そう、自分の危機に察知してくれたのか、援護しに来てくれたコトとポチだ。彼女の声ですべてを理解したエンサは思わず泣きそうになった。
「一番美味しい食べ物が人間? いいえ、違う! 本当にこの世で一番美味しい食べ物を知らないだなんて、あなたたち可哀想!」
「なんだとっ!?」
「ようやく、王子たち以外の人にも振舞うときが来たね!」
なんてコトは「しばらくお待ちください」と言うと、その場から離れてガッツさんの下処理をし始めた。この現状に誰もが困惑する。涙目だったエンサのすぐに目の水が引っ込んだ。
「あの、コト?」
「ああ、ポチ。あの人たちに一時間ほど待ってもらえるように、言ってもらえる? 下準備とかしなくちゃいけないし」
「いや、あの……」
そういう問題じゃないんだけどな。そう言いたげなポチとボーソーゾクたち。そんな彼らから抜けるようにして、エンサが「ならば、私は鍋の用意をしておこう」と味が一切しない果物を採り、枯れ枝を集め始めたではないか。
「そこに私が見つけた野草やキノコもあるから使うといい」
「うん、ありがとう」
「ここら辺の方が燃え移らないようだな」
「じゃあ、沸騰させるね」
「よろしく頼む」
コトは慣れた手つきで、準備した鍋に炎魔法を変えると、ガッツさんの下拵えをし始めた。それにはもちろん、エンサも手伝うが――ガッツさんの腕を取ったりするときだけはきちんと耳栓をしていた。
適当な大きさに切られたガッツさん、根菜類を鍋の中に入れて茹でる。そうして柔らかくなったら、お湯を捨てて、ガッツさん以外を取り除き、ガッツさんを潰す。このとき、エンサは耳を塞いでおくこと。
ピンク色になるまでガッツさんを潰したら、その鍋の中に茹でた根菜類、キノコを入れ 葉菜類を散らす。鍋に蓋をし、それごと炎魔法で再びくぐらせれば――。
「できたよ!」
完成したガッツさんのマッシュポテト風の野菜とキノコ添え。それを食べてみてと言われたボーソーゾクたちは困惑していた。そんな彼らにポチは威圧感で「食べろ」と押し付けてくる。なんだか、食べないと本気で殺すとも言えるような怖い雰囲気を醸し出していた。だが、彼らは何が入っているかわからないようなものを食べろと言われても――互いを見るばかり。なかなか手出しができないらしい。
そんな彼らにエンサが「私が言いたかったことはこれのことだ」とガッツさんの料理を指差した。
「ガッツさんはそのままだと不味いが、火を通せばとても美味しいものになるんだ。それに、味も肉に近い。だから、是非とも貴様らにも知ってもらいたい味なんだ」
食べたくない、とは言えず仕舞いのボーソーゾクたちは食べることにした。鍋で食べてもいいと言われ、おそるおそる食べてみた。すると――。
「本当だ、肉の味がする」
「葉っぱは不味いが、このピンク色のは美味しいな」
「茶色の変な形をしたやつが病みつきになる」
三匹はガッツさんを大絶賛。あっという間にボーソーゾクたちは平らげてしまうのであった。
「普通に美味しかった。また食べたい」
そして、こんな感想も残してくれたのだ。これに気をよくしたコトは「うん」と頷いた。
「じゃあ、ガッツさんを食べたいときはいつでも私たちのところに来なよ。作ってあげるから」
「本当か?」
そう言われたボーソーゾクたちはとても嬉しそうにくるくる駆け回る。その様子にエンサも一安心。そんなこんなで丸く収まったのはとてもいいことである。だが、ポチだけはどこか怪訝そうにしているのであった。




