第十一話:遠くともその声ははっきりと聞こえる
坊主、遠慮なく食べてくれよ。
なんて、エンサに優しく声をかけてくれるのはガッツさんである。茹でたおかげで美白となったガッツさんは微笑みを浮かべて、美味しく食べろと促してくる。だが、それを目の前にするエンサは口を噤んで、手を付けようとしなかった。理由は当然、嫌なのである。コトとポチが採ってきた貴重な食料であるガッツさんではあるが、可食部分である腕のところをもぎ取られたときの悲鳴。顔も沸騰した水にぶち込まれての阿鼻叫喚。その断末魔を作業場に響かせながら、それを食べるのかと戸惑いを見せていた。
もちろん、ガッツさんの声というものは人間の男であるエンサにしか聞こえない。コトもポチもダルマさんも聞こえないらしいが――どうして、ポチはそのことを知っていたのだろうか。にやにやとこちらを笑っていたのは覚えている。逸話も教えてもらった。それなのに、彼は叫び声が上がるたびにスルーをしているのだ。ポチが口に含むときなど、何か叫んでいても動じることはない。慣れているのかというわけでもなさそうである。
そうして、エンサがなかなかガッツさんに手を付けないでいると――。
「どうしたの、王子」
食事にありつこうとしない彼を気にしてか、コトが顔を覗かせる。その傍らでこちらを見てくるポチは事情を理解しているのか、鼻で笑っているようだった。
「いや、別に」
ガッツさんから声が聞こえるなんて、言うに言えない。いや、コトはポチから聞いたことがあるのかもしれないのだが、言えなかった。これは自分だけの問題なのだから。そういう宿命と言うべきか、それとも地味な嫌がらせとでも言うべきか。手元から食って元気出せ、と励ましのお言葉をちょうだいする。いやいや、あなたが食べる直前のときに声を出さなければ、こちらとしては何も支障はないのですがね。
何かを食べないと生きていけない。それはエンサにとって、十分に理解していることだった。そうであっても――正直な話、ガッツさんよりも肉がいい。そう思っていても、本音が言えやしない。だから、食べるしかない。なるべく、顔を食べないように心掛けながら、腕からいただく。どうせ、すでにばらばらとなっているから悲鳴なんて――。
うぎゃぁあああああああああああああ。
「…………」
う、腕がっ! 私の自慢の上腕二頭筋がっ! 頑張って鍛え上げた筋肉がっ!
食べろと言ったり、食われる自分の腕に悲鳴を上げたりと大忙しの植物性魔物だこと。もはや食べることに関する拒否反応が現れそうなのだが、ここは大人しく聞かなかったことにしておくべきだ。こうして、コトもポチもダルマさんも無反応なのだから。
エンサは黙って、聞こえないふりを続行しながら、ガッツさんを食べていく。そうであるのだが――。
はあ、はあ。い、いいさ。所詮、私は食べられる運命にあるだけの存在。こうして、人間の男のような体を目指しても、なかなか思い通りに進まないのが自然の摂理。ああ、構わないさ。私がこの世から存在を消すことによって、一人の若者の必要最低限の栄養となるならば、こんな小さな命なんて――。
「ああっ、もうっ!」
我慢の限界だった。ここまで構って欲しいアピールをしてくるなんて、かなりのウザさが際立つ。それだからこそ、とうとうエンサは叫んでしまった。この唐突な発声に誰もがこちらを注目してくる。
「いきなりどうした」
エンサを心配そうに見てくるダルマさん。突然の大声に困り眉を作るコト。同様に困惑――ではなく、にやにや笑うポチ。それでもいいさ。もう黙っておくことはない。我慢はよくない。
エンサは両手で顔を覆いながら「ガッツさんが食べづらい」と告げた。
「ポチが人間の男にだけ声が聞こえるなんて言うから。幻聴だと頭の中で処理していても、悲鳴で食欲を下げてくるんだ」
「えっ、ガッツさんって声……」
「私だけにな! それに、調理済みのガッツさんでもしゃべってくるんだ! だから、もう限界」
「初めて知ったよ。ポチとダルマさんは知ってた?」
「噂には聞いたことがあったが……王狼は知っていた上に黙っていたな?」
ポチのにやけ顔に気付いたダルマさんが問い詰めると、彼は「最初から教えてあげていたぞ」と自分が悪くないと言わんばかりの面持ちでいるのだった。だが、それは事実であるため、エンサも「そうだ」と頷く。ポチがガッツさんについての逸話を教えたことに関しても肯定していた。
「せっかく、コトが森にあるだけの食材でご飯を作ってくれているのだ。その気持ちは無下にできないし、ガッツさんの気持ちも無視はできない」
なんて項垂れるエンサにコトとダルマさんは同情した。そして、二人はポチを見る。まるで、彼が悪いとでも言わんばかりに。これにたじろぎを見せるポチは「なんだよ」と吠えた。
「吾輩は親切に教えてあげたまでだ! 王子が知らずしてガッツさんを食べようなら大騒ぎをするはずだからな!」
「でも、結局は王子……騒ぎを立てているよね」
「すまない」
コトたちに申し訳なさそうにするエンサであったが――解決方法があると言い張る彼女は彼の手元にあるガッツさんを取るのだった。
「ちょっと待っていてね。食べるときも声が聞こえるなら……」
何を考えたのか。彼女は殻となった鍋の中へ、ふかしたガッツさんを放り込み、綺麗に処理した木の棒で――。
ぎゃぁあああああああああああああ。
ガッツさんを潰し始めた。これまでにない、森中に響くような叫び声。もちろん、聞こえているのはエンサのみ。彼だけ耳を塞いで、嫌そうな顔をしているのだった。そうして、しばらくの間コトがガッツさんを潰し終えると――。
「こんな感じ。マッシュポテトっぽくしてみたよ」
顔面も腕もどれがどれだかわからないほど、ぐちゃぐちゃに潰されてしまったガッツさん。あれだけ自慢の美白な色をしていたのに。なぜかピンク色に変色しているのは? とても嫌な予感しかしない。逆に食欲が失せてきた。
「もう悲鳴は上げないと思うよ」
そこまで潰したのであれば、声をあげることはないだろうに。鍋の中の惨状を見たエンサは鼻白みながらも、勢い任せで一口食べてみた。普通にガッツさんの味はする。そして、声はしない。ラッキーだ。
「美味しい」
声が聞こえないということが特に大きなものだった。やがて、エンサの頬は綻ぶようにして、美味しくガッツさんをいただいていたのだが――。
美味いか、坊主。
今度は脳へと直接声を届けるガッツさんなのであった。




