第88話 惨めな悪役
さらりとした金髪に整った顔立ち。凛々しい目つきに優しさを感じさせる立ち振る舞い。正義感の強い性格からか、周りからの絶大な人気や信頼を持ち、それも頷けるほどの力を持っている。その男、一番隊隊長のニコラスは全てが備わった完璧な存在だった。
そしてその正義の味方が今、ノアにとって最大の障害となっていた。
「君が隊長として、番号を背負うことは許すことはできない」
ニコラスは固い表情でノアを睨んでいた。
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古代兵器を片手で止めてみせた英雄の話は瞬く間に広まった。そしてその日の晩、ノアの任命式に合わせて英雄の祝杯も行われるようになった。城にいる姫や王子達が集い酒を交えていた。勿論アリスは連れてきていないが騎士達も並び、相当の数がこの広場に集まっていた。だが英雄と罪人の祝杯が重なれば、ノアの任命式がついでのようになるのも必然。誰もがニコラスが語る英雄談に興奮して、ノアに興味など持とうとしなかった。
騎士達に囲まれて楽しそうに雑談していたニコラスが表情を硬くした。それは騎士達は酒のつまみとして面白可笑しくノアの話をしたからだ。
使用人を殺し、王族を襲った。それは事実ではない。だがそれはたいした問題ではなかった。人は心の弱さから群れを作る生き物であるとともに、自分より下を見たがる生物だ。ノアはまさに醜い群れの餌。嗤い話として人から人へ渡るノアの噂は膨れあがっていき、原型は無に等しかった。群れの一人が娯楽のために作った嘘を、また他の者が広めていく。
それは嘘でしかない。だが嘘で作られたノアの評判、人物像に嘘なんて存在しない。
ニコラスに届いたノアの人物像はとてつもなく邪道であった。使用人を殺してテレサという少女を強姦しただけでは飽き足らず、脅して言いなりにさせて酷使している。治療中の姫さまを塔の中から引っ張り上げ、井戸の水をかけて笑っていた。騎士隊長同士の会議でも一悶着あったという。
そして、彼は元ギルド所属のハンターでありそこでも暴れ回った問題児。ギルドの長であるギルドマスターの顔を殴りつけて破門にされたほどだという。
どれもこれも真実に嘘を混ぜ込ませ、証言や証拠があるものばかり。ニコラスはその正義感ゆえに許せるはずもなく、ノアの前に立ち塞がったのだ。
「女に手をあげて、それでも騎士か! 騎士とは正しさだ。 人に頼られ信頼される存在でなければならない。 だが君は正しくない悪だ。 だから僕は君を騎士として認めるわけにはいかない。矯正しなければならない」
ニコラスは胸を張って宣言をした。誰もが見惚れる正義の味方。 この城には王族の姫だけでなく貴族育ちの姫もおり、うっとりと主人公の物語を見送った。
ノアは眉間に皺をよせて、称号の証を騎士長から受け取ろうとした手を止めた。また面倒くさいものに絡まれた。最初はそんな認識でしかなかった。
「ノア、下手なことするな」
近くで見守っていたホムラが声を潜めた。ホムラの表情は酷く険しい。
「ニコラスは第1王女の守りびとだ。 ここには皆んなの目もあるし、あの第1王女もいる。 この意味、わかるよな」
ノアは表情が歪んでいくのを堪えるので精一杯だった。姫にとって守りびとはステータス。騎士が美しく、気高いほど姫としての価値も跳ね上がる。そして第1王女は絶対の存在だ。そのため第1王女の守りびとも輝かしい存在でなければならないのだ。ニコラスは正義感からノアという存在を許せなかったが、第1王女の威厳を保つためにも、英雄として立ち振る舞わざる終えなかったのかもしれない。その性格も環境に合わせて作ったものだった。
そして、今ノアはニコラスを煽て上げる存在でなければならないのだ。今第1王女の顔に泥を塗れば、第1王女を怒らせれば、王族の奴隷であるノアは簡単に城から排除されてしまう。それはアリスにも飛び火するかもしれない。ノアが居なくなった後、僅かな感情が動き出した今の彼女にまた地獄を味わせてしまうかもしれない。
ーーーそれだけはダメだ。
一方的だった。手も足も出ないノアにニコラスは拳を叩きつける。
形式は一対一の決闘である。観客が口笛を鳴らして結末を歓迎する。鉄の装甲に包んだ拳で殴られて頭が揺れる。悪者は英雄に倒されるのが物語のセオリーだ。 起き上がりしぶとく這い上がる惨めな悪人。その悪党を懲らしめるのが英雄の務めである。無力な悪党の攻撃は掠ることなく、英雄は華麗に捌いていく。そして騎士の手本のような一撃に罪人の体が沈んでいく。
下衆な罪人が然るべき罰を受けている様。抵抗すら出来ない調子に乗っていただけの弱者。強者が現れれば偽物は萎縮するだけ。それは最高の見せ物で、皆は笑った。笑い、嗤い、微笑い続けた。
ノアは顔を殴られる。鼻を殴られる。頰を殴られる。瞼を殴られる。顎を殴られる。額を殴られる。こめかみを殴られる。殴られ、殴られ、殴られる。
「剣を抜け! その腐りきった精神を矯正してやる」
ニコラスは、無様に這いつくばるノアの喉に剣を添える。それを見たクレアは思わず止めようと前へ出た。
(ダメだ! そいつは危険なやつだ。 前に感じたあの殺意、こいつはまだ隠している。 こんなに簡単にやられるわけがない)
いつ破裂するかわからない爆弾に、クレアは最大の危機感を覚える。クレアはノアが冤罪で罪を被せられたことを気づいている。だがそれ以上にノアが危険な存在だとも感じている。使用人に拒否されただけで、あそこまで強烈な殺気を放つほどなのだ。この劇はノアが怒り狂うには十分すぎる。 クレアは暴れ狂う崩壊に備えて剣を握る。
しかし、クレアの予想は裏切られることになった。
ノアの顔はぼこぼこだ。殴られた跡や、目の上は腫れ物が痛々しく残っている。だが別にこんなもの痛くもなんともない。抵抗せずに殴られて嗤われるのだって構わない。だが剣はダメだ。手にできる豆や霜焼け、痣などの皮膚が変化していく症状は変わらない。しかし剣で切られ、傷がつけられればノアの体は再生が始まってしまう。こんな大勢に注目されている場でそれはダメだ。八咫烏として再生能力があることが知られているかは定かではないがリスクを犯すわけにはいかない。アリスの守りびととして生きていくためにもそれだけはダメだ。
だからノアは選んだ。 この茶番は英雄が悪党を懲らしめる物語。 正義の味方が世界のため剣を握る物語。悪党の心を矯正させる優しき主人公の物語。だったら終わらせ方は簡単だ。物語の結末は決まっているのだから。
ノアはこうべを垂れて両手を上げた。口から血をぽたりと落として命乞いをする。
「ま、待ってくれ。もうしません。反省します。だから……許してもらえませんか」
ーーー悪が折れ、正義にひれ伏せばそれはハッピーエンド。それが物語の醍醐味。
クレアは情けないノアの姿に困惑した。敗北者以外の何者でもないその姿。それはクレアの疑念を晴らすには十分すぎるものだった。ホムラは悔しそうに目をつぶり、ロキは憧れの隊長の姿を見ていられずに飛び出して行った。
「うっわ、無様すぎるだろ」「所詮は罪人、隊長の器ではなかったな」「俺でももう少しまともに戦えたぞ」「流石ニコラスさん」「第1王女の騎士様ですから。当たり前ですよ」「あの男、あの姫の守りびとですもんね」「いやあ、情けないやつだな」
皆が皆、ノアをケラケラとあざ笑う。
惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ。惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ。惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ、惨めだ。
膝をつき、剣を向けられた途端に萎縮して手を挙げる罪人。英雄の前だと何も出来なくなる敗北者。ノアの姿は、皆んなにも自分自身にも救いようが無いほど惨めに映る。
また一つ、ノアのなかで何かが潰れる。