第89話 生きる理由
「もう大丈夫か?」
「ああ、助かるよ」
ホムラに肩を貸してもらい、ノア達は広場を出て落ち着くところへ移動した。正義に屈した悪党が反省して正しく生きると約束したおかげで、同情からか、苦笑を隠しきれていないトオエンマから騎士隊長として正式に任命された。ノアが騎士隊長になることを認めたくなかった者達も、ニコラスの行いで正しい騎士隊長になれたという結果に満足して何も言うことはなかった。だが本来、六番隊隊長となるはずであったノアだが、まだ番号を背負わせるわけにはいかないとニコラスに言われてしまったため番号はまだない。それでも、さまざまなモノを捨てたかわりに一つを手に入れた。
「お前はよく耐えた。 頑張ったよ」
ホムラはノアの背中を強く叩いた。ホムラはあそこまでやられるとは思っておらず、何度も止めに入ろうとしたがノアの覚悟に敬意を表した。
しかし、抵抗もせずに殴られて馬鹿にされるザマに納得できない者もいた。
「何でですか!」
それはノアの部隊に残った唯一の部下、ロキだ。
「ノア隊長はあんなもんじゃないじゃないですか! 俺は機械生物を倒す時のノア隊長の剣さばきを見てました。 凄く強くて、かっこよくて…」
ロキは堪えがたい葛藤をノアにぶつける。表情は怒りや悲しみで歪み、ロキ自身も何を言いたいかわかっていない様子だった。
「なのになんで!あんな無様に負けて! あんな、あんな……ックソ!」
ロキは顔をしわくちゃにしながら叫び、怒りを抑えきれずに走りさってしまった。その理由はノアが困ったように笑っていたからだ。自分が勝手に裏切られたような気分になり、八つ当たりをしてもノアは笑っている。あれだけ人前で殴られ、馬鹿にされてもこうして笑っている。 それがロキにはとても格好いいとは思えなかったのだ。
「はは、お前も面倒が絶えないな」
「まったくだよ」
「ほんと、王族も騎士達も腐ってやがる。俺もここの奴らが大嫌いだったな」
懐かしむように呟くホムラ。過去形、ということは今はもう好きになったのだろうか。そう思えたほど、ホムラの表情は穏やかだった。
「あの姫は大丈夫そうか? というかお前の顔を見たらびっくりするんじゃねぇか?」
たしかに今のノアの顔は腫れて酷い有り様だ。アリスは優しい性格なゆえに心配はするだろう。ノアは、ホムラの言葉に前から頭にあった疑問を口にする。
「なんでホムラはそこまでアリスのことを気にかけてくれるの?」
「……ああ、まぁ。 ちょっと訳あってな。俺は違う姫の守りびとだから近づくわけには……グェッ‼︎」
帰ってくる答えは歯切れが悪く、ホムラは何やら照れ臭そうだった。そして頰をかきながら喋っている途中、スパンッ!っと乾いた音が響いた。ホムラの頭が後ろから思いきり叩かれたのだ。
「ちょっとアンタ!私を置いて勝手に出ていくんじゃないわよ! 私は大切なお姫様でしょうが!」
後ろから追ってきたらしい女性。綺麗なドレスを身に纏った王族のお姫様。黒い髪をウェーブ状に伸ばし、美しい顔立ちだが怒りを隠さずに眉をキリッと上げている。
「少しは守りびとらしいことしたら? 本当に使えないわね。 このグズ!」
叩かれた頭を抑えているホムラに言いたい放題のお姫様は、怒りが収まらないのか更に頭を叩く。そんな彼女の態度に、ノアは思わず笑みをひきつらせ、叩かれてもひたすら我慢して必死に堪えているホムラに感心していた。けれど、それも少しの間だけだった。
「ッうるせぇ! お前みたいな気の強い女、どうせ襲うやつなんていねぇよ!」
予想だにしていなかったことに、ホムラはお姫様と取っ組み合いを始め、王族の頭を腕で締め始めた。
「イタタタタタ!ちょ、ちょっと! そこの、助けなさい!」
頭を締めてられて涙目になっているお姫様は、隣で置いてけぼり状態だったノアに助けを求めた。
「ごめんなさい、自己紹介が遅れました。 私はアシュリーよ。よろしく」
「テンメェェ、アシュリィィ!」
痛みに悶えているホムラを無視し、アシュリーはドレスを摘んで頭を下げる。今しがた、目の前でホムラの顔をぶん殴って見せた女性にこうも礼儀正しく挨拶をされるとは思っていなかったため、ノアは多少焦ってしまう。
「貴方がノアよね? いつもこの馬鹿から聞いてるわ」
「あ? 馬鹿はおまっ、イテッ!」
「アンタはちょっと黙ってて。 ノア、ずっと貴方に会って話をしてみたかったの」
「僕とですか?」
「ええ、あの子の守りびとである貴方と」
「アリスの?」
「……へぇ、アリスって名前なのね。 貴方がつけたの? とっても素敵じゃない」
アシュリーは手を叩いて嬉しそうに笑った。どうやら、ただホムラとの仲が悪いだけで良い人かもしれない。この場合は仲が良すぎると言うべきかもしれないが。
「あの子はね、アリスは私の妹なのよ」
それからしばらく、アシュリーと腰を下ろして話をした。王族には兄弟や姉妹が沢山いる。それは母親が違うことが多く、血の繋がっていなことがほとんどだ。だがアシュリーとアリスは違う。二人は同じ母親から産まれた血の繋がりをもつ実の姉妹であった。アシュリーは姉としてアリスを救えなかったことに日頃から胸を痛めていた。母親は、子供が病に侵され王族としての役割を果たせないと隔離されたことを知り、ショックのあまりに自殺してしまう。残されたアシュリーも、ショックはとても大きなものだったが、何とかして血の繋がった妹に会おうとした。しかしそれは使用人や騎士達によって何度も遮られた。アリスの病は人に感染するという噂が流れ、会うことは叶わなかったのだ。
「王族として生きていくためには、あの子と会うことができなかった。だからいつか私をアリスと合わせてくれない?」
ノアは理解した。ホムラがアリスを気にかけていた理由を。アシュリーをアリスに会わせてあげたかったのだろうが、それを言うのが恥ずかしかったのだろう。
「ええ、もちろんです」
「ふふ、ありがと。 それとさっきの決闘ずっと見てたけど酷い姿だったわね、本当に情け無いわ」
「返す言葉もありません」
「でも、それ以上に格好よかったわよ」
「……ありがとう、ございます」
アシュリーは片目を瞑って微笑みながらノアの唇に指を当てる。ノアは喉を鳴らしながら息を呑んでいる自分がいることに気づく。
「あーあ、私もこんなに姫を想ってくれる騎士様が欲しかったわ」
「ハン! 俺ももっと騎士をねぎらってくれるお姫様がよかったね!」
面食らったように固まるノアを置き去りして、アシュリーはまたホムラと口喧嘩を始めた。最終的にはホムラの顎にアシュリーが拳をぶち当て、気絶させたることで決着がつき、ノアはまたもや置いていかれている自分がいることに気づく。
「じゃあまた。 今度はもっとアリスのことを聞かせてちょうだいね」
そのたくましすぎるお姫様を前に、ノアは頭をカクカクと揺らして頷くしかなかった。
ーーーーーお腹をきゅるきゅると鳴らしながら少女は帰りを待っていた。
最近よくわからないが白髪の男の人がいろんなものをくれる。とっても美味しいものだったりとっても温かいものだったり、その種類は数えきれない。いつもは〝無〟だった頭の中に「今日は何をくれるのだろう」「早く帰ってこないかな」 こんな考えが走り出す。多少動けるようになったおかげで、暇に耐えかねて足がそわそわと動き出す。
「アリス、戻ったよ」
そんはことをしていると、その男の人が帰ってきた。自分はアリスという名らしく、彼は優しくそう呼んだ。自分もその度に無意識で頰を動かした。その日の彼はいつもより笑みの色が淡く、顔が腫れてその部分に布を貼り付けており、何だか痛そうだったのでその部分を撫でてあげた。
「ィーノォ?」
「はは、大丈夫だよ。 アリスとお揃いだ」
そう言って彼は笑った。自分の顔にも布が何重にも巻かれているため邪魔にも思っていたが、お揃いなら悪くないと思える。そして彼はまた美味しいものを持ってきてくれ、ひとくち口にすれば美味しさに負けて倒れこむように食べてしまう。すると彼は体を起こして口を拭いてくれる。お腹がいっぱいになれば、とろんと目が閉じていく。だから眠る前に決まって読んでもらう絵本を手にとって、お願いした。自分はこの絵本が自分は大好きで、頼めば何度だって彼は読んでくれたから何度も聞いた。
「〜〜毎日歩き続ける終わりのない旅の中で、妹は心が折れてしまいました。『兄さん、もう辛いよ。 私たち何のために生きてるの?』兄はそんな困った妹に『生きるためだよ』と答えのない答えで説得してまた歩き出しました。妹は理解できずにいたが、兄が居てくれたおかげで足を進めることができました」
この絵本は大好きだ。何回聞いても楽しくて仕方がない。妹の気持ちが何故だか共感でき、自分と重ねて聞けるからだ。何のために生きているのか、そんな疑問は少女にとって日頃からの疑問だったのだ。
「〜〜妹は兄のおかげで生きてこれました。 何かあれば兄が助けてくれる、妹はそんな兄が大好きでした。何のために生きているのか、それは兄と一緒にいるためではないかと思えてきました」
それも痛いほどよくわかる。今自分も全く同じだ。美味しいものをくれる。温かみをくれる。そんな彼と一緒に居るために今まで生きてきたと思えてきた。
だから少女は彼に指を指して声を漏らした。
「……にぃ」
「え?」
いきなり指をさされて驚いている様子の彼を、再度呼んだ。
「にぃ」
「いや、僕は兄さんじゃないよ? これは物語の登場人物が妹と兄だけだから…」
「にぃ! にぃっ!」
「わ、わかったわかった。にぃでいいから」
あまりに強く主張する自分に、困り果てたように彼は笑った。けれど物語の妹にとっての兄と、自分にとっての彼が何から何まで同じなのだから間違っているはずがないだろう。そして彼が兄だと認めてくれたことで満足して視線を絵本に戻した。そこでふと、気になることがあった。妹は兄と居るために生きている。では逆に兄は何のために生きているのだろう。兄は物語の最後に妹が死んだ後も生きていた。なら兄の生きる理由は何か。そんな素朴な疑問が思い浮かび、彼に聞いてみようと思った。兄である彼に答えを聞けばそれが答えだ。彼が生きている理由を聞けば、この物語の兄の生きる理由がわかるはず。それくらいの軽い考えだった。
「にい、 いーくぅゆぅ?」
「僕の生きる理由? 」
「ンァ!」
少女は頭をぶんぶんと振って答えを待つ。この妹は兄に答えを貰えなかったが、もしかしたら彼だったら答えをくれるかもしれない。そう思った。
「僕が生きる理由は……」
だが少女が思っていたよりも、その答えの重みは深かった。いつも浮かべていた彼の笑みに新たな色が加わった。ここから先の感情は今の少女にはわからない。こんな感情は絵本にも出てこない。
「……カナリアにもう一度会って、彼女に殺されるためだ」
やっぱり結果はこの物語の兄妹と同じでわからなかった。その答えはただただ重く、ただただ硬い。少女にはわかるはずもない答えであった。




