第72話 騎士の洗礼
上界南区・アルフヘイム。桜が舞うこの国に鴉と猫が月夜に紛れ込む。狙いは王族の秘宝だ。ティグリスから騎士の資格を買うために少し無茶をしてでも高価な物に手を伸ばした。ちまちまと安全で安い品を取り続けるより、難易度が高くても高価な物を一つ取るほうを選んだのだ。その方がリスクが少ないと考えられるうえに、何より早くこの停滞している泥沼状態から足を抜きたかった。
ノアは桜色の大樹の側に聳え立つ巨大な城を見上げる。上界の城に忍び込んだのは初めてではないが、前回は城の中というより城内の外れにある孤塔に侵入しただけにすぎない。今回は城の中心、護衛も更に厳しく、厳重になっているだろう。そのことを心配しているのか、テトは珍しく弱気な発言をする。
「……ほんとに行くの?」
「もちろん。 テトも無理してついてこなくてもいいんだよ? ここで待っててもいいし」
テトはノアの言葉に少し拗ねたように「行く」と答えて後に続く。だがやはり今のノアが城へ突入することが心配だった。何か胸騒ぎがしたのだ。
しかしその不安は杞憂だったか何事もなく城内に侵入できた。騎士の数や位置を眼で把握し、頭の中で最適な道を思い描く。どうしても通らなければならない場所に立っていた騎士には、気づかれて反応される前に容赦なく潰した。
「き、貴様は!ヤタガラ…カハッ」
「ダメだよ。口よりまず手を動かさないと」
ノアを発見した騎士の鳩尾に拳をめり込ませ、意識を奪い取る。倒れている騎士を見下ろすたびに自分の強さが実感できた。だが気を失う寸前に、その騎士の表情に絶望の色が見えなかったのが気にかかる。
(なんだ? 何かあるのか。 それとも、僕程度は問題じゃないってことか?)
城内はかなり広いとはいえ、ノアは迷うことなく苛立ちを振り払うように足を進める。すると今までの通路の何倍も広く、天井も高いドーム型の玉座の間の前に到着する。秘宝はこの先で、それを奪うにはここを通らなければならない。しかしこの扉の奥には数人の騎士が見張りをしているのが視える。隠れる所も無く、見つからずに通るのは不可能だ。
(いいさ、やってやろう)
ノアは正面から挑むことを選ぶ。騎士が何だ、負けるわけがない。
過剰な自信がノアの背中を押す。ノアは堂々と扉を開いてマスクの下で口角を上げた。
「八咫烏だ!全員、戦闘準備!」
ノアの姿を見ただけで騎士達は警戒する。違う区の者達でさえ、ノアは危険人物だということを認識している。それほどまでに、ここ最近のノアは暴れていたのだ。ノアは短剣を引き抜き、騎士達に襲いかかる。高速で壁を駆け巡りながら影から奇襲するように剣を突き出すも、騎士達もそう簡単にはやられなかった。
(こいつら、他の奴らとは動きが違う。 流石は王族を守る騎士なだけはあるってことか)
ノアの動きに騎士は追いつき、振り下ろした剣は防がれる。その間に他の騎士がノアの首を狙って剣を振る。ノアは心の中で舌打ちをしながらも、仕方なくしっかりと躱していく。殺されはしないが、こっちの攻撃も通らない。この感覚はニヴルヘイムで大鷲の騎士と戦った時に似ていた。
「こっちも一人じゃないんだ。 そんなに僕ばかり見てて大丈夫かな?」
天井に潜んでいたテトが上空から毒ナイフを撃ち落とす。大鷲の騎士との戦いも決定打になったのはテトの存在だ。テトの登場に流れを乱され、騎士達は後手に回り始める。
「……無駄な抵抗」
ジワジワとテトの毒が騎士達の体を蝕み、剣を落として倒れていく。ノア一人を倒しきれなかった騎士達は、テトの乱入に対しついてくることはできなかった。
「ありがとう、助かったよ。 思ったより長引きそうだった」
「無茶しちゃだめ」
「ごめんて」
一人で突っ走ったノアを急いで追いかけてきたテトは、もう何度目かわからないセリフを口にするが結局ノアに頭を撫でられ口を閉ざす。
そんな敵地で余裕を見せている二人に向けて、床に倒れていた騎士達が顔だけ持ち上げて笑った。
「ふん、馬鹿め。 貴様達は……もう逃げられない」
「その格好でよくそんなことが言えるね」
「貴様達が来ることも想定済みだ。最強の騎士、エデン様が……貴様等など…」
騎士は最後まで言う力も無かったようで途中で言葉を途切れさせた。ノアも無力な騎士の負け惜しみに聞く耳を持たず、奥へと進み始める。誰が来ようとも関係ない。潰せばいいだけなのだから。
「ここか」
ノアは玉座の間の奥の部屋で棚に隠された通路を見つけ、財宝が眠る倉庫に侵入した。そこは金銀財宝が眠っている。そう思っていたのだが、置いてあるのはカビ臭い壺や額縁ばかりで何ともパッとしないものだった。ノアは肩をすくめたが、宝が欲しいわけではない。価値があり、売れれば何でもいいので持ち運びがしやすい物だけを片っ端から掴んでいく。小さな化石の欠片や謎の鍵など、懐がパンパンになるほど詰め込んだ。
「お帰りの準備はもう出来たんか?」
ノアとテトは同時に振り返る。そこには煙をあげる筒を咥えた一人の男が立っていた。その男は狐だった。狐の亜人、それとはまるで違う。その男は狐なのだ。体全体を黄昏に染めあげる毛が生えており、するどい爪や牙も生えているのだ。腰に添えてある一本の刀、それを見るに恐らくは騎士だろう。だがその男は着物を羽織り、明らかに動きが制限されるであろう下駄を履いている。片腕を袖を通さずに腹に巻いている帯の中に入れて、まるで散歩をしているかのような気楽さを感じさせた。
ノア達が二足歩行の獣を前に唖然としていると、狐は白い煙をゆっくりと吐き出した。
「そんな化け物を見るような目で見んとってくれや。同じ獣族やんけ」
男は細い目を更に細めて笑い、カランカランと下駄の音を通路に響かせる。出口の前に移動し、仁王立ちしていることから、通す気はさらさらないことを理解する。
「準備終わったとこすまんけど、帰らせる訳にいかへんのや。 せやから……自分らにはここで死んでもらうわ」
奇妙な喋り方をする男はゆっくりと刀を引き抜き細かった目を見開いた。その瞬間、圧倒的な威圧感がノア達を襲う。この男が先程騎士達が言っていた最強の騎士だと理解させられるほどに濃いい殺気。このピリピリと皮膚を刺激する存在感、こんな男が後ろにいれば騎士達が最後まで笑っていられるのも納得できた。
「毒猫に、八咫烏やな。わいの名はエデン。アルフヘイムの騎士長や。しっかり覚えてあの世で広めてくれや」
エデンは姿を消すように翔び、あれだけカランカランとうるさかった下駄の音を鳴らさずノアの背後に移動した。
「ぅぁぁぁぁぁ!」
その男の太刀筋は恐ろしく速い。ノアはその刀の軌道が見えなかった。この眼でさえも。
気づけば腕が宙をくるくると回転しており、遅れて血が身体から吹き出す。飛ばされた腕が自分の物だと理解する頃には喉が傷みで叫んでいた。そして何より、傷の再生が始まらない。虚飾の力はまだ使っていない。それなのに再生能力が無くなっているのだ。
「な、なんで?!」
「どないしたん? 呪いが使えんで焦っとるんか?」
「ッ!」
図星をつかれ慌てふためくノアを、エデンは避けた口を歪めて笑う。
「かっかっか。そんなん無駄やで。 わいは『沈黙』 全ての力はわいの前では使われへん。それは異能も呪いも同じことや」
ノアはその言葉を聞いてハッとすると、眼の力を発動させようとした。しかし眼は燃えず透明なままで何も見ることは出来なかった。剣筋が見えなかったのも沈黙の力で封じられていたからだろう。いや、もし眼の力があったとしてもあの速度を見切れていたとは思えない。それほどまでにエデンの刀は速かった。
ノアは急激に焦り始める。今のノアは簡単に殺されてしまう。不死身でもなければ特別な眼があるわけでもない。
「………っくそ」
「ノア!」
ノアが膝まづくと、毛を逆立てたテトがエデンに飛びかかった。だが鎌は刀でいなされ、空振りに終わる。テトのしなやかな攻撃ですら、エデンは簡単に防ぎきる。
「自分も呪い持ちかいな」
テトが猛毒の霧を放出するも、エデンが刀で一振りするだけで何もなかったように消滅する。
「そんな怖い顔するなや。自分ら、相当悪さしとったんやろ? ならこうなるのも自業自得ってもんや」
エデンはテトの猛攻を耐えながらも、まだ余裕の表情だ。
テトは歯がゆさに焦り始める。ノアを守らなければ。その想いがテトの焦燥感を加速させていく。しかしテトの持っていた鎌さえ消滅し、無防備なテトをエデンの剣が容赦なく襲った。
「……ノア」
エデンの刀は一本の線となって腹を貫き、唖然とした表情でテトはぱたりと倒れる。ノアの名前を最後に呼んだがその後の言葉は声になっておらず、口をパクパクと動かすしかできていなかった。
「自分ら倒したらわいの財布もあったまるわ」
エデンはくつくつと笑いながら刀に付着した血を払う。
目の前の現実を疑う。自分は気づけば腕をもがれ、テトさえ相手にならず倒されてしまった。そして、最後にテトが口に出来なかった言葉。それは、「逃げて」だった。自分が死ぬかもしれないというのに、最後までノアのことを想って必死に口を動かしていた。
ノアは血を流しながらも必死に立ち上がる。この程度の傷は慣れたものだ。今までは眼に頼って剣を交えていた。だがそれが無くとも、常に鍛錬を欠かさなかった努力は身体に染み付いている。
「なんや自分、まだやる気か?」
「当たり前だ」
ノアは剣を握って走りながら、相手の動きを予測する。今までの戦いの経験から相手の攻撃パターンを予測し剣を振る。一撃一撃に集中して意識を尖らせれば、今の自分なら誰であろうとねじ伏せられる。
しかしその自信もすぐに砕かれる結果に終わる。ノアは攻撃することも防ぐこともできなかったのだ。
(なんだよこいつ、強すぎる)
必死に手足を動かして抵抗しても、剣は届かずエデンの刀が身体を削り取っていく。刀は柔らかな軌跡を描き、それでいて凄まじく鋭い。ノアの予測を遥かに上回る太刀筋は仮面ごと片目を潰した。
「だぁぁっ、が!」
「まぁそこそこ強いで、自分。 せやけどその程度で調子に乗りすぎや。 女の子連れて、こないなとこまで乗り込んで。 分をわきまえなあかんで」
床に寝そべっているノアを見下ろしエデンは刀を収める。ノアの負けは確定したのだ。
ノアは絶望する。自分より強い奴がまだまだいたことに。そしてこんなにも差があることに。
気づいてしまった。今まではユグドラが危険では無い仕事を選んでいただけに過ぎないことを。今回ノアは楽をしたくて、自分の実力を見誤って独断で城に忍び込んだ。だが所詮はいきがっているガキに過ぎなかったのだ。テトまで巻き込んで、こんな結果になって終わってしまった。過度な自信が身を滅ぼしたこだ。
どこにいっても、心が、感情が、自分の道を塞いでいく。
「なんで、なんでなんでなんでなんでなんで!なんで勝てない!……こんなに頑張ってるのに。誰にも負けたくないのに。……また負ける、嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!いつもいつも……僕ばっかり」
ノアは悔しさのあまり、心の声を漏らしながらもがく。頭を何度も床に打ち付けて血を散らし、歯からもくいしばりすぎて血が滲んでいる。
「あ〜自分、諦めや。もう辛いやろ。今楽にしたるからもう寝とき」
その言葉はノアには届いていないのか、未だに呻き声を上げて爪で神経ごと削るように頭を掻く。
無力を嫌い、弱さに嘆き、ひたすら床に頭をぶつけ続けた。ペストマスクの隙間からぼとぼとと血が吹き出し、仮面が血の涙を流しているように見えた。そんな泣きじゃくる子どもを、エデンは同情するように見下し、剣は振るわれた。
天井に向けて大量の血飛沫が舞い、世界は赤く彩られた。




