第71話 夜の王
太陽の光が世界から溶かされ、月の光が流し込まれる。背筋を撫でる風が嫌に冷たく感じ、屋敷の廊下には硬い金属の足音が響いていた。男は銀の兜を被っているため、視界が広いとはとても言えないが何一つ見逃すつもりはない。男は騎士であり、この屋敷を守る務めがあった。剣には誇りが乗せられており、いつでも抜く準備は出来ていると言わんばかりに柄を握っている。と、言えば聞こえは良い。しかし男は、本当は恐れているだけだった。死神達の娯楽に巻き込まれる日がいつか来る。今日来なければ明日、明日こなければ明後日と、いつかはあの者達はやってくる。今か今かとその日が来ることを恐れ肝を冷やしている。剣を常に握っているのも、その恐怖から自分を誤魔化しているだけだった。
そして運悪く、ついにその時はやってきた。
思わず騎士の男は足を止めた。振り向かずともそれが居るのはわかった。がらんとした廊下の中、足音は無く未だに隙間風の音だけが耳に入ってくる。それなのに覇気だけはどこまでもその者の存在を主張していた。男は緊張感から汗を滲ませ、覚悟を決めて振り向いた。
「……あ」
振り向いた途端、男の視界に黒鳥のマスクを被り悠々と歩く侵入者の姿が映り込む。その手に握られている雇い主の財宝が、既に賊の仕事が終わったこと主張していた。騎士の男は剣を咄嗟に引き抜こうとしたが、力は入らずひきつった声を喉から漏らすだけだった。賊である男の眼、マスクの下からでも伝わってくる心臓を貫くような眼光に当てられ、騎士の男は萎縮する。
「で、出た。……お前が……八咫烏」
漆黒のマスクを被るその男はここ数ヶ月で急激に名を広げていた。決まって夜に現れ、思うがままに宝を持ち去り消えていく。騎士を煽るように立ち回り、その華麗な怪盗の姿に手も足も出ない。その男は夜の王と呼ばれるようになり、この男が姿を現すこと、それは騎士達の使命が失敗に終わることを意味するのだ。だから男は恐れていた。だが、それでも男は誇りを思い出したように口を開ける。騎士が賊を素通りさせるわけにはいかない。男は勇気を出して声を上げた。
「賊を発見したぞ! 絶対に逃すなぁぁ!」
(そ、そうだ!俺だってやってやるんだ!戦ってみせる!)
銀の兜を深く被り、闘志を奮い立たせて剣を抜いた。この賊の前だと呼吸することすら難しいけれど、誇りまでは捨てたくはない。そう言い聞かせた騎士は剣を構える。
だが、いつまで経っても仲間が来なかった。十名以上の騎士達がこの屋敷には居るはずで、さっきの叫び声を聞いても来ない筈がない。
「……まさか」
この賊は堂々と隠れもせずに歩いてきた。つまり、そういうことだ。
残った騎士が自分一人だという事実が男の膝を震わせた。この賊はこんなにも好き勝手に夜を歩き、どんな気分なのだろうか。マスクの下でどんな笑みを浮かべているのだろうか。騎士の男は悔しさで唇を噛み微かな抵抗を見せるように賊を睨んだ。しかし、騎士は自分の考えが間違いだったことを理解させられる。
夜鴉は笑ってなどいなかった。
「逃すな? 笑えない冗談だ。 誰が逃げるものか。 君らが僕の道を開けるんだ」
マスクの下で獰猛な光を放つ眼で、騎士の男は睨み返される。その眼からは確かな怒りを感じる。逃がさないという言葉を馬鹿にされたと受け取った黒鳥は、威嚇するように黒い翼を広げる。
そのおぞましい威圧に耐えきれず、騎士の身体は意思とは関係なく動かされ道を譲った。
ーーーーーー
「ノア、遅い」
屋敷の外で待っていたテトは門から出てきたノアに抱きつく。離れていた時間は数分程度なはずなのだが、テトからすればその時間すら長く感じてノアの温もりを堪能するように猫の尾を揺らした。
ノアが騎士をおびき寄せて、その隙にテトが本当のお宝を取りに行く作戦だった。ノアが狙った物はついでだ。自分の存在を戒めるために奪った品だ。ハンターを辞めて数ヶ月が経過し、ノアはその分怪盗としての活動に専念していた。
「……ノア少し、背伸びた」
「そうかな? うーん、あんまり変わらないけど」
成長していることは自分では分からなかったりするものだが、言われてみるとテトとの目線の高さが少し開いてきたことに気づいた。前はテトと身長はほとんど変わらなかったが、今は若干ノアが高くなっている。そのためテトがノアを見つめる時、自然に見上げる形になっていた。気づけばテトは上目遣いで、何処と無くノアを責めるような視線を送っていた。
「……また無茶した」
「無茶じゃあないさ。あの程度の騎士達が僕に傷一つつけられるとは思えないし、舐められるわけにもいかないしね」
ノアは口角を上げて顔に影を作る。もともと入り口付近に騎士達を誘い出すだけで良かった。だがノアはあえて自分から姿を現してわざわざ正面から剣を抜いた。テトはそのやり方に不満を持ち、むっと頰を膨らませる。
ノアは咎められたことを誤魔化すようにテトの頭を撫で、テトは機嫌は良くしたように目をつぶり、幸せそうに体をノアに委ねた。しかしすぐに流されていることに気づいたようで、テトはハッとした後また頰を膨らませた。
タルタロスに戻ると数人の子供達がノア達を出迎えた。タルタロスは現在、三十人ほどの組織となっている。子供ばかりで力にはならないとはいえ成長しているのは確かだ。
「おい、後輩一号!さっさと晩飯を作れ!皆んな腹ペコだぞ」
「そうですよ。皆んな後輩の料理を楽しみにしてるんですから、急ぎなさい」
薄い胸を張って踏ん反り返っている二人の妖精族、アウルムとアルティナがノアに働かせようと近づいてきた。新入りでは無くなったからか、呼び名が後輩へと変わっていたがそれはランクアップなのかどうかは分からない。ノアの作る料理は評判が良く、子供達が期待するように見てきた。しかし今、ノアは料理を作るような気分では無かった。ノアは深いため息を吐いて今日の仕事で得た金を子供達に撒いた。子供達は嬉しそうに金を拾い上げて好きな物を買いに走り出したが、アウルム達は何ともいえない表情でノアを見ていた。
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「……もっと、もっと!」
より速く、より鋭さを求めてノアは短剣を振るう。ギルドで暴れた日以来、ノアはギルドに行っていない。恐らく行ったところでハンターの資格は剥奪されているだろう。ルドルフ達にも随分と迷惑をかけた自覚はあるが、あの時冷静ではなかったノアはそんなことを考える余裕すらなかったのだ。
今ノアは停滞している。目の前が暗闇で包まれて道が見えない。遺跡の場所だって一つしか知らないうえに、既に聖杯は取られて無くなっている。遺跡の場所だけでも調べておけば良かった、そんなことを今更考えても後の祭りだ。
「クソッ」
ノアは苛立ちを抑えきれないように剣を振っているとキュプラーが一人の男を連れてきた。
「おーい、ノア。お前に客だ」
客と言うのはサウスと名乗る男だった。ノアは何処かで聞いたことがある名前に頭を悩ませていると、若干キレ気味で自己紹介をされた。その男は前に一度会ったことがあり、ティグリスの部下の中でそれなりに上の地位にいる人物らしい。あまり記憶にないが、ティグリスに連れ去られた時に会っていたのだろう。どうやらティグリスから用件があるらしくノアを呼びに来たらしい。ノアは鍛錬の邪魔をされたことで少し機嫌を悪くしたが、ティグリスが無駄なことで呼び出すはずもないと考えて剣を収めた。
下界西区のアヴァロンにある地下へ続く階段。そこを下ると古くさい景色は一変し、金色の世界へとなっていく。豪華な飾り付けや黄金の壁、ティグリスの趣向がもろに反映された世界だ。
「それで、用件って?」
「まぁ落ち着けや。 っていうより、少し殺気を抑えてくれねぇか? 俺様の部下にはお前の威圧はちとばかし厳しいものがある」
金の獅子が装飾されている大きな玉座に座っている白虎のティグリスは、ノアを宥めるように肩を竦める。その背後に並んでいた部下達は確かに息苦しそうに立ち並び、顔に緊張を貼り付けている。ノアは無意識に苛立ちを周りにばら撒いていたことに気がつくと、反省したように気を収めて用意された椅子に座った。感情で動くことが愚かであることは理解しているつもりだったが、ノアは行き止まり状態な今の現状に、どうしても嫌気をさしていた。
「おい毒猫、こいつ大丈夫か?」
ティグリスはノアの隣に立っているテトに、現状の様子を問う。
「……ノアはかっこいいよ?」
だが返ってきた答えはポンコツで、ふざけている様子は無く、首を傾げて本気で答えているテトに、ティグリスは深いため息を吐く。
「だぁ〜、めんどくせぇ。まぁいい、話を進めるぞ。 お前の可能性を広げる道を手に入れてやった」
嫌そうな顔をして頭を掻き、ティグリスは机の上に一枚の紙を広げ、ノアはそれを見て目を見開いた。
「これは……」
「そう、王族騎士の資格だ」
王族の騎士になるための資格。それさえあれば王に仕えることができるほど貴重なものだった。ティグリスがどうやってそれを手に入れたか知らないが、ノアにとっては喉から手が出るほど欲しいものだった。なぜなら遺跡に行けるのはハンターだけではない。それは騎士も例外ではないのだ。遺跡の前にある門の護衛や、国に危険が及ぶ可能性のある機械生物の殲滅を行う任務もある。それに乗じればノアでも遺跡の場所を知り、入ることができる。
「お前のとこの毒猫が何度か頼みに来てたからな。 特別にやってもいい」
ノアは二人の有能さに驚きながら紙に手を伸ばす。しかしティグリスに先に紙を取り上げられ、ノアは眉を潜める。
するとティグリスはニッと牙を見せて清々しく笑った。
「70000ジェムだ」
高すぎる金額にノアは思い切り顔を歪ませる。勿論そんな金は持っている筈もない。今日の仕事で奪った財宝を売ったとしても2000ジェム程度だろう。全てを金で解決させるのは、ティグリスの良いところでもあり悪いところである。
「まぁ、お前ならすぐ稼げるだろう。期待して待ってるからな」
ティグリスは鼻歌を歌いながら足を組む。確かに王族騎士の資格はそのくらいの価値がある代物である。やっと見つけた可能性を、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「お前の首にかかってる懸賞金で買うならお釣りが出るぞ? 八咫烏」
「馬鹿言わないでくれよ」
ティグリスの冗談めかした言葉を流すと、居ても立っても居られない様子で、ノアは黒鳥のマスクを被り夜の王へと化ける。今のノアの懸賞金は過去の金額の倍以上、80000ジェムにもなっている。今や八咫烏は国の騎士達の標的であり、国を脅かす大犯罪者となっていた。




