第70話 優しさである強さ
「……間に合ってよかった」
テトは大切な物を受けとめるようにノアを胸に抱く。帰り道で待っていたテトはノアの殺気にいち早く反応した。それはテトがノアの感情に敏感だったこともあるが、それほどノアの怒りが深く濃く広がっていたということだ。
「なぁオイ!お前、誰だ。 そいつの仲間か? 悪いけどそいつをここに置いていっちゃくれねぇか」
テトの登場に困惑し、皆足を止めている。あのノアの怒りをこうも簡単に収めることに驚き、それほどの力を持っていることに警戒していた。その中でもジークは変わらず余裕な態度を崩さない。
「わたしは……。 パートナー」
ぎゅっとノアを抱きついて唇を綻ばせていたテトは、初めてノアから視線を外した。その表情の変化に、その一言に込められた重みを感じたジークは、今初めてずっと浮かべていた笑みを消した。
テトがさっきまで浮かべていた笑みは熱を失い、周りを見渡す表情は言い表わすことができないほど鋭かった。ジークは、その後もテト達の姿が見えなくなるまで動こうとはしなかった。
「っ、いいんですか?行かせて!」
「ばぁか、ありゃ無理だ。あの目を見たか?死んでも渡さねぇって面だ」
ここであの少女と殺し合って勝ち負けより、ノアの時の数倍もの被害が及ぶことを避けたかった。ジークは乾いた笑みを喉から漏らすと、ようやく力を抜けたように肩をすくめる。
ノアはギルドマスターにたてつくだけじゃなく、力を振るうほどの不届き者ではあった。だがジークは大層気に入っていた。最後まで何に対してあんなに怒りを覚えたのかはわからないが、あそこまでイカレているほうが丁度いいと感じていた。
存外に楽しかった時間に満足したジークだったが、同時にギルド内に残っている机の下で震える残骸者達にため息をついたのだった。
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「その未来に行き着く可能性は高くなかったんだけどね。想定していたより呪いは深刻ってことか」
ユグドラは悩ましい問題を重く受け止めて呟いた。テトはノアを抱えてタルタロスに戻りボスであるユグドラの元へ来ていた。今もノアは腕の中で眠ってはいるものの、一対一で話すのは初めてだった。
「……ノアは、大丈夫?」
心配するテトにユグドラは安心するように言うが、今はまだと最後に付け加える。
「キミには話しておこうか。いや、キミだからこそ話しておかなければならない。ノアくんの呪いはおそらく『虚飾の力』。心に仮面を植え付け、飾り物の人格すら創り出せる。しかし、それだけならよかったんだけどね。ノアくんはもう一つ、呪いを体に宿している。それは虚飾との相性が恐ろしく悪い」
ノアの虚飾の力は空間を操る他にも感情を操作することが出来る。カナリアが死んだあの日、ノアは無意識で自分を殺して新たな人格を創り出した。それは弱さを無くす為でもあり、カナリアを失ったことで壊れそうな自我を抑制するためでもあった。だが今回問題として現れたのが、もう一つの力との組み合わせだ。不死身、永久に消えない力、それは感情も例外ではなかった。人は怒りを感じてもいずれは消化され、消えていくものだ。だがノアは心に仮面を被せ蓋がされていることにより、その中で怒りや憎しみは消えるどころか募るばかりだった。カナリアへの想い、罪悪感は日に日に増していき目を馬鹿にされることをカナリアへの侮辱と受け取りノアは異常なほど激怒した。溜め込むものはいつかは爆発するもの。しかも今日はその鱗片にすぎないものだ。
「そして、テトくん。その呪いはキミも無関係じゃない。虚飾の呪いはノアくん個人だけに留まらない。彼自身、気づいてないがノアくんの言葉は言霊となり、キミの心の中に侵食するものだ。だからキミがノアくんに抱く感情だって偽りのもの、創られたものだ」
ノアの言葉は甘い猛毒となってテトの心を溶かした。その感覚には覚えがあった。それはもはや洗脳の類だ。ノアの言葉に抗えず安らぎや都合のいい感情を与えられる。
「……違う」
「気づいてない。いや、気づけないだけだ。ノアくんの呪いは偽物を本物にする力だ。だから……「違う。……これは本物」」
テトはユグドラの言葉を遮り力強く否定する。しかし、有無を言わさない様子とは裏腹に、その顔つきは優しい笑みを浮かべていた。テトはその力に気づいていた。違和感を覚えないだけでその力に気づくことは出来ていた。だからこそ、テトは自分の中の感情に悩んでいたのだ。そしてその答えはとうに出した。
「ノアから貰った言葉は本物。これだけは揺るがない」
無意識のうちに心を他人に触れられて支配される。それはあまりにも残酷でぞっとすることだ。だがノアに触れてもらえるなら構わない。むしろいつでも触れてもらいたい。この感情は偽りではない。そしてノアに対して触れた感触も、感じた想いも全てがテトが貰った本物だ。これは絶対であり絶対だ。
「いいのかい?」
「ノアの色に染められる、そんなの考えただけでも幸せ」
本当に嬉しそうに、テトはにへらと笑って腕の中で眠るノアの顔を見つめた。
ユグドラはそのある意味手遅れな状態のテトに苦笑しながらも、どこか安心するように笑っていた。
「ノアはわたしが支える」
「やれやれ、キミも本当に強くなったね」
ーーー意識が少しづつ戻ってくるのを感じる。これから最悪の現実を確かめなければならないと考えると頭が痛くなる。けれど、頭の下にある柔らかな感触と顔を包む何かがノアの心を優しく撫でた。
「……ノア、起きた?」
目をゆっくりと開けると息が届く距離にテトの顔があった。ノアが驚いて目をパチパチとさせると、テトは少し距離を離して照れるように笑う。どうやら頭の下にあった柔らかな感触はテトの太ももだったようで、ノアが起きるまでずっと膝枕をしてテトは頭を撫でていたのだ。風で揺れる木の葉の下でテトは気持ち良さそうに目を細めお決まりの言葉を発する。
「ノア、おはよ」
まるで何も無かったようにテトはいつも通りだ。嬉しそうにノアの名前を呼び、短い言葉に親しみを込めておはようと言う。
「テト………ごめん」
「平気」
テトの顔を見て、あれは夢ではなかったと再確認する。
ああ、やってしまった。
現実を見てノアは自分に失望する。自分の馬鹿さ加減には声にもならない。あれだけ苦労して積み上げてきた積み木をいとも簡単に崩してしまった。一つ一つに苦労を滲ませた積み木なはずなのに、指で押しただけでもあっけなく壊れた。あれだけ耐えてきたのに。あれだけ望んでいたのに。あそこまで行けたのに。全てが台無しだ。だがカナリアから受け取った大切な物まで馬鹿にされ、なおかつそれを笑って、そのままあの憎き龍の下で生きていくなんてことはできなかった。
もっと上手く立ち回れたか、そんなことを考えても仕方がない。だが今のノアの心には未だに怒りの炎が燃えていた。もう舐められないように、もう馬鹿にされないように。気にくわないものは壊せ、苛つくものは潰せ。
握りつぶしたくなる認めたくない現状にノアの心は荒れていた。
顔の上に腕を置き後悔していたノアを見て、テトは優しく声をかける。
「ノアは平気?」
「……ああ」
「じゃあ、おはようは?」
あんな姿を見せても軽蔑するどころか、いつも通りに接してくれるテトに苦笑してしまう。おはようと言っても返してくれなかった時の寂しさは自分も昔味わったことがあり、そのことにも苦笑してしまう。
「ああ、おはよう」
「ん」
テトは微笑んで頷き、もうしばらくの間この時間を楽しんだ。ノアが眠る時間は普段無いため今は貴重なのだ。あまりない機会を楽しむようにテトはノアの髪をいじったり、ほっぺをつついたりとやりたい放題だったが、負い目のあるノアはそれにされるがままだった。
「また頑張ろ?」
失敗したなら頑張って取り返せばいい。それを手伝うために側にいる。その優しく、暖かい目に見つめられてノアは頷くしかなかった。




