第63話 この感情には名前がない
黒い煙を吐き出す煙突の下でテトは考える。
この感情、この想いがなんなのか。助けて貰った時にずっと側に居てと言ったのは自分なのに、自ら逃げ出すように離れてしまった。そして離れてしまったことを後悔するほど今は心細くなり、またノアの顔が見たくなる。テトは膝を抱いてノアが居るであろう方角を見つめる。何処からともなく笑い声が聞こえてきた。小さな子供達が遊んでいる光景、男の子と女の子が手を繋いで走り回っているのをテトは屋根の上からぼんやりと眺め、自分の手に視線を移すとため息をつく。
(……前は自分から手を繋ぎにいけたのに)
最近テトの頭の中はノアのことでいっぱいだった。ノアが居る時はノアを見て、ノアが居ない時はノアを想って待っていた。この3日間は特にそうだ。心の痛みに襲われるとしても考えてしまう。現に今だって子供達を見たはずなのに思い浮かんだのはノアのことだった。
もうわかってる。これがなんなのか。でもそんなのあんまりだ。神様がいるとしたら残酷すぎるのではないか。
「ノアの未来で隣に居るのはきっとわたしじゃない……」
テトはきゅっと口を引き締めながら呟く。本当は最初から、きっとあの瓦礫の山で声をかけられた時からノアのことを想っていた。でもノアの目的は大事な人との再会だ。なんとなくその人は女の人なんだろうとは予想していた。だから自分を騙して気づかないフリをしてきた。しかし、それでも自分の心を騙せるほど鈍感ではいられなかった。
(聞かなきゃ良かったかな)
三日前、ノアの昔のことを聞いた。その時に大事な人、カナリアという少女のことも聞いた。昔に助けられたことや色んなことを教えてくれたなど、その時のことを語るノアの表情を見て泣きそうになったのを覚えている。
その大事な人が、もっと別の何かであってほしいと期待してテトは聞いてしまったのだ。だが案の定、大事な人とはテトが予想していたそれだった。きっと願いが叶えばノアはその人と肩を並べるだろう。それは悲しくもあるが、ノアの願いが叶うことを想っているのも本心である。ノアが幸せならそうなるべきだとも思っている。
テトには今更ノアに、◯◯なんて言えなかった。
そのまま日差しがだんだんと色づいて夕暮れとなる頃、テトは見えない涙を拭ってタルタロスへ戻る。会いたいと会いたくないが心の中で交差して、結局はテトの歩く速度は変わらなかった。
いつも通り、それを肝に命じてまた側に居よう。心に仮面を被せばいいじゃないか。今側に居れるだけでいい。それ以上は望まない。
テトは胸に手を当てて心の中で念じるように呟くと、キョロキョロとノアの姿を探した。
(まずは、謝らなきゃ)
テトは扉を開けて中を見渡す。この時間になってもまだ帰ってないはずはないと思ったがここには居ないようだ。そこで重症だったノアに何かあったのでは、という考えが浮かんで慌てて飛び出ようとする。しかし扉を開けて出ようとした時、机の上に置いてあったものに目がいった。それは前にテトが着ていたローブと同じもので、テトの耳も入る猫耳フードが付いているものだ。ノアがあの後一人で買いに行ってくれたのだろう。テトは手を震わせながらもそれを掴む。するともう一つ何かが挟まっていた。赤いふわふわとしたマフラー、そしてその上に「体を暖かくして早く風邪を治してね」という文字が書かれた紙が置かれていた。それを見たテトは瞳を揺らしてベッドに腰掛けた。
「うぅ〜」
テトは一人、暖かい部屋の中でマフラーを抱きしめて呻き声をあげる。
微かな匂いを辿って足を早める。異常なほどノアに会いたかった。もう何日も会ってないような気分だ。だがノアの居る場所に辿り着くとテトは慌ててノアを止めた。
「何してるの、まだ怪我が」
ノアは包帯だらけの体で剣を振っていたのだ。少し汗を浮かばせているのを見るに無理をしているようで傷が治っていないことがわかる。
「ごめん、なんか落ち着かなくて」
ノアは見つかったことに対してバツが悪そうに答えた。自分でも体に良くないことはわかっているようだ。
テトはノアの願いの強さを改めて感じてしまう。だがそれと同時に真っ直ぐで一生懸命な姿に見惚れる自分もいた。
「あ、マフラーも使ってくれたんだ。 赤でよかったかな?」
ノアはテトがマフラーを着けているのを見てにこりと笑う。だが固まったまま何も言わず、わなわなと震えているテトを見て眉を下げた。
「ごめん、あの時ちゃんと助けてあげられなくて。あんなに辛い目にあわせたんだから嫌われても仕方ないと思ってる」
そしてノアは頭を下げた。ノアはテトを怒らせたと思っていた。テトは驚き、目を見開いたがノアがそう思うのも当たり前だ。テトはここ数日目線を合わせるのを避け、元々口数が少ないうえに極端に会話を減らしていたのだから。だがそれは勘違いで、誤解して欲しくないテトは思わず叫んだ。用意した心の仮面などノアを前にすると一瞬で消え去ってしまった。
「違う!………ノアは、助けてくれた。これは……違う」
テトが怒っていないと必死に伝えるとノアは安心したように笑った。
しかしその声が、その笑顔が、ノアの行動一つ一つがテトの心を揺さる。様々な言い表せない想いが溢れ、ノアに飛びつく。
いきなり抱きつかれるとは思ってもいなかったノアは勢いに負けて尻もちをついた。
「わっ! テ、テト?」
「嫌いなんかじゃない!嫌ってなんかない!」
「そう?ならよかったけど」
いきなりのことで驚いているノアを強く抱きしめる。ノアが傷の痛みで悶えている見てもなお、テトは更に強く抱きしめた。これだけ人の心を痛ませたんだから、このくらいはいいだろうと心の中で言い訳をする。
(やっぱり安心する)
テトは自分の中にある想いと向き合って体を起こす。
「……嫌いじゃないから」
「あ、ああ」
テトは再度自分の意思を伝える。切なくもなるし苦しくもなる。ニーナの言っていた通りだ。でも、これは恋なんかじゃない。
傷だらけでも全力で前へ進むノアをいつも見てきた。今もこうして剣を振っていたくらいだ。そういうところがどうしようもなく◯◯だ。
だからそんなノアに自分もついていきたい。最後まで側にいて、最後になっても側にいる。そうできるように自分も頑張りたい。
「……ごめん、なさい。側に居られなくなるのが不安になって、側に居ていいのか怖くなって」
涙を堪えながら懸命に声を張る。するとそっとノアが頭に手を置いてくれた。何に悩んでいるかは分からないが何かに悩んでいるということは察して優しく頭を撫でてくれた。
「そんなこと?僕は側に居てくれたら嬉しいし、側に居るかどうかもテトの好きなようにすればいいよ」
ノアも昔同じような問題にぶつかったことがあるな、と苦笑する。
「ほんと? 」
「もちろん。僕らはパートナーだろ?」
ノアにとってはテトの抱えた問題は小さすぎて肩をすくめるほどだった。でもテトにとっては、とてもとても大切な事でその言葉を聞きたいがために何日間も悩んだのだ。
「……うん、パートナー」
テトはその言葉をしっかりと噛み砕く。ノアの言葉に深い意味など無い。それでも噛み締め、舌で転がして飲み込んだ。別に意地を張っていたわけではない。今からも、これからもノアに対して意地を張ることも嘘をつくこともきっとしない。
でもこれは恋じゃない。そんな感情なんかでは断じて違う。
ノアには沢山の物を貰った。ニーナやタルタロスのメンバーとは一人でも話せるようになった。それでもノアが居ない時は無意識に体が拒否してしまうこともある。それでも段々と馴染むことができている。それもノアから貰った物の一つだ。それから宝物も出来た。このローブやマフラーだってもうお宝の一つ。それに思い出や目をつぶった時に思い浮かぶ感情だって大切な宝物だ。
いつも帰りを待っているのは寂しいけど、あの時間も嫌いじゃない。
こっちには目もくれずひたすら剣を振るノアを見ているのも嫌いじゃない。
料理を作ってくれるノアも、料理を食べて美味しいと言ってくれるノアも嫌いじゃない。
わたしはノアが◯◯だ。昨日よりノアが◯◯だ。そして今日より明日のノアをもっと◯◯になっている。
でもこれはただの◯◯ではない。
きっと未来は残酷だ。それでも諦めてなるものか。
これは恋じゃない。そんな簡単な言葉で表されてなるものか。
ーーだから、この感情にはまだ名前をつけない。
「ノア、今日はもう休もう?傷が治るまではだめ」
自然と声が躍り出す。尻尾を揺らす少女の影に、もう迷いは無くなっていた。
そこに居る理由なんて要らないのだから。




