第62話 その病の名は
「もう大丈夫?」
「普通に歩けるし特に不便はないかな。強いて言うなら腕が無いから歩きにくい気がするくらい」
中央街に二人は約束通りテトと服を買いに来た。まだ完全に治っておらず左右のバランスが違うからか歩くたびに片方だけふわふわする。テトは、ノアが杖をついてでも歩く様子をあわあわとしながら見ていたが、何もしない時間を嫌うノアにとっては何かをしたかったため服を買う約束は丁度よかった。
だが二人はその会話を最後に会話らしい会話をすることはなかった。テトはずっと下を向きながら、一心不乱に煉瓦で出来た地面を見つめて歩いていた。ノアが話しかけてもテトの返事は歯切れが悪く、顔を上げることすらしなかった。
ノアにはその原因に思い当たる節があり、どうするべきか悩んでいた。
(やっぱり怒ってるよな?僕がちゃんとテトにタルタロスに戻るべきだって言わなかったからあいつに攫われたんだし)
そう。ノアはあの一件から少し様子がおかしくなったテトを見て、自分に怒っていると思い込んでいた。
テトは鎖で繋がれ、顔や体の所々に殴り跡があった。相当つらい目に遭ったのだろう。もしかしたらトラウマで他人に対して恐怖を抱いてしまっている可能性もある。
「テト、あのさ」
ノアはテトを救うと言ったのだ。それを破ってしまったことに対しては言い訳できないだろう。だからちゃんと謝ろうとノアは口を開く。だが、テトの反応はノアの予想から外れていた。
「ひゃっ!……な、なに?」
テトは肩を跳ねさせて尻尾を逆立たせた。やっと顔を上げてはくれたが、目はこれでもかというほど開かれ、何か信じられないものを見たような表情をしていた。
「ええと、その」
そしてあまりにも驚いてるテトを見たノアは同様に驚いてしまい言葉を失った。テトはノアから視線を外して落ち着かなさげに動かしている。
「あれ?テト、顔が真っ赤だけど」
「えっ!……そ、そんなこと、ない」
それは顔が赤くなっていることへの否定なのか、それとも風邪をひいていることへなのかはわからない。だがもし風邪だったなら、最近テトの様子がおかしかったのも納得できる。ノアは熱を計ろうとテトのおでこへ手を当てようとした。
「やっぱり服着ないで寝てたから……」
「ひぁ!……やぁ」
だがその手は躱され空を切る。テトは後ろに飛んで毛を逆立てていた。ノアに対する完全なる拒否。テトにそんな反応をされたのは久しぶりで、流石に傷ついてしまう。
「あっ、ちが……」
テトはまさに、やってしまったという表情で固まった。そしてこの空気に耐えられなくなったのか屋根の上に跳躍して何処かへ走り去ってしまった。
(ここまで嫌われちゃったか。 謝っても許してもらえそうにないなぁ)
ノアは飛び去るテトの後ろ姿を眺めながら頭を抱えた。
ーーー三日前
テトが呼吸を荒げ、苦しそうに座っているのを見たニーナは心配して声をかけた。テトもどうするべきか本当にわからず、途方に暮れていたため勇気を出して相談した。
「ぷっ、あはははははは」
「???」
だが真剣に相談したにもかかわらずニーナに涙が出るほど笑われて戸惑いを隠せなかった。
ニーナも最初は本当に心配してたのだがテトの話を聞いているうちに頰が緩んでいき、最終的にはテトが可愛すぎて抱きついていた。
「確かにね、それは病だよ」
「……やっぱり?」
「でも死なないから大丈夫だよ」
ニーナは芝居がかった頷き方をしながら、ニーナの症状を病だと判断する。テトはうっすらと気づいてたと言わんばかりにその言葉を受け入れた。しかし直ぐに死なないと言われてまたも困惑させられる。
そんなはずない。心臓はとても痛いし顔は熱を帯びてくらくらしてしまいう。食欲だって無くなった。そんな負の考えをニーナはバッサリと一つの答えで切り裂いた。
「多分ねー、それは恋だよ」
「……恋?」
テトはその言葉の意味がわからず首を傾げる。
「今は心臓ばくばくしないんでしょ?」
「うん」
「それ、ノアと居る時が一番痛くなるでしょ」
「なんで?」
「ふふ、だって恋だもん」
なんでわかるのか、そんな簡単な問題がわからないテトを見る。ニーナは恋に悩むテトの頭を撫でながら少し前を思い出した。自分もキュプラーを見てそんなことに悩んだことがあった。ニーナは昔の体験談を話し、テトはあまりにもそれが今の自分に酷似していることにテトは驚く。
ニーナは指を一本立てるとテトに忠告するように呟いた。
「でもね、恋の大変なところは気づくことじゃないの。最も辛く一番大変なのは気づかせることよ」
「……がう」
「え?」
「違う!」
「え、テトちゃん!?」
テトは思わず走り出してしまった。
これは恋じゃない。絶対にそんなものじゃない。違う、違う。そうしてテトは目を背けて逃げ出した。
そして今日、約束通りノアは服を一緒に買いに行た時に事件は起きた。
ずっと楽しみにしていたはずなのにテトはニーナの話を聞いた時から意識してしまい、ずっとノアの顔を見れなくなっていた。話かけられるだけで心臓は飛び跳ね、顔は発火したかのごとく熱くなる。目は自然と下を向いてしまい、服の裾をぎゅっと握りしめてカチカチに固まっていた。ノアも様子がおかしいことに気がついているだろうとは思っていたがどうすることもできないのだ。
「テト、あのさ」
テトは名前を呼ばれるとは思ってもおらず、自分でも驚くほど声を出してしまった。ノアに名前を呼ばれるのは凄く嬉しいはずなのに、今は痛くて痛くてたまらなかった。
ノアは自分に安心をくれた。でもいつからか、安心より不安が勝るようになった。また怪我でもしてるんじゃないか、また何かに巻き込まれているんじゃないか。そう思うと辛くて仕方なかった。けれど側に居てくれるとやっぱり安心して幸せな気分になる。もうテトはそんな自分がわからない。様々な未知の感情が溢れ、めまぐるしい変化をしていく自分をどうしたらいいかわからない。
「ええと、その」
そんなテトの様子を困ったように笑うノアを見てテトもどうすべきか迷いに迷う。そんな表情をさせたいわけではない。でも何故だか喋ることが出来なくなったのだ。そしてテトの好きな優しさを含んだ透明な瞳で見つめられたのに、じわじわと汗をかいているのがわかる。
「ん?テト、顔が真っ赤だけど」
そう指摘された時はドキッとして硬直してしまい呼吸困難を起こしそうなほど息が苦しくなった。断じて違う、そう心の中で何度否定しようとも体は正直でいちいちノアの言動に反応してしまう。しかしそれだけなら我慢できたものの、なんとノアの手が伸びてきて、自分のおでこに一瞬触れたのだ。
限界だった。体に電流が流されたような衝撃に襲われて飛び退いてしまった。つい変な声を出してしまい、肩で息をしながら不審に思われないように努力しようとする。しかしもう手遅れで、自分を心配した手を宙に彷徨わせて、悲しそうに笑うノアを見ると居ても立っても居られなくなった。
違う、きっと何かの毒が溢れたんだ。違う、ニーナの言うことはデタラメだ。そんな訳の分からない言い訳を心に言い聞かせ、また一つ屋根を超えていく。




