第58話 怒りの権化と悲しみの嘘
「この世で一番いらないものって何だか分かるかな?」
真っ黒に染めあげられた地面。そこで一人の男が意気揚々と拘束された少女に話しかける。辺り一面燃え尽きており、焼け焦げた死臭がそこらに漂っていた。それを作り出したのは目の前で軽い口調で話すその男。癖っ毛の髪に整った顔立ちをしている。歳は20前半といったところで、白い手袋をはめて小綺麗な服装をしていた。
その男は壁に繋がれている少女に向かって機嫌良く話しかけた。拘束された少女は猫の耳を生やしており、服は剥ぎ取られてすらりとした華奢な裸体を晒していた。そう、繋がれてるのはテトだ。テトの身体にはいくつもの火傷の跡や乱暴に殴られた跡があり、ぐったりとうなだれていた。そして男の足もとには気を失ったアウルムとアルティナの姿も見られた。その二人も服は焼かれたように焦げて無くなり裸の状態で地に転がされていた。
「………」
「なぁ……お前に聞いてんだよっ!俺を無視すんじゃねぇぇ!!会話も出来ねぇのか?!」
さっきまで機嫌良く話していたのが嘘かのように、男はいきなり鬼の形相でテトに向かって怒鳴りあげて手に持つ棍棒を振り下ろした。
「おっと、ついカッとなってしまった。俺の悪い癖だ」
「………」
「何の話だったか、あーそうそう。この世で一番いらないものだったな」
「………」
「それはゴミだ」
「………」
「誰にも必要とされずに湧き出るばい菌。汚いし、臭いし、おぞましいし。 あぁ、汚い!汚い!汚い! なぁ?そうだろうが!」
一人永遠と喋っている男はテトの意見を求めているようで、まったく求めていない。ただ自分の意見と棍棒でテトを殴りつけているだけだった。
「ここは地獄だ。 どこに行っても何をしても穢れてやがる。 そして、お前たちのようなゴミの中で暮らしてる奴らもゴミと変わらねぇ。いや、ゴミ以下だ。 だから綺麗にしなくちゃナァ?」
男は極度の潔癖症だった。何処も汚れているようには見えない物でさえ素手で触れることが出来ない。そのためいつも手には手袋をつけているし、自分の領域に他人の物が入ると全て焼いた。他人のであれば服であろうとも許されない。見えないだけで、そこには菌が増殖しているのだから。
「目には目を、毒には毒を、だ。 この下界の汚い汚い菌を完全に殺すには君の毒が一番だ。その毒を下界中にばら撒き、まとめて皆殺しにするんだ! そうすれば、下界をうろつくゴミどもを駆除してやれる」
いい考えだろう、と言わんばかりに男は笑いテトに手を差し出した。
「だからお前の毒が必要なんだ。少し分けてくれるくらいいいだろう?」
「……やだ」
「あ?」
ここに来て、テトは初めて声を発する。その言葉に耳を疑ったのか、男は口を半開きにして聞き返す。もし自分の意思とは違う言葉を喋ればどうなるかを思い知らせるように握り拳を見せつける。それでもテトは言葉を変えず、むしろ先ほどより強く反発した。
「……あなたに必要とされても嬉しくない」
「――ッ!てめぇ!このッ、調子にのるな!」
男は耐えきれない怒りをテトに何度もぶつける。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
いくら殴りつけようとも、男の怒りの炎は消えない。
「はぁ…はぁ…。親切に俺があの時のことは許してやるって言ってんだぞ? 何故感謝しない?何故言う通りにしない?」
昔テトはこの男と会っていた。下界に来たばかりの頃。貴族の暮らしから一変してゴミ溜め暮らしになり荒れていた頃。テトは何度か毒を暴走させて他の区で暴れたことがあった。この男はその時テトの毒を受けて瀕死になったことがあった。だが、男の目的は復讐なんてくだらないものではない。そんな汚いものではない。たったシンプルなことだ。汚いものをこの世から消すことだけだった。
「その汚い力を俺が有効に使ってやるって言ってるんだ!」
男の精神は非常に不安定で、いつ何がきっかけで爆発するかわからない。男は怒鳴りながらテトの横腹を靴の先で蹴りあげた。テトの体は細く、軽々と浮いてしまうが鎖に引っ張られてそこから動けない。
「その汚らしい毒をさっさと出しやがれ!!」
男はツボのようなものをテトの顔の前に置いて、その中に頭を突っ込ませるように抑え込んだ。
鎖を毒で溶かそうとしたが特別な素材で出来ているようで変形させることさえ出来なかった。おそらくはこのツボの同じ素材なのだろう。男はテトから毒を絞りだそうと頭を叩く。
「別にここにいるゴミ供が死んだってお前には大して関係ないだろうが。 言われる通りにさっさ出せよ! 抵抗したって誰かが助けてくれるわけでもないんだから」
関係ないわけない。テトにとって今ではタルタロスの人達は大切な仲間だ。さっきもテトを助けにアルティナとアウルムが駆けつけてくれた。それでも男は、テトを人質に取るようにして二人を封じて痛めつけた。テトは、自分の不甲斐なさを感じるが、今はそれ以上に別の感情に支配されていた。
助けてくれるわけない。 その言葉がテトの心に突き刺さった。ある少年の顔が思い浮かび心臓がきゅっと締め付けられ、凄く悲しい想いに駆られた。
別に助けなんか呼びたいとは思わない。自分は見捨ててもらってかまわない。自分のために血を流してもらいたくなんてない。いつも必死に願いを叶えるために走っているあの少年の邪魔をしたくなんかない。
側には居たかったがいつも自分の想いを封じるように、邪魔にならないようにしていた。だから今だって少年に迷惑なんてかけたくない。
「いい加減にしやがれぇぇ!」
毒をいつまでも出さないテトに男は苛立ち、幾度となく暴力を振るい鎖を激しく揺らす。
そしてテトから雫が溢れ始める。だがそれは毒でもなんでもない。赤く滴る血であり、透明な涙であった。
痛い。あまりにも痛い。これ以上は死ぬかもしれない。
そう考えるとテトは怖くなった。
死ぬのなんか怖くないし、生きていることのほうが辛い。前の自分ならそう言えたかもしれない。でも今は違う。死ぬのが怖い。死ぬなんてたまらなく嫌だ。
死ぬ痛みがつらい?ーーー 違う
この世から消えるのが怖い?ーーー 違う
こんな死にかたが嫌だ?ーーー 違う
テトは、あの少年の隣に立てなくなることが、あの笑顔を見れなくなることが嫌で、怖くて、悲しいのだ。
助けなんて求めてないーーー 嘘だ
助けに来て欲しくなんかないーーー 嘘だ
助けてくれるなんて期待してないーーー 嘘だ
見捨てて欲しいなんて、真っ黒な嘘だ。
今まで呼ばないようにしていた。少年を呼び止めたくなくて呼ばないようにしていた。いや、もしかしたら呼びたくても呼べなかったのかもしれない。
だが今、テトは初めて彼の名を口にする。
「ノア………」
ずっと考えていた。彼の願いが叶った時、自分はノアの隣にいるだろうか。自分は彼にとってどうあるべきなのだろうか。自分は一体彼にとって何なんだろうか。
「つくづくこの女ァ、イラつかせやがって、ゴミの分際でぇえ!」
何も応えないテトに男は限界を迎え、殺すつもりで棍棒が振りあげた。だがその刹那、テトの疑問の答えは現れる。
「僕のパートナーを返して貰おうか」
黒に染められた焼け焦げた大地、そこに一粒の純白の雫が落ちてきた。透明な瞳を爛々と赤く燃やし、いつも浮かべている優しい笑みをどこかに落とした少年は、棍棒を振り上げる男の腹に拳をめり込ませて吹き飛ばした。
ノアはテトの隣に舞い降りると、自分のローブをテトの肩にかけてやる。
「遅くなった」
テトの目から、抑えきれなくなった大粒の涙が零れだす。自分はノアにとってなんなのか。そんなこと前からわかっていたことじゃないか。自分は彼の、ノアのパートナーだ。
ノアの力と努力は知っている。だが今のノアは既に血だらけなんて言葉では表せないほとボロボロで、腕なんて根元から無くなっている。色も抜け落ちて今や再生力だってない。
この男と戦わせてはいけないと、咄嗟に「逃げて」と叫ぼうとするが、先に咆哮を上げたのはノアだった。
「白虎ッ‼︎‼︎」
その言葉が何を意味するか、それをテトが理解する前に体が浮いた。白い大きな虎の獣族、ティグリスが鎖を断ち切り自分の体を担ぎ上げたのだ。
「あの二人も頼む!」
「チッ。こいつは高くつくぜ!」
「金なら後でいくらでもやるさ」
アルティナ達とまとめて担がれたテトは、ティグリスがこの場を去ろうとしていることに気づく。ここにノアは、残る気なのだ。
「……おい。なんなんだよ、お前ら」
その中で、ふつふつと沸騰する怒りの権化が顔を上げる。体から高温の炎を放出させながら、男はばい菌達の駆除を邪魔する不届き者達に吠えた。
「人の家に土足で上がり込んだ挙句、随分と好き勝手にしてくれるじゃねえぇぇかぁ!」
怒号を轟かせながら、熱の塊がばら撒かれる。それは炎の球なんて生易しいものではない。それは隕石、まさに流星群となってそれは赤い軌跡を描き、百を超える数の破壊がノア達を襲った。
「白虎!頼んだぞ!!」
ティグリスはノアの声に応えるように白虎から金の虎へと変貌し、テトと布で包んだ双子を持ち上げる。この攻撃から逃げ切るには並の力では不可能だ。ジェムを飲み込んで金色の光に身を包み、荒れ狂う熱量の中を駆け巡る。光速で動き回るティグリスの肌は問答無用で熱に焼かれるが、約束を守るためにテト達だけは背中で守っていた。
「ノア! だめ!」
涙を流し、連れて行かれるのを抵抗しようとするテトだったが、ティグリスは抑えられてその場から離脱させられた。
やっと呼べた名前。それが最初で最後になるなんて絶対に嫌だ。側に居させてほしい。そんな願いは届かず、時間を稼ぐために奮闘するノアの後ろ姿は熱の濁流に呑まれて見えなくなっていた。




