第57話 覚悟
力が入らず膝をつくノアの頭上から、血の雨が降りそそいだ。しかしそれはただの雨のようにただ身体を濡らすだけに終わり、そのまま地面へと流れていった。ノアは、少女が操る血の槍が突き刺さると思い歯をくいしばっていた。だがその血はまるで効力を失ったように流れ落ちる。うっすらと目を開けて、ノアは体の様子を確認するがなんの影響も見られない。少女の意図がわからず、目の前に立っている少女を見上げてノアは困惑した。
その少女はただただ立っていた。口を半開きにして、呆然とした表情をしたまま固まっている。手に持っていた槍も手から滑らせて液体となり消えていた。そのまま数分、僅かに肩を震わせて魂が抜けたように立ち尽くしている少女を見て、ノアもまた見上げたまま固まってしまう。
(な、なんだ? 何があったんだ?)
ノアはよろめきながら立ち上がって少女に警戒するも、まるで動く気配がなかった。あれだけ激しい戦闘がピタリとおさまり何をすべきかわからなくなる。
(何があったか知らないけど今がチャンスだ)
ノアは、壊れた機械のように硬直している少女を今のうちに斬りつけようとも思ったが、今は逃げることを最優先に考え狭間の中へ飛び込んだ。
その後もしばらくの間、誰も居ない遺跡の中でただポツンと少女は一人立っていた。
ノアは遺跡を出ると剣を鞘に納め、急いで門へと向かった。すると行きには居たはずの門番は誰もおらず空っぽ。門の警備は、狭間の中から飛ばされてきた重体のドープル達を街に運びに行っていた。
「 ついてないな」
治療する道具か何かを貰おうとしていたが探してもここには何も無かった。ノアはため息をつきしばらく休もうとしたが、さっきの少女に鉢合わせないためにも早くこの場を離れることにした。
それからが大変だった。深い霧の中、ノアは体を休めながら歩いた。傷はじくじくと痛み、これでもかと流れた血もまだまだ止まる様子を見せない。そしてなにより辛かったのが霧に含まれていた毒だった。死なないからと安物のマスクを買ったことを今になって後悔した。今のノアは不死の力は無いためこの霧がとても息苦しく感じ、そこらで拾った木の棒を杖がわりに血反吐を吐きながら進んだ。それでもノアは諦めず歩き続けたおかげで国の外壁が見えてきた。体力の問題もあり、行きとは違って帰りは7日間も要し、疲れきった体に鞭を打って壁の中へと戻る。
「あ、ノア! 帰ってきてくれたか!!」
門をくぐるとノアを待っていたのか、ロイが躓きながらも走りノアの服を掴んだ。
「お前っ!その傷、腕も…。大丈夫なのか?!」
「なんとかね。 見た目ほどじゃないよ」
ロイは相当慌てていたのか、腕が無く向こう側が見えそうな穴がいくつも体に空いているノアの状態を今気づいたようだった。だがそういうロイも只事ではない様子で、口から血を滲ませており身体には包帯を巻いている。
「そんなに慌てて、何かあったの?」
「テトが……攫われた」
とりあえず詳しく聞くために二人はタルタロスへと戻った。ノアの帰還にキュプラーは安堵の表情を浮かべるも、ノアの怪我に気づいて心配の声を上げる。皆はノアが不死なことは知っている。キュプラーは勿論知っていたが、ロイや皆んなにも自分から話したのだ。それでも傷が治らないノアのことを心配していたため、ノアはひたすら大丈夫だと連呼した。それよりもノアは、焼け焦げた服を握りしめて泣きじゃくるニーナの姿が目に入った。その焼け焦げた服はテトのものだった。
「ごめんなさい…ごめんなさい…。私のせいでテトちゃんが」
ニーナの背中をキュプラーが落ち着かせるように撫で、嗚咽まじりではあったがニーナはぽつぽつと話を聞かせてくれた。ニーナの話によると二人はいきなり一人の男に襲われたらしく、それをテトが庇ったのだという。それが原因でニーナは自分のせいだと思い込んでいるようだった。そして心配なのがアウルムとアルティナがロイの制止を聞かず、既にテトを連れ戻しに飛び出して行ったらしいのだ。バッカスにも助けを求めたらしいが、護衛の命があると言ってバッカスは頑なにタルタロスから出ることを拒否したらしい。そのことに二人は腹を立て、大事な仲間を連れて行かれて黙っていられなかったのだろう。しかし相手は只者でないことは確かで、不意を突かれたとはいえテトが遅れを取るほどだ。ロイと二人で行っても敵うかどうかはわからない。
それでもノアは、泣きじゃくるニーナを安心させるように力強く頷き、キャプラーにニーナを任せて立ち上がる。
ニーナの異能で治療できれば良かったのだが、ノアは元々ある呪いのせいか癒しの光の効果がなかった。それは昔仕事で受けた傷を治して貰おうとした時に知ってはいたが、いざこういう事態になると不死の力がどれだけ不便かがわかる。その前にニーナの話を聞いていると一つ気になることがあった。国に帰った時からあった嫌な予感はずっと拭えずにいた。
「ノア、まずはボスのところへ行くぞ!ボスならテトの場所を知っているはずだから…」
「なぁ、ロイ」
ノアはボスのもとへ向かう途中、誰もいなくなったのを見計らってロイの言葉を遮る。そうなることを薄々感づいていたかのようにロイも口を閉ざした。
ニーナの話では二人が下界の端で襲われたと言っていた。それはロイに直接関係があったわけではない。それなのにロイは口から血を流してやけに息を荒らくしていた。門で会ったあの時は何か事件に巻き込まれたのかと思ったが、そうでないと知った今ではどうしても確認すべきことだった。
「君は、治ったんだよね」
「………」
治ったのか、その一言で意味はわかるはずだ。だがロイは何も言わず、その場に沈黙が続いた。
「もしかして治らなかった、のか?」
秘薬はどんな病でも治すと言われており、その効力も確かなはずだ。そしてそれをノア達は手に入れてロイに渡した。治っていないはずがないのだ。だが、ロイの口から漏れた言葉はノアが一番恐れていたものでもあり、嫌な予感そのものだった。
ロイは悲しそうな笑みを浮かべて懐からあるものを取り出し始めた。
「ごめんな」
「ッ!なんで…」
ロイが取り出した物、それは秘薬だった。一度も開けられた形跡は無い。ロイはノア達に貰った秘薬を飲んでいなかったのだ。
「秘薬はどんな病でも治してくれる。でも既に病で喰われた俺の体が再生するわけじゃないんだ」
「そんな、それなら言ってくれれば」
「言えなかった!言えるわけがなかった。 もうどうにも出来ないことを言えるわけが……。 お前らが俺のために取ってきてくれたのに…」
ロイは病を知った時、もう生きることを諦めて人生にヤケになっていた。今から自分を置きざりにして生きていく仲間すら疎ましくなっていた。だがその仲間は自分を思いやり、命がけで薬を手に入れてくれた。自分の体が手遅れなのは知っている。だがこれを飲めばもしかしたら生きられるのでは、そう思ったのも一度ではなかった。
もっとこんな仲間と歩んで行きたいと悔しくて悔しくてたまらなかった。でも、それと同じくらいロイはこのまま死んでもいいと思え始めた。こんなに優しい仲間が自分にはいる。こんなに誇らしい想いを自分の中で残せるなら死だって受け入れられた。
ずっと一人閉じこもっていたあの子が、テトが他人のために一生懸命になって秘薬を取りに行ってくれた。弱々しくちっぽけの新入りだったノアは、今はこんなにも心強い仲間となっている。それが見られただけで思い残すことなんて何もない。
「俺はもう平気だ。今はアウルムやアルティナ、そしてテトを助けに行かないとだろ?」
「……ダメだ、今のロイは僕よりよっぽど死にそうじゃないか。 まさか死ぬ気か?」
話している今も、ロイの命の炎はどんどん小さくなっていくのがノアの眼には写ってしまう。そんな状態で行けば死は免れないだろう。ノアはロイを止めようとしたが、ロイは首をゆるゆると横に振るだけだった。
「俺は死ぬことが嫌だったわけじゃないんだ。何も残せず消えることが怖かっただけ。 だから、俺は仲間のために戦って死にたい」
「でも…」
「俺の命だ。 死に場所は俺が決める」
ロイの顔つきは覚悟のそれだ。その表情を前にして、誰が口を出せようものか。
ノアは唇を噛むように口をつぐみ、ロイに頷き返した。




