第31話 側にいる理由
夜が明けて日の光が顔を出している頃、ノアは水浴びをして体の汗や泥を流していた。体を拭いて服の袖に腕を通そうとした時に服の穴がいくつもあることに気づいた。ティグリスの拳の威力は凄まじく、服どころかノアの身体にさえ穴を開けるほどの威力。それは体術とかそんなレベルをとうに通り過ぎていた。ノアはとりあえずボロボロの服に体を通してドームを出る。すると木の影から一人の少女が顔を出した。
「おはよう」
その少女はふわふわとした黒い髪を肩まで伸ばして服の上からでもしゅっとした滑らかな身体のラインをしているのがわかる。頭の上には黒い猫の耳を生やし尻尾をゆらゆらと揺らしていた。
「……どうしたの?」
「あ、ああ。おはよう、ちょっと服が少なくなっちゃってね。今日街に買いに行こうと思ってたところなんだ」
表情はまだ乏しく感情は読めないが彼女のほうから挨拶をしてくれたことにノアは感慨深く、瞬きをしながらテトを見つめてしまう。テトは視線を少しだけ下に向け、ノアから見られていたことでそわそわとしながら不安そうにしていたのでノアは慌てて理由を作り上げた。
「私も………行く」
「え?ああ、別に無理して付き合ってくれなくてもいいんだよ」
「私も行く」
テトが積極的に接してくれるのをノアは無理をしているのではと思ったが、テトは瞳を猫のように細くし体の前で握りこぶしを作り異様なやる気を見せていた。その様子に驚きながらも、押されるようにノアはこくこくと頷く。
中央街までノア達は来ていたがノアはファッションというものに興味は無い。服選びのセンスもおそらく無いだろうと思い、いっそ鎧かなにかを常に着ようとも考える。だがどうせ生半可な攻撃ならばノアの身体はすぐ再生するだろうし、逆に重装備になるとデメリットのほうが多くなるかもしれない。
「服って普通どんなの買えばいいんだろ、ってテト?」
ノアはテトの意見を聞こうとしたがテトは猫耳を震える手で押さえて人混みの中座り込んでいた。
勇気を出してここまで来たようだが、やはりまだ人が沢山いるところは呪いのこともあり身体が受け付けないらしく、仮面無しだと不安を隠しきれておらず薄っすらと涙まで浮かんでいた。
ノアはテトがそこまでして自分についてきたことに不思議に思うも、頑張っている彼女を見捨てるはずもなかった。
「ほらっ大丈夫だから。もしテトに何かあったら僕が絶対止めるから」
ノアはテトの手を優しく握りもう片方の手で落ち着かせようと頭を撫でた。最初は身体を跳ねさせたテトだったが、そのまましばらく撫でていると落ち着いたように耳を伏せた。
「……ごめん」
「いいよ、これくらい。さぁ行こう、服ってどの店に入ればいいのかな」
「……手、このままがいい」
ノアがテトの手を離そうとすると、テトは離しかけたノアの手を握りしめて恥ずかしそうに呟く。
「こうしてたら落ち着く、から」
テトは少しだけ頰を赤く染めながらもノアの手を強く握り、ノアもその手を振り払ったりはせずに静かに頷いて街を回った。その後も服屋に着くまでくだらない話をお互いにぽつぽつと話し合った。
「昨日見なかったけどどこにいたんだ?」
「家族の墓参り。けじめ、つけたかったから」
「けじめ、か」
ノアはその言葉に反応したように少しだけテトの手を掴む力が強くなったことで、テトはノアの顔を見て話を変えようと話題を探す。しかし今まで自分から会話をした記憶などないため、ろくな話題が見つからず街中で話す内容ではない話になってしまった。
「顔とか大丈夫?一応2人とも、指名手配されてる」
「あー、大丈夫だと思うよ。僕もマスクをしてたし、ろくな情報はたいして書いてなかったからね。白虎達も僕らのことを憲兵に話すようなことはしてないと思う」
「そう、ならよかった」
「逆にテトのほうは大丈夫?手配書で顔とかバレてるんでしょ?」
「私は中央街だとそこまで有名じゃない。フードを深くかぶってればバレない」
テトは憲兵達の調査によって指名手配をされたため名前も顔も屋敷もバレている。しかし手配書の絵はテトが貴族の時の、まだ幼かった頃のものが載せてあるためわかる人はおそらくいないだろう。そのうえ中央街にはハンターが少なくなくローブや鎧などの装備を身につけているものは多い。そのためボロボロのフードを深くかぶっていてもなんら不自然ではなかった。
「ならいいけど、白虎達の反応からしてテトって凄い有名なのかと思ってた」
「タルタロスに来たばかりの時に、一度下界で暴れた。だから多分、その時広まった」
「暴れたって...…テトの賞金ってどれくらいなんだ?」
「10000」
「僕の倍……」
そんな事を話していると目的の場所へついた。ノアは下界にいるにしては金を持っているほうだが、服や靴を買うにしてははなかなか厳しいものがあり、あまり質のいいものは買えないだろう。そのため二人は高級ではなく、それでいて安っぽくもないくらいの手頃な服屋に入った。それでもノアの格好は麻袋に穴を開けて体に通したような服装でその店の店員もノア達に険しい視線を送っていた。
だが店員の態度も当然で、ノアのような格好をしている下界の住民は中央街で盗みを行なっていることは珍しくないのだ。ノアもそれをわかっているし自分の格好がそうさせていることも自覚しているため店員のその態度に特に気にはしなかった。
二人はそれぞれ店に並べられてある服を見て回ることにした。そこまで大きな店ではないと思っていたが様々な色や種類の服が並べられており、この陳列された服の中でどれが自分に似合うのかなんて考えることはノアは既に諦めていた。
(ん〜生地の違いとかあるのかな?動きやすさとかは意識しておくべきか。 でもやっぱりわからないな)
「ん?これは……」
ノアは結局テトに服を選んでもらった。少し袖がゆったりとしたローブに大きめな灰色の服で、比較的柔らかい手触りをしている。テトの案で袖の中に武器を仕込めるように広く大きめなのを選んでもらい、それと一緒に少し固めの素材が膝に使われている黒いズボンも購入した。
ノアは耐久をあげることだけを考えていたのだが接近戦では膝を使うことが多いらしく、そういうところも考えられるテトがついてきてくれたことはとてもありがたかった。
ノアが服選びを頼むとテトは真剣に悩んでくれ、店内を一周軽く見回した程度のノアに対して、テトは無言で一つ一つ触りながら慎重に確かめていた。熱心に選ぶテトの姿を見た店員も、最初は怪訝の表情だったものの最後は優しく服選びを手伝ってくれた。
「今日はありがとう、テトに来てもらって助かったよ」
「ううん。私も楽しかった。こんなに人と話したの久しぶり」
ノアも寡黙なほうで、実際はそこまで会話を弾ませることはできなかったが、テトは照れ臭そうに耳をぴこぴこと動かしながら嬉しそうに笑っていた。
「それは良かった。これ、今日のお礼」
「わたしに?」
ノアはさっき店で見つけたものをテトに渡し、それをテトは目を何度か瞬きをしてそっと受け取った。ノアが渡したのは黄色のラインが入った黒のローブで、フードに猫耳がついておりテトの耳にもちょうど良く被せられるだろう。
「……ありがと」
テトの心はやんわりと暖かく疼き、それが何なのかテトは不思議に思うも、今はただそのプレゼンが嬉しくてぎゅとローブを抱きしめながら尻尾を揺らしていた。
ーーーーテトは体に呪いを宿していた。その呪いは猛毒で、触れれば激痛や吐き気、様々な現象が体に生じて死に至る。少女は他者を恐れていた。ずっと関わらなければ傷つけることもなければ傷つくこともない。そう考えてひたすら沈黙を貫いて生きてきた。
だがあの日、そのテトの心にノアは踏み込み他者という概念を壊した。一緒に、その言葉を心の底のどこかでテトは渇望していた。1人は嫌だった、誰かと一緒にいたかった。それを解決するのには1人では無理だった。
だからノアがテトの毒を体に受けながらも、笑って迎えてくれたあの時の言葉ほど最適なものはなかっただろう。もしかしたらノアが放ったその瞬間から、その言葉が最適の意味を持ち始めたのかもしれない。そう思えるほどにテトの心は揺さぶられた。
だが、テトの心を揺さぶったのはその言葉だけではなかった。あの日テトが自分の気持ちをぶつけてこの気持ちが「わかるか」とノアに向かって問いた時のノアは「わかる」と答えた。
最初はデタラメを言っているだけだと思ったがノアの表情はとても切なく哀しげで、テトは自分の言葉を後悔した。そんな顔をさせたかったわけじゃなかった。
そんな顔をしても、ノアは柔らかい笑顔を作りなおし、身を毒に侵されようとも自分に触れてくれた。離さないで一緒にいるということを証明してくれたのだ。
テトはその日、生きていく理由を見つけたのだ。この人にそんな笑顔をもうさせたくない、感情表現という仮面を使い分けながらも、心の中でずっとどこかで泣いている。そんなノアの本当の笑顔を作ってあげたい。
救ってもらったあの日からテトの願いは、ノアの本当の笑顔を見ることになった。ノアがいつも死に物狂いで自分を鍛え上げているのをテトはずっと影から見ていた。力になりたい、その願いを叶えてやりたい。ノアが大切な人を生き返らせて本当の笑顔を作れる。それまでずっと側にいたい。不安定で目を離せば消えてしまいそうな彼を支えてやりたい。そう思わせてくれるほど、彼には不思議な魅力があったのだ。
今度は自分の番だ。
テトはノアに貰った猫耳フードをかぶると尻尾を揺らす。2人で帰り道を時に任せてゆったり歩みながら、目をゆっくりと細める。
側にいるだけでいい、それだけでいいのだから。




