食いしん坊万歳だなあ
マスクを付けたまま、ブリジットが一つ深呼吸をする。そして、普段は見せることのない真剣な眼差しでこちらを見る。
準備完了という事なのだろう。それを受けて、モノクル越しにオーバーレイされているメニューを操作して、魔核透析用魔道具を起動させる。
先程の試運転時と同じ音を鳴らしながら、うっすらとした光が漏れる。再びアリスの表情が変化した。
……上手くいってくれ。
試験データから予想される効果には問題は無いはずだ。しかし、どうしても心配はしてしまう。
今は、アリスとブリジットの二人を信じるしか無い。そんな状況がとてももどかしい。
アリスが身に着けているリストバンドから伸びる管を、淡く輝く魔力が巡り始める。その魔力が管を伝い、ブリジットが身につけているマスクへと到達した瞬間、ブリジットが目を見開き小さく身体を震わせる。そして、慌てた様子で両手をこちらに向けてジェスチャーを始めた。
何かの異常事態だろうか? 確かにデータ量は十分とは言えない。しかし、この反応が起こり得るような材料は無かったはずだ。
「ぶ、ブリジット、どうかしたの?」
「ちょ、ちょっと止めて欲しいかも」
慌ててブリジットの様子を確認するが、返ってきたのは魔道具停止のお願いだった。……ダメだったか。
表情には出していないつもりだったが、アリスには僕の気持ちも伝わってしまったようだ。表情もつられて曇ってしまった。ブリジットも悔しそうな表情を見せている。
とはいえ、残念だがブリジットに無理をさせる事はアリスとしても望んではいないはずだ。ブリジットまで不調になってしまえば、アリスが悲しむ。
魔道具を停止させて、ブリジットのマスクを外す。すると、一つ深呼吸をしてから何やらお腹の辺りをさすり始めた。
腹部に何か異常が起こったか?
「お、お腹いっぱいで無理みたい」
「は?」
「あ、いや。だから、お腹がいっぱいで無理」
ブリジットの言葉で、この部屋の時間が止まったかのような感覚に陥る。視界の端に見えるアリスも動きを止めていた。
えーっと、この子はいったい何を言っているのかな? シリアスさんもう少し仕事してくれませんかね。
「お腹が、いっぱい?」
「うん、悔しい! こんなに美味しそうな匂いなのに!」
ああ、そう言われてみれば、やけに悔しそうにしていたと思ったんだ。そういう理由だったのか。昼食後からブリジットに頑張ってもらうために、普段よりも多めにご飯を食べてもらった事を思い出す。お腹が空いていないとダメなのか。……これは、やってしまったようだ。
「ば、バーナード様。私は大丈夫です」
「あ、うん。なんかごめん」
僕の様子を見てここに至る状況を察したのだろう。アリスが何とも言えない様子でフォローを始めてしまった。僕もアリスに謝罪しながら、心の中で魔道具の不具合ではなかった事に安堵する。
その後、一旦休憩を取りブリジットの回復を待つことにした。
ブリジットは、一分一秒でも早く魔核透析を堪能したいのか飢餓のポーションを所望したが、さすがにそれは止めさせておく。ただでさえシリアスさんが仕事を止めてしまったのだ。ブリジットを飢えさせるとか、後が怖くて仕方がない。
ブリジットの回復後、再び魔核透析を行った。
透析のプロセスはセントラルにより逐一分析され結果が報告される。結果は勿論問題なしだ。
初回の魔核透析が無事終了し、それに安堵しながらアリスの魔核の汚染状況を記録したデータに目を通す。当初想定していたよりも浄化速度が大幅に早い。
単純に毒素に対する透析能力は、ピュア・ホワイトドラゴンの腎臓よりもブリジットの能力が上だったようだ。それにブリジットも相当頑張ってくれたみたいだ。
データから視線をずらし、満足そうな顔で呆けているブリジットを見ると、自然と笑みがこぼれてしまう。……僕も結構思いつめてしまっていたのかも知れない。
「アリスの為というよりは、食欲の為って見えてしまうのは損だね」
「ふふ、頑張っていましたからね」
「食いしん坊万歳だなあ」
稀に見る美味とあって、ブリジットの頑張り様は僕たちの想像よりも遥か上に行っていた。小ペースならば今日明日一杯魔核透析に時間を使えば、完全に回復が可能かもしれない。
理由として、まずはアリスの回復ペースが早まった事で、巨大水槽から出られる時間も伸びたことが上げられる。外に出られる時間が長いということは、そのまま魔核透析に使える時間が伸びることを意味する。
そしてブリジットの回復。いや、正確には満腹から十分に食欲が回復するまでの時間が早い事だ。ある程度は知っていたが、改めてこうやって時間を計りながら見ていると、驚異的なまでの早さであると言っていいだろう。
これが、ピュア・ホワイトドラゴンの腎臓だとそうはいかない。本来であれば、ある程度の魔核透析を行った後は、フィルタの状態回復に結構な時間が掛かる。
しかしブリジットの場合、ただお腹が空きさえすれば良い。最高だ。
「このペースでさっさと治してしまおう」
「はい!」
アリスが満面の笑みを浮かべて、元気の良い返事をした。
――そしてアリスの魔核透析が無事終了した。
それを伝えるためジーク達へ連絡を取ると、皆一様に喜びの声を上げた。ひとまず簡単な感謝の言葉は伝えたが、また改めてきちんとお礼をする必要があるだろう。
なんと言っても、これだけ早い回復を実現できたのは皆が協力してくれたおかげなのだから。
これから皆が訪ねて来るようなのでちょうど良い。結構な人数が来るのでおもてなしするのは大変そうだが、アリスが俄然張り切っているので心配はないだろう。どうも僕たちが行っていた掃除などを、巨大水槽に満たされた溶液の中で見ていて、ずいぶんと鬱憤が溜まっていたようだ
既に家中を忙しそうに掃除しまくっているが、僕は手伝いを申し出たりはしない。触らぬ神に祟りなしだ。
シェリルさんにも伝えないとな。
これでアリスの魔核汚染騒動は一件落着――でもないか。その唯一の例外へと視線を向ける。
「しくしく、終わっちゃったよう」
「ブリジット、そろそろ立ち直ってくれないかい?」
「えー、無理だよお」
そう、その例外とは今回の最優秀賞であるブリジットだ。
魔核透析が終わった時に、唯一喜びではなく絶望に似た状況に陥ってしまったのだ。
魔核透析を行っている間、ブリジットは幸せそうだった。それはもう、これまでに味わったことのない程の美味を、これでもかと言うほど堪能してしまったのだから仕方がない。
しかし、終わらない物など有りはしない。
アリスの魔核汚染が解消してしまったという事は、もうアリスの魔核からは毒素が出てくることはない。その絶望に気がついた時のブリジットの表情は、もしかしたら僕も忘れられないかも知れない。ブリジットが悲しむ姿はあまり見たくはないのだ。なんとかブリジットを励ますことは出来ないだろうか――ん?
「ブリジット、良い方法があるかも知れない」
「ぐすっ、良い方法?」
これは非常に困難な方法ではある。しかし、最終的には解決しなければならない事も事実だ。
その方法とは、白虎対策に他ならない。
このまま探索を続けて研究室まで戻ったとして、それだけではセオドールに託された研究を完成させることは出来ない。
アリス達の命の為には賢者の石が必要だ。それには当然、四神の素材が必要となる。研究室のストレージに残されている素材は後数回分。それではとても足りない。
遅かれ早かれ白虎から素材を手に入れる必要が出てくる。もう一歩進んで、頑張ってくれたブリジットのために白虎の討伐に挑戦してやろうじゃあないか。




