美味しそうな匂いがしたもん!
カーテンの隙間から差し込む朝日が、新たに部屋の片隅に設置された魔道具を際立たせている。
単体ではそれほど大きな物ではないが、一抱えほどある立方体の魔道具にはいくつかの管が接続されており、随分とかさばって見えるため中々の存在感だ。これでも随分と小型化できたとは思うのだが、それでも邪魔なことには変わりない。
「早くこれを撤去できる日が来て欲しいな」
しかし、それにはアリスの魔核透析を順調に終える必要がある。勿論、現時点ではピュア・ホワイトドラゴンの腎臓が手に入っていないので、十分な効果を得られる事はない。あくまでも魔核内の魔力をバイパスして循環させることが出来るだけだ。
「それじゃあ試運転させてみるか」
そう独り言を言い、魔核透析魔道具の隣に設置されている円筒状の巨大水槽へと視線を移す。
そこには特殊な溶液に全身を委ねているアリスの姿があった。今は睡眠中のようで、目を瞑っている。その姿を見て、ちょっとした既視感を覚えたが、すぐにその理由に思い至った。
自然とこの言葉を紡ぐ。
「さあ、目を覚まして……」
呼びかけに応えるようにまぶたが動き、ゆっくりと開いていく……。以前見た光景に近いが、やはりまったく同じようにはならない為、苦笑してしまう。
「ん、おはようございます。バーナード様、どうされました?」
「ああ、気にしないで」
アリスが初めて目を覚ました日の事を思い出してしまった。そう言うのも少々恥ずかしいので、ついついはぐらかしてしまう。
「魔核透析用の魔道具が組み上がったから、今から試運転したいんだけど良いかな?」
「はい、かしこまりました。私は何をすれば良いでしょうか?」
そう言いながら、アリスは巨大水槽の隣に設置してある物体を見た。錬成過程から見ていたが、特に詳しい説明はしていなかったので使い方はわからないのだろう。
近くから椅子を動かして、魔核透析魔道具の隣に置く。
「とりあえず、水槽から出てこの椅子に座ってもらえるかな」
「あ、私はこの水槽からは――」
「この服を着れば少しなら出られるよ。着替えるまでちょっとだけ苦しいと思うけど、そこは我慢して欲しい」
僕は机の上から一組の服を手に取り、両手で広げてアリスへと見せる。アリスの体格に比べると少々大きめに作っているが、それには勿論理由がある。
――魔核透析用の魔道具は、直接巨大水槽に接続することは出来ないので、魔核透析を行う際には水槽から外に出る必要がある。当然、魔核が汚染されているアリスは水槽から出ると再び身体が蝕まれてしまう。
そのために用意したのが、この服である。水槽内に満たされている物と同じ溶液を混ぜた染料で染めた布地で作られた服。更に複数の魔石を編み込み、理を刻み込んだ物。
これを着れば、この部屋限定ではあるが、一時間程度であれば水槽から出ても問題はない。魔核透析には水槽から出ることが必要なので、並行して作成しておいたのだ。
水槽から出たアリスが着替えを終えて椅子へと腰掛ける。
「このリストバンドを両手につけてもらえるかな」
「かしこまりました」
「地味な物でごめんね」
「いえ、大丈夫です」
特に装飾を施していないので地味なリストバンドではあるが、勿論ただのリストバンドではない。それには管が接続してあり、その先は横にある魔核透析魔道具へとつながっている。
アリスがリストバンドを身に着けて、手の平を上に向けてアームレストに乗せる。パッと見では何か危ない実験をしているように見えてしまうが、立派な治療行為の一工程である。
「それじゃあ、起動するよ。一瞬力が抜けるような感覚があると思うけど、正常な反応だから心配しないで」
「ふふ、私は何も心配していませんから大丈夫ですよ」
「なら、その期待には答えないとね」
アリスの言葉を受け、ついつい口角が上がってしまう。
初めての試運転ではあるが、勿論僕としても自信はある。そこには僕自身の腕だけではなく、セオドールへの信頼も含まれているのだから。
モノクル越しに見えるインタフェースを操作して、魔核透析魔道具を起動する。すると、低音と高音が中途半端に入り交じった音が鳴り始める。
それとともにアリスが一瞬、顔をしかめた。
つい反射的に心配してしまいそうになるが、これは予定通りの反応だ。僕は平静を保ってアリスを安心させてあげるべきだろう。
少し見ていると、アリスが身に着けているリストバンドから伸びた管がうっすらと光を帯び始める。……正常に循環が始まったということだ。
しばらくの間、魔核透析魔道具からデータを取りながら様子を見守る。特に異常な動作は見せていないので問題はなさそうだ
「アリス、調子はどう?」
「はい、脱力感はすぐに解消しました」
「循環だけではなく、そのまま浄化もできれば良かったんだけどね。素材がまだ手に入っていない」
「バーナード様、そんな顔をしないで下さい」
なるべく表情を変えないように努めたのだが、まったく効果はなかったようだ。逆に心配されていれば世話はない。
「……あまり長い時間水槽から出るのも良くないから、そろそろ終わろうか」
「そう、ですね」
本心ではもう少し長い時間、水槽の外に居たいのは当然の感情だ。しかし、アリスはその気持ちを押さえ込んでいる。
……もう少しくらいであれば大丈夫、かな。
「アリス、今から朝食を一緒に食べない?」
「え、私はそれほどお腹は空いて――いえ、少しだけ空きました」
勿論、アリスの返答は嘘だ。水槽に満たされた溶液は栄養もきちんと取ることが出来る。つまり、つい先程まで水槽の中に居たアリスはお腹が空くことはない。
でも、僕の意図を察してくれたようだ。少しでもアリスの気分転換になってくれればそれで良い。
「それじゃあ、皆も呼んでこようか。少しだけ待ってて」
「はい、かしこまりました」
魔核透析の試運転をしていた都合上、アリスが外に出ていられる時間は残り少ない。急いで皆を呼んでくることにしよう。そう思い部屋の扉を開けると、想定外の光景が展開されていた。
「……ブリジット、何やってるの?」
「ぐすん。二人共ずるい」
「はい?」
部屋を出てすぐのところで、ブリジットが膝を抱えて座って泣いていたのだ。どうしてこんなところで泣いているのだろうか?
様子を見る限りでは、結構前からこの場所でこうしていたようだ。
「ずるいって、何の事?」
「ボクだってお腹空いてるのに。ぐすん」
「そ、そうだね。ちょうど良かった。今から呼びに行こうと思っていた所なんだ」
「そんな事言ったって騙されないもん」
「いや、嘘じゃないけど」
ブリジットが泣いている理由はさっぱりわからないが、怒ってもいるようだ。今から皆を呼びに行こうと思っていたのは事実なので、決して嘘ではない。
いったい何をそんなに怒っているのだろうか?
「二人だけで内緒で美味しいもの食べてずるい」
「はい? えっと、僕もアリスも何も食べていないよ?」
「嘘! だって部屋からものすごく美味しそうな匂いがしたもん!」
普段では考えられないような反応を示す。普段から変わってはいるが、こんな事は初めてだ。
ブリジットが言わんとしていることがさっぱりわからない。別に僕もアリスも先程から食べ物は何も口にしてはいない。美味しい美味しくない以前の話だ。
僕達は魔核透析の試運転、だけしかしていな、い?
「ああーー!?」
「バーナード様、どうされました!?」
僕までもが大声を出したことで、アリスまで驚いてしまったようだ。部屋の中から廊下に居るこちらへ声を掛けてくる。
一方、ブリジットも僕の大声に驚いてしまったようで、口を開いたまま固まってしまっている。
そんなブリジットの両方を掴む。
「そうだよ、これならいけるかもしれない!」




