今できることをするよ
シェリルさんの表情は芳しくない。何か悔しさを滲ませるようにその言葉を口にしていた。
もともと、アシュレイ・ガナギークが異界に侵入した可能性を示唆していたのは、他でもないシェリルさんである。それにもかかわらず事を先にすすめることが出来ない理由はなんだろうか。
「それは、この件がいち探索者の証言にすぎないから、ですか?」
「いいえ、そうではないわ」
魔術師が大きな力を持ち、宰相までもが魔導師である可能性が出てきたこの情勢で、探索者の証言など無価値に等しい。そう考えるものも多い事だろうと思えた。
しかし、シェリルさんは無言で首を横に振るにとどめた。つまり理由が異なるということだ。その理由に関して少し考えてみるものの、これと言った理由にたどり着くことが出来なかった。
一つため息をつきシェリルさんが口を開く。
「肝心のアシュレイ・ガナギークが王都を離れていないからよ」
「……僕が見たあの男は偽物だった。そういう事ですか?」
「バーナード君が直接相対した以上、本物に間違いないでしょうね」
「すみません。ちょっと頭がこんがらがってきました」
僕が天獄塔の異界で遭遇した男は、魔導師アシュレイ・ガナギークで間違いない。これは奴の実力を見た僕としては確信を持って言える。そして、シェリルさんもそう思っている。……でもアシュレイは王都を離れていない?
前の双子魔術師的な何か、それともドッペルゲンガーのような存在だったりするのだろうか。
「前から言ってあるように、私はアシュレイ・ガナギークを疑っていたの。だから、人を送り込んで彼の不在を確かめようとしたのよ。でも、その結果わかったのは王都を離れていないという報告だったということよ」
「何を以って王都を離れていないと判断したんですか? 確かアシュレイは自身の研究室に頻繁に篭っていると聞いた記憶がありますけど。そこから転移すれば誰にもわかりませんよ」
「そうね。それ以外は公務で人の目に触れているから行動を起こすのは無理でしょうね。つまり天獄塔の異界に侵入できるのは研究室に居る時を他に無いとは思う」
そう言って一旦言葉を切り、テーブルの紅茶を一口含み喉を鳴らす。そしてもう一度、口を開く。
「魔力よ。彼の魔力は一度たりとも王都を離れていない。彼の魔力はかなり大きいから間違えることは無いわ」
なるほど、普通に王都で暮らしている魔術師であれば、わざわざ魔力を隠して生活するようなことはまず必要無い。権力の中枢でわざわざ魔力を隠そうとすれば敵対派閥等からその意図を問われ、目をつけられてしまう事だってあるかもしれない。
方法に関してはまだ確信を持てないが、恐らくアシュレイは自身の魔力が王都において探知可能な状態にして、天獄塔の異界に侵入している。魔術を行使する際、僕でも奴の魔力を感知することは出来なかったくらいだ、それくらいは出来ても不思議はない。
「彼の魔力が偽装されたものだったとしても、本人が王都に居なければさすがにわかりませんかね?」
「報告では魔力は一定ではなかったそうよ。つまり変化を見せていた。これは偽装された魔力ではそうはいかないわ」
そういう対策もしっかりしているということか。ますます厄介な話だ。
まさかアシュレイの研究室に強行突入するわけにもいかないし、対策を打たれている以上は追求は難しいという事なのだろう。
悔しいが現時点で手出しをする事は難しい。そういう結論に達した。背もたれに体重をかけて天井を見る。
「今はダメですね」
「……残念だけど、現時点ではそうね」
しばらくの間、応接室に静寂が訪れた。
報告を終えてシェリルさんの屋敷を後にする。
シェリルさんが帰りの馬車を用意してくれていたのだが、どうもそんな気分にならなかった事もあり、自分の足で歩いて家に変えることにした。
少し遅めの足取りで歩きながら、考えを巡らせる。
現時点でアシュレイ・ガナギークをどうにかすることは出来ない。踏破階層はわかったので、追跡して捜索する事自体は不可能ではないが、その場合は戦闘を避けられない。魔導具の対策は十分ではない。
それに、そんな事をするくらいであれば、このままのペースで上層階を目指したほうが、よほど建設的な選択だろう。いくらアシュレイが実力者だったとしても、四六時中を探索に費やせるわけではない以上、僕達との差はそう簡単に縮まるものではない。
一応シェリルさんもまったく手を打たないわけではないようだ。王都に居るはずのアシュレイ・ガナギークが表舞台に出てこざるを得ないような工作をしてくれるとの事だった。
具体的な作戦は聞いていないが、上手く行けば足止めとしては非常に有用なのは間違いない。その間に僕達が上を目指す。
「それにはまず、アリスの回復からだな」
周りに人がいないので独り言ではあるが、敢えてその言葉を口にした。自分自身の方向性を定めるために。
未だにピュア・ホワイトドラゴンの情報は無いが、その時のために準備を進めておくことは十分に可能だ。
家に帰ると、リビングのソファーでイネスがうたた寝をしていた。
アシュレイとの遭遇で、イネスには大きな負担を掛けてしまったという自覚はある。きっと疲れてしまったのだろう。
風邪を引くといけないので、薄手の毛布を持ってきて掛ける。起してしまわないように静かに部屋を出ると、その足でアリスの元へと向かう。
「バーナード様、おかえりなさいませ」
「ただいま、起きてたんだね」
「はい、さすがに一日中寝ているわけにもいきませんから」
そう言ってアリスが申し訳なさそうに微笑む。
気持ちはわかるが現状では仕方がない。アリスも外に出られないという事は受け入れている。ただ穴埋めをするように、この機会を利用してセントラル経由で数々の論文等を読み漁って知識を吸収しているようだ。
「つい先程までジーク達が居たのですが、外で会いませんでしたか?」
「いや、会ってないよ。入れ違いになっちゃったみたいだね。素材を持ってきてくれたの?」
「はい、そこのストレージに入れておいてもらいました」
アリスがそう言いながら部屋の端にあるストレージを指差す。
ストレージに歩み寄り中を確認すると、彼等に頼んでいた素材が魔核透析用魔導具の錬成に十分な数量保存されていた。これだけ迅速に素材が集まったのはヴォルフガングのおかげなのは間違いないだろう。
これで残る素材はピュア・ホワイトドラゴンの腎臓だけだ。すぐに手に入る素材ではないが、だからこそいつでも対応できるように準備しておくべきだろう。
「それじゃあ僕は今できることをするよ」
「はい」
ストレージから一部の素材を取り出して机の上に並べて前に立つ。
「セントラル、魔核透析用魔導具のレシピを」
『かしこまりました、該当するレシピを表示します』
錬成工程を確認しながら、一つ一つの素材を確認していく。……うん、どれも十分な質が保たれている。慣れない錬成手順になるが、セントラルのサポートがあれば心配はないだろう。
「よし、そろそろ始めますか」
アリスの視線を背中に感じながらの錬成は、ちょっと新鮮な気持ちになる。だからといってミスをするような事は無い、つもりだけど念のためいつもより注意して作業を行おうと思う。
――そして全ての錬成工程が終わる頃には、翌日の朝を迎えていた。
一つ伸びをして、昨晩の事を思い出す。
途中、お腹を空かせたブリジットの乱入があったが、ちょうど気を使う工程だったのもありそっけない対応をしてしまった。騒ぎに目を覚ましたイネスが夕食の準備をしてくれたので、何とか満足はしてもらえたようだ。
「今度、何か珍しい食べ物でも用意しようかな」
「はい、それが良いと思います」




