これは一体どういうことだ?
物件の確認後はすぐに引っ越しの準備を行うこととなった。シェリルさんに急かされたというのもあるが、確かに諸々の安全を考えれば、早めに引っ越して欲しいと言うのも理解できる。それにシェリルさんにも融通をしてもらったので、優先度を上げたというわけだ。
段取りも含めて時間はそれなりに掛かってしまったが、お陰でそれほど大きな問題も起きることはなく、無事に終えることができた。
小さな問題と言えば、大きな物件という事もあり持ち込んだ調度品に関しては、まったく数が足りていないという点だろうか。これから少しずつ充実させていかなければいけないが、それほど緊急を要してはいないので、追々揃えていくぐらいでかまわないだろう。
部屋数も多いので、当初の目的であるも十分に満たすことができる反面、これから家事全般に渡り忙しくなる様に思える。さすがにアリスも探索を続けながらこなすことは厳しいはずなので、人では増やす方向で考えなければならない。誰かを雇うか、それとも新たに――。
「バーナード様、そろそろお時間です」
「あ、もうそんな時間か。それじゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ」
アリスから声を掛けられて、今の時間を思い出す。今日は学園で近代錬金術の講義を行わなければならない。いくら自宅が学園の敷地内にあるとはいえ、講義室まで移動するにはそれなりに時間がかかってしまう。さすがに講師が遅刻してしまっては格好がつかない。
――自宅から講堂へと続く並木道を一人歩く。
辺りを見渡せば、同じように講堂へ向かって歩く者、逆に講堂からこちらに出てきた者が、ぽつりぽつりと見受けられる。よくよく考えてみれば、それなりの敷地や建物が確保されているとはいえ、開かれてから間もないのだ。この学園で学ぶ者はまだそれほどいるわけではない。
探索者達で賑わう街中とは大きく異なり、とても落ち着いている。これはこれで好きかもしれない。
普通であれば、人が少ないということで防犯面が気になるところだが、この学園は王国全体で考えても非常に重要な位置づけが成されている。つまりは防犯に関しても万全だということだ。まあ、僕からもいくつか魔道具は提供させてもらっているし、魔術師も多いから当然だろう。
講堂に着き講義室へ向かう。扉を開けると、既に大半の生徒は着席しており、各々が何かしらの自習を行っているようだった。
熱心なのは良いのだが、それはそれで若干の心配を覚える。僕としては、もう少し周りの学友と親交を深めてみて欲しいものだ。
一人で根を詰めすぎては、どうしても長く続けることが厳しくなってくる。その時に壁を乗り越えることができるのだろうか? そうなる前に、切磋琢磨できる学友を見つけることが、最終的には自分をより高みに持っていくことができることだろう。
そうやって若干心配をしながら眺めていると、一人の生徒が僕の姿を見るなり駆け寄ってきた。
「先生! 質問があるんですが今宜しいでしょうか」
……もちろん、これから講義が始まるのだから答えはノーだ。良いわけがない。やんわりと断りながら軽くため息をつく、熱意は十二分に伝わってくるが、もう少し周りをよく見たほうが良い。
まあ、目の前の生徒のように前のめりになってしまうのも理解できないわけではない。彼らがこれから学んでいく知識は基本的なものばかりなので、日々実に多くの刺激を受けることができることだろう。
実は今日の講義はいつものクラスではない。まだ近代錬金術の勉強を始めたばかりの者たちが集められた、新しいクラスである。学園がきちんと機能し始めたことで、以前より多くの生徒を受け入れられるようになった。それにより、都市内だけではなく都市外からも多くの希望者が殺到してしまったのだ。
元々錬金術に興味があった者、近代錬金術の復活に伴い先駆者となるため志した者、家督を継ぐ可能性の低い貴族の末弟などなど。
当然だが、その全てを受け入れることなどはできない。とはいえ、アミルトの住民のみを優先してしまえば、都市外から大きな反発があることは容易に想像がつく。そういった事情があれば、入学には厳正な試験が行われる事となるわけで、そんな試験をクリアしてくるような生徒たちが、前のめりにならないほうがおかしい。絶賛興奮中だろう。
とはいえ、このままでは講義を始めることができない。そうなっては本末転倒である。対応してあげたいのはやまやまだが、彼らの為にもここは断らねばならない。
我先にと殺到する生徒を席へ戻らせて、予定していた通りに講義を始めることにした。
――無事に講義が終わり、努めて迅速に講義室を後にする。
理由は簡単、あまり講義室に残っていると、質問攻めに合ってしまうからだ。本気で疑問点を質問してくる分には構わないのだが、殆どが講師との接点を作る為のものであることがありありと見えてしまう。さすがにそこまでは相手にしていられない。
とはいえ、本気で勉強している生徒にはきちんと対応したいという思いもある。なので、講義室には生徒が質問を録画するための魔道具を設置しておいた。ひとまず内容をセントラルに選別してもらって、後で個別に回答を届ける事になっている。
講師との接点を作りたい人も、真面目に勉強していれば目に留まるんじゃないかなと思うので、日々頑張った結果でアピールして欲しい。
それに今日は、シェリルさんから探索者ギルドにくるように言われているので、あまり長居もできない事情がある。詳しい話は聞いていないのだが、何やら含みのある言い方をしていたので、最近忙しそうにしていた事と関係しているのだろう。
学園を出て天獄塔へと向かう。指定された時刻にはまだ時間があるので、問題なく間に合いそうだ。途中で串焼きでも買ってお腹を満たす事にする。
天獄塔に到着し、探索者ギルドの事務所へと入る。シェリルさんには詳しい場所を指定されていないので、何かあるとすれば広場の方だろうか?
事務所を抜けて天獄塔の広場に行くと、いつもとは何か様子が違った。皆の視線を追うと、概ね一つの方向を見ていることがすぐに分かった。視線の先にはステージが一つ。その中心にいるのは――シェリルさんだ。
皆につられて様子を見ていると、ステージの上で動きがあった。シェリルさんは右手を軽く上げると、広場にいる者たちが一斉に静まり返る。
その様子を見て、シェリルさんは満足そうに頷くと凛とした姿で一歩前に歩み出る。そして一拍、間を置いてから、その口を開いた。
すぐには本題に触れることはなく、割りと当たり障りのない内容が続く。都市の成長や探索者への感謝がほとんどだ。そして、しばらく経った頃ようやく本題に触れることとなった。
「――国王陛下から正式に布告が出されました。今日、この時刻より異界都市アミルトはスタンピード期間に入ります」
一瞬、自分の耳を疑ってしまった。何かの間違いかとも思ったが、さすがにこれを聞き逃すことは逆に難しい。
スタンピード
僕自身、一度も目にしたことはないが、それが何であるかという話は知っている。セオドール曰く、スタンピードとは魔物氾濫とも呼ばれる大規模な災害であるらしい。伝承では一晩で都市が滅びてしまった例もあるとのことだった。
これが本当であれば、まさに一大事だ。何処かに避難することになるだろうし、事態が収束するまでは塔を登れないかもしれない。
周りの探索者達も、シェリルさんが発した言葉の意味をきちんと理解するまでに時間が掛かったのだろう。しばらくは慌てるような動きはなかった。少しして、周りがざわざわとし始める。
「よっしゃぁ、来た来た! スタンピードだ!」
しかし、最初に発せられた言葉は僕の想定したものとは大きく異なっていた。そして、その言葉を皮切りに広場内にいる探索者達が次々と興奮をし始めてしまった。そして皆が例外なく笑顔である。
……えっと、これは一体どういうことだ?




